行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

遙かなり「演歌」、八代亜紀さん逝く

2024-01-15 18:14:48 | 芸術
八代亜紀さんの訃報を聞いて、また日本の演歌が遠く、霞んでるような思いだ。年末の紅白、国民的行事というけれどドタバタと終始ダンス、ダンス肝心の歌はおろそかになる。まるで運動会、日本の演歌は素っ飛んでしまった。こよなく愛した演歌、オペラに較べれば超短いけど、内容は劣らない。

子供の頃初めて聞いた演歌が「湯の町エレジー」今歌えば、ドラマが凝縮されていることが判る。その後、美空ひばり全盛で越後獅子からドラマ性の高い「川の流れのように」とか高度成長を支えた農村からの出稼ぎや就職列車で都会にに出てきた時代を象徴する「リンゴ村から」「北国の春」「ああ上野駅」など名曲が輩出した。

特に忘れられないのが八代亜紀の「舟歌」、ちあきなおみの「喝采」「赤とんぼ」、石原裕次郎の「北の旅人」などで聞いているといろいろな人生が目に浮かぶ、それぞれまさに歌手独り舞台で歌い上げる演歌だ。

紅白でも動と静、ダンス無しでそうしたしみじみと歌い上げる八代やちあきを見たいものだ。

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素晴らしかったウィーン・フィル ニューイヤーコンサート

2024-01-07 18:02:34 | 芸術
かつてはお正月というと、「春の海」の琴の音が流れていたが、最近では元日の恒例「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」だろう。ところが今年は能登の震災で中止となった。再放送が例年行われる土曜日、ゆったりとワルツやポルカを視聴して、正月気分に浸った。演奏される楽友協会大ホール(写真)は金色に輝き、入っただけで圧倒されるが、ニューイヤーコンサートには特別にイタリアや南フランスから取り寄せたバラなど豊富な花々で飾られ、至福な時が約束される。

2024年の指揮は、ドイツの誇るクリスティアン・ティーレマン、偶然年末視聴した第九も我が家のDVDは若き日のティレーマン指揮だった。彼はブルックナーの推しで、生誕200年を迎えるブルックナーの作品が初登場した。またシュトラウス一家の隠れた名曲も初演され、いつものニューイヤーコンサートと趣が変わった。

今年は曲目が多かったせいか、バレーの挿入が少なかったが、華やかな色とりどりの衣装を着たダンサーが古城の庭で舞い、例年以上に盛り上げてくれた。独特の楽器を使うウィーンフィルの演奏は歯切れの良いティレーマンの指揮と相俟って素晴らしかった。最後は例年のごとく「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」で終わったが、前者はプロシアに大敗し、意気消沈しているオーストリア国民を励ます曲で後者はラデツキー将軍を讃える曲だ。コロナパンデミックを克服した国民への励ましとも取れる。

2017年7月に訪れた楽友協会大ホール


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動の阿波踊り、静のおわら「風の盆」夏祭りを楽しむ

2023-09-05 17:47:37 | 芸術

今夏はあまりの暑さで外出もできなかったので、YouTubeで日本の地方色豊かな祭りを楽しんだ。各地での祭りは多すぎて全部見ることは出来なかったが、青森ねぶた、盛岡さんさ踊り、八尾のおわら風の盆、郡上おどり、阿波踊りなど、それぞれ個性が有り、地方の豊かさと都会には無いゆとりが感じられた。

中でも阿波踊りは今や全国で行われている、東京でも高円寺の阿波踊りはすでに伝統行事になっている。阿波踊りの魅力は単調な笛太鼓、三味線に合わせた簡便な振り付けが多勢で一緒に踊れるところが人気を博した。本場の徳島では、多くの連が個性のある振り付けや小道具を駆使してより迫力を増して、より魅力を増している。阿波踊りが賑やかな動に対し、おわら「風の盆」は胡弓の静かな音色に合わせ優雅な舞が披露され、しみじみとした秋の到来を感じさせる。この2つは踊り手が専門家で、男踊り、女踊りの厳しい訓練を受けている。これだけ多くの踊り手を長い期間訓練できるとは、地方の豊かさを感じる。

