豪華なトルコ航空のラウンジ 欧米日本のラウンジでこれほど広くゆったりした経験は無い
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アテネも暑かったが、湿気が無いのでランチなどは外のテラス席でとった。日陰なら冷房の部屋より快適だ。今回の旅行はギリシャとトルコ(クシャダス)の2ヵ国、どちらの料理も挽肉料理が多いわりに、ヨーグルトと野菜が毎日食べられ、胃腸の方は快調だった。
アテネと言えば、アクロポリス(高い丘の都市の意)、守護神アテナを祭ったパルテノン神殿は思ったほど残っているものは多くない。あばらや以下の状態だ。ガイドは占領してたトルコから英国人が買い取ったので、ハザードなどは大英博物館に移されてると嘆いていた。そういえばミロ島のビーナスはルーブルにある。
柱はドーリア式
エレクティオン神殿は美女(レプリカ本物は新アクロポリス博物館)が柱になっている。オスマントルコ占領期にはハーレムだった。正面のイオニア式柱の右端はレプリカで本物は英国に、
南側には珍しい美女の柱
日本もそうだが、遺跡現場にはレプリカで本物は博物館に鎮座している。主なギリシャ中の宝物は考古学博物館にある。
トロイ戦争記に出て来るシェリーマンが発見したアガメムノン黄金のマスク
美の象徴 アフロディーテ
ゼウスかポセイドンの像
スフインクス
サントリーニ島のアクロティリ遺跡を尋ねた。1967年に発見され、まだ10%程度しか発掘されてないが、先史時代の遺跡にしては高度文明で、ミノア文明を思わせる。火山の爆発で街全体が埋もれたが人骨は発見されず、火山の爆発予知がなされていたと推定される。下水道は確認されたが、上水道はまだ、三階建ての建物が存在し、見事なカラー壁画もあり、アトランティスではないかという説もあり、今後の発掘が楽しみだ。ポンペイみたいな発掘状況だが、ミノア文明と劣らないワインやオリーブの保管壷が見事に残っている。木造物もかなりあったと思われるが、火山の爆発で燃え尽きている。
下の写真は俯瞰模型図
この壁画は春と名付けられ、現場には無く、後ほどアテネの国立博物館にて展示しているのを訪ねた
品種は酸味が特徴的なアシルティコという白ブドウが栽培されており、辛口の白ワインから甘口赤ワインのヴィンサントなどで併設ワイン博物館で試飲ができた。白はシャルドネと似てる味、赤は収穫してから搾る前に10日くらい陰干しするためか、イタリアのアマローネを感じる味だ。
栽培方法は独自で、蔓を巻き葡萄の房を蔓で出来た籠状のなかに入れ強風から保護する方法を採っている。
ワイン博物館で見た収穫の状況で、腰をかがめて作業をすることになりきつい労働だ。このワイナリーでは赤白各年間15000本、デザートワイン4000本で、生産性は仏の10分の1くらいのようだ。
とぐろを巻いているのが葡萄の木
上陸するまで1時間半順番待ち、火山島のカルデラが港で、溶岩の島を眺めながら小型ボートで接岸、そのまま世界〇〇夕陽景色といわれるイヤへ。
狭いイヤのビューポイントは人人人で大混雑、早くホテルで一杯やりたいが、団体行動なので熱気溢れる夕陽見物に参加、日本の夕陽と何処が違うのか判らないまま、とりあえずパチリ、
この島、断崖を上手く使い白色に統一した建物とギリシャ正教の青い屋根が良くマッチして観光資源となっている。西伊豆など似た景色もあり、街づくりに参考になると思う。
クノッソス宮殿には多くのフレスコ画が残されていた。考古学博物館に本物があつた。遺跡ではレプリカが展示されていた。
イルカは愛のシンボル
長い間、ゼウスの血をひくミノス王、ポセイドンと怪物ミノタウルスなどギリシャ神話の世界だった。しかし発掘された宮殿のフレスコ画、オリーブやワインの壺、上下水道などかなりの高度な文明が存在していたことが判る。ドイツ人シエリーマン亡き後、その意志を実現した英国人エヴァンスが1900年、3700年前の宮殿を蘇らせた。
での食事は、何箇所かのレストランやカフェでできる。
もっぱら、メインダイニングで取ったが、大勢の客を手際よく捌き、ゆっくりギリシャや各国のフルコースが楽しめた。ワインはギリシャ産でフリードリンクのものにしては悪くなかった。
2日目に、朝早くトルコのクシャダスに上陸、ここはマリアがヨハネとしばらく住んでいた地で、ローマ時代の遺跡がある。下は当時の図書館
隣の県にはマリアの家が遺されている。今やトルコは99%イスラム教で歴史の変転を感じる。
夕方パトモス島に寄港、ここは聖ヨハネ、英語だとジョンがキリストから啓示を受け、黙示録を書いた洞窟と修道院がある。島の山頂の修道院は海賊の襲撃に備え、周囲を城廓で囲み遠目には要塞のようだ。イスラムのオスマン帝国になると海賊は一掃され、皮肉にも安全が確保出来たとは、⁉︎
キリストがヨハネに黙示録を書けというと岩が三方に裂け洞窟ができた。入口にその三つの裂けた痕跡が残っている。又ヨハネが使った岩の書見台が残っており、ここはキリスト教にとってまさに聖地だが、船客の半分も参加してない。
9階の海水プール
エーゲ海を滑るように航行し、夕方最初の寄港地ミコノス島に着いた。1400人近くが降りて観光するので、下船するのに時間がかかり、避難訓練と、同じく1階まで降り、バスに乗るのに1時間くらいかかり大変だ。
ミコノス島は神々が住んでたわけでもなく、遺跡があるでもな
いのにエーゲ海というとミコノス島が人気、マァ建物が真っ白で景色は良いが不思議だ。島中、狭い道は観光客で溢れてた。
すぐ隣にはデロス島があり、ここは嫉妬に狂ったヘラがゼウスの子を身篭ったレトを殺そうと殺し屋を雇い追跡し、レトは逃げ回ったあげく、見かねたゼウスが創造したデロス島にたどり着き、アポロンとアルテミスを難産の末産んだという。太陽と月の女神の誕生地として遺跡がある。ここは大型船が寄港出来ないのでミコノス島から渡し船でしか行く手段は無い。
BC400年代、ギリシャのポリスから選手が4年に1回集まり運動会が開催され、それがゼウス神への奉納行事オリンピックとなつた。参加資格はギリシャ人、男子で世界の植民地からも参加するようになった。ローマ時代まで行われたが、キリスト教の布教が進むにつれ、神々は忘れられ、オリンピックは近代オリンピック開催される迄歴史から消えた。
聖地の中心のゼウス神殿
この中の天井まで高さ12mに及ぶゼウス像はローマ時代後半、コンスタンチノープルに持ちさられ行方不明になっている。世界7大不思議の一つと言われている。附属博物館にはその写真が展示されている。
オリンピックの採火はどこで行われるのか?
ゼウス神殿の後、BC7世紀に建てられたゼウスの最初の奥方ヘラの神殿の手前、石の囲いがオリンピック聖火の採火場所だ。嫉妬深い強いヘラの嫉妬心にも点火するかも!
各地からの奉納品があるが、このイオニア式柱の円形モニュメントは美しい。アレキサンダー大王の父が戦