行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

民主化を弾圧した天安門事件から35年、中国の政治は独裁強化へ

2024-06-05 14:02:45 | 海外
私が事務役として電機労使の訪中団で初めて中国を訪れたのが1989年4月29日、中華全国総工会の招きであった。今では考えられないパトカー先導付き、通る信号はいつも青といった歓迎ぶりであった。ところが天安門に近づくと大勢の若者が集会を開き、北京市内の中心部でデモをやっていた。デモをしている若者はにこにこと楽しそうであった。中国も民主化への道を歩み始めたとさえ思えた。ただ、交通整理をしている警官は丸腰でデモ隊のコントロールにはまるで素人のようで、日本の機動隊みたいな警官は見あたらず、出てくるとなるとすぐ軍隊になるのかとチラッと思った程度であった。

その日は中南海の首相官邸で羅漢秘書長(日本だと官房長官)と周恩来元首相の部屋で会談した。主たるテーマは電機産業の対中投資であったが、天安門のデモのことも話題になった。羅漢さんは私たちの子供もデモに参加しているので先鋭化はしないで収まると楽観的であった。

私たち労使一行はその後北京を離れ、地方周りをして帰国したが、天安門では民主化を要求して学生達がハンガーストライキに入り、地方からも続々と学生が上京しだし、5月18日にはハンガーストライキをやめるよう趙紫陽総書記が説得までしたが、共産党の保守派、特に李鵬首相(当時)が対決姿勢を打ち出したことで学生たちは急進化し、運命の6月4日には軍隊が戦車まで繰り出して弾圧した。民主化路線を取ろうとした趙紫陽は失脚し、中国共産党の一党支配は続いている。

その後、社会主義市場経済と称し日欧米の各企業の投資を誘致、世界の工場と言われるまで発展し、今やEVでは先端を走っている。ところが習近平独裁体制となり、米国の反発は大きく、サプライチェーンから中国を外す動きが加速している。天安門で国民が要求した民主化は抑圧され、一層言論は監視され、先が見えない状況が続いている。


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