ねぶたは芸術品ともいえる巨大な山車作品に驚くが、はねる踊りも勇ましい。さんさ踊りは全員参加型の太鼓が主体の簡便な踊りで、街が盛り上がっている。
郡上おどりは盆踊りを思わせる、老若男女が入り交じった伝統の輪踊りながら、自治会ごとにデザインが異なる浴衣姿でこれも全員参加型だ。

各祭りには膨大な費用が掛かっていると思う。参加者の浴衣にしても個性があり、繊維産業に大きく寄与していることだろう。日本の豊かさと平和を強く感じる夏祭りだ。

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パイプオルガンと古楽器の珍しいコンサート

2023-06-17 21:40:37 | 芸術

昨夜は赤坂の霊南坂教会で巨大なパイプオルガンと復活した100年前のハルモニウムによるオルガンコンサートがあり、久しぶりにバッハの荘厳な曲に浸った。イタリア文化会館の肝いりで東京子どもホスピスプロジェクトへのチャリティコンサートを開催された。

正面に巨大なパイプオルガン、背面2階には修復なった1910年代のハルモニウムの初めて聞く協演、それに飯顕のヴィオラ、渡辺美穂のピアノが曲目により加わった。オルガン奏者は第一人者イタリアのクラウディオ・プリツィ、と飯靖子、身体全体が共鳴する何ともいえない音のハーモニーで印象深いコンサートだった。クラウディオ・プリツィは大変器用で、アンコールではモーツアルトをパイプオルガンで演奏するサービスもあり、喝采をあびた。

西ドイツ製パイプオルガン


フランス製オランダで修復のハルモニウム(オルガンは空気を吸いながら音を出すがハルモニウムは空気を吹いて音を出す)

注、東京子どもホスピスプロジェクトは生命を脅かす病気を持つ子供と、休みなく看護にあたる家族が安心して心と体を休め、生きがいを見つけ、明日を活きる力を養うための場所を建設するためのNPO法人です。私は理事として応援してます。

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松方コレクションは日本の至宝

2019-08-22 21:56:55 | 芸術
上野の西洋美術館で松方コレクションの特別展を開催している。暑さにも拘わらず毎日大勢の人が見に来ている。昨日は混雑していたがまあゆっくりと鑑賞できた。この美術館はフランス政府から返還された近代フランス絵画・彫刻等370点を基礎として、1959年に開設された。特にモネの絵画、ロダンの彫刻(『地獄の門』など)がまとまって収集されている。しかし、20数点フランス政府が返還しなかったものもあり、今回の目玉はゴッホの「アルルの寝室」(オルセー美術館)だろう。アルルへ行くと今でもこの寝室は絵と同じようにゴッホの下宿に残されている。
 
最初、入口には松方がモネのジベルニー邸に直接おもむき交渉して買った睡蓮が出迎えてくれる。
 
 
展示は松方がロンドンに滞在していた時に買い付けた作品から始まり、その後パリに行って約800点買った最盛期、北欧訪問時と時代別に展示されている。もちろん圧巻はパリ時代に買った傑作で、モネの雪のアルジャントゥイユ、ポプラ並木、エトルタでの風景画、ゴッホのアルルの寝室、ばら、ゴーガンの扇のある静物(オルセー美術館)、ルノワールの帽子の女、セザンヌの船にて、シスレー、ピサロの風景画、などきら星のごとく、あっという間に時間が経つ。ゴーガンのタヒチへ旅立つ前の傑作が3点あるのも目を引いた。面白かったのは、北九州市立美術館が所有するドガが描いた「マネとマネ夫人像」でマネが夫人の顔部分右端を切り取ってしまいそのまま保存されている。
2次大戦前に買い付けたルノワールのアルジェリア風のパリの女達(ハーレム)が燦然とお色気をかもしだしている。
 
今回私のお気に入りはモネの「雪のアルジャントゥイユ」と「ラヴァクールのセーヌ川」(個人蔵)の2点。

この特別展、入口に展示されている睡蓮に始まり、終わりはたて2m横4mの大きな「睡蓮、柳の反映」で終わる。最後の絵は上半分が損傷しており、下の部分しか見ることが出来ない。しかし、初めての試みだが、AI技術でモネの色使い、筆運びなど他の作品からデータを取り込み、再現画が横のスクリーンに映し出されている。
松方コレクションは英国での作品は火災消失、フランス政府に押収された松方コレクションの返還交渉は、1951年のサンフランシスコ講和会議の際に、吉田茂首相がフランスの外務大臣に要求し、返還されることが決まり、世界遺産となったコルビュジエ設計の西洋美術館で体裁を整え、1959年に成った。モネの絵一つでも40億円台、どのくらい価値があるか判らない我が国の至宝といえよう。
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東京郊外にウィーンの風

2019-01-20 22:49:12 | 芸術
昭島の西隣に福生市がある。米軍の横田基地が北側にドンとある基地の街で、国道16号線は横田基地に沿ってあるのでその付近は英語の看板の店がづらリ、まるで米国だ。その基地で今日はマラソン大会をやっていて福生市民で賑やかだった。
 
今日はもう一つ福生市民ホールで、ウィンナー・ワルツ・オーケストラのNEW YEARコンサートが公演され、私はそちらに出かけ、ウィーンの風を感じてきた。毎年公演されてるらしいが、今年はたまたま広報で知って申し込んだ。このコンサート1月3日での東京オペラシティに始まり、和歌山、滋賀、三重、山梨で15回も公演し、今日が最後で、明日はウィーンに帰るとのこと、ほぼ毎日演奏してるという強行スケジュール。
 
オーケストラは25名と小ぶりだが、金管楽器の音色も、歯切れの良い弦楽器もウィーンの音を出して、小気味よい演奏だった。19年も来日公演が続いてるわけだ。曲目はもちろんヨハンシュトラウスが中心だが、出色なのはバレーリーナを帯同し、バレーを見せてくれるというサービスだ。楽友協会でのNEW YEARコンサートでバレーが挿入され、喝采をあびてるからだろうが、日本各地のホールでバレーを見せるというのは大変なことだ。

この楽団はサンドロ・クトゥレーロという指揮者が主催し、バイオリン奏者を立って演奏させたり、細かい演出が印象的だ。ソプラノ歌手のパトリシア・ソロトゥルコヴァの声量もすばらしかった。
帰路、ホールのそばの茶室「福庵」によった。この上をオスプレイ飛ぶとは信じられない静かさだった。
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浅利慶太さんの思い出

2018-07-20 21:08:57 | 芸術

四季を創設した浅利慶太さんが亡くなった。日本にミュージカルを根付かした功績は大だ。私はミュージカルには縁遠かったが、たまたま姪の久居史子が四季の女優になったおかげで何回かゲネプロに招待され、ミュージカルに接し、その素晴らしさに何回か感動した。その度に浅利さんにお目にかかったが、姪よりものすごく厳しくゲネプロでダメ出しをされると、アウトになると、聞いていたので遠くから眺めるだけだった。

ところが、2001年国際金属労連の中央委員会がベニスで開催され、当時の金属労協議長草野忠義さんと事務局長の私が出席するべく、ミラノ行きの便に乗り込んだところ、草野さんの隣の席に浅利さんが座っていた。草野さんは日産労連の会長時代、日産労連が毎年四季の講演を借り切り、障害者を招待していたことから旧知の間で、これはこれはということになり、私も紹介して戴いた。

浅利さんはもう既に出発前の一時、燗酒をちびりちびりでご機嫌だった。日本酒をこよなく愛されているとお見受けした。乾き物のおつまみを大量に買いこまれ、早速こちらもご相伴にあずかった。これからミラノのスカラ座でお仕事ということで、秘書も連れず一人旅のようだった。四季の苦難の時代、日産労連の借り切り講演は劇団経営にさぞ助かったことだろう。現在の四季では切符をとるのも大変だが、昔の恩を忘れず、気軽に接して戴ける雰囲気は当に大物だ。

今春、「ノートルダムの鐘」横浜講演のゲネプロでは、既に四季を引かれ浅利さんにはお目にかかれなかった。後継者をきちんと育成されたので、四季は益々発展するだろう。

合掌

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ロシアの松方コレクション、プーシキン美術館展

2018-06-28 22:35:06 | 芸術

ロシアの美術館というと、巨大な権力を持ったエカテリーナ女帝が蒐集したエルミタージュ美術館が思い出されるので、プーシキン美術館もロマノフ王朝がらみかと思って尋ねたが見事にはずれた。モスコア大学の先生が言い出しっぺでモスコア大学の授業に活用しようとして民間の有志に呼びかけて設立された。主に当時の2人(シチューキン&モロゾフ)の財界人がフランス絵画を熱心に蒐集しプーシキン美術館に展示した。ロシア版松方コレクションといった印象を持った。当然革命で国家によって没収され、貢献者は国外に亡命せざるを得なかった。
 
今回の日本における公開は数が少ないが、フランスの巨匠の代表作が展示されていて、それだけでも価値があるが、パリの風景画でパリの歴史を知り、知らなかった風景画の画家(ユベール・ロベール、ニコラ・ラングレー、ルイジ・ロワール等)を知り得た。ロシアの松方に感謝、感謝
 
解説も秀逸で、印象派の画家達がアトリエから出て、パリ郊外で制作出来たのは絵の具がチューブに入って便利になったおかげと教えてもらった。それまでの風景画はデッサンをしてアトリエで描いたとは気がつかなかった。従って近代風景画の源流の作品はアトリエでの画家の創造力で描かれたものが多い。
 
代表作品 クロードモネの草上の昼食、ピカソの庭の家、ゴーギャンのマタモエ、セザンヌのサント・ヴィクトワール山
マチスのブローニュの森
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辻井伸行の米国ファンからのコメント

2018-05-19 23:13:19 | 芸術

昨日のブログに,米国人ファンM.Liuさんから以下のコメントが寄せられた。私と同じように辻井伸行の健康について心配している多くのファンがいることが判りました。

コメント

辻井伸行さんの大ファンです(^^)I am a big fan of Mr. Tsujii in U.S.A.
Please forgive me for not being able to write in Japanese.
また辻井のスケジュールはかなり過密で健康管理は大丈夫なのか? 」  I share the same concern! 
http://mlliu2006.blogspot.com/2018/05/concerned-nobus-may-14-suntory-hall.html 

コメント (1)
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感動、中山晋平音楽祭

2018-04-09 20:51:20 | 芸術
中山晋平のような大作曲家が母校の都立立川高校の前身旧府立二中の音楽教師だったとは最近になって知った。彼は大正12年9月から1年間教鞭を取った。昨日は同校OB会やOBの音楽家によって中山晋平生誕130年、童謡発祥100周年を記念して中山晋平音楽祭が府中芸術劇場で開催された。
 
自分が子供の頃歌った「シャボン玉」「証城寺のタヌキばやし」「背比べ」「てるてる坊主」、学生の頃歌った「カチューシャの歌」「ゴンドラの唄」カラオケで歌った「船頭小唄」、盆踊りでの「東京音頭」など中山晋平という作曲家の存在の大きさを再認識した。
 
数々の思い出がある歌に感動したが、先生の生き様も紹介され、「そうっだったのか」とうなずくことが多かった。その一つが信州から上京して東京音楽学校に入学し、生活費を賄うため島村抱月宅に書生として家族の面倒を見たこと、そして抱月が芸術座を興し、トルストイの「復活」が大ヒット、その時の主題歌が「カチューシャの歌」だった。ところが抱月はそれを唄った女優の松井須磨子と不倫関係となり、中山晋平は困ったことだろう。抱月がスペイン風邪でなくなり、松井須磨子はあとを追って自殺、中山の衝撃はかなりのものだった。
 
当時コンビを組んでいた野口雨情から船頭小唄の作曲を頼まれていたが、唄自体悲しい詩であり、抱月、松井の事件で2年間棚上げし、ショックから回復してからの作曲だった。自分はそうしたことをこれまで全く知らないでカラオケで唄ってた。
 
また、府立二中の教師になったのは関東大震災で家もピアノも壊され、路頭に迷ってた時代、教師の口が掛かりとにもかくにも飛び付いたようだ。OBの手記の中で中山晋平は「あの時代は生活が苦しく、僕のような風来坊はどこでも使ってくれない時代だったのに君でなければと言われ、喜んで拾ってもらった」と語っている。
 
中山晋平は山田耕筰と作曲家として双璧を成すが、北原白秋の「砂山」を二人が作曲している。これもこの音楽祭で教わった。他の作曲家も作曲しているが、現在もこの二人の2曲が歌い継がれ、甲乙付けがたい名曲だ。
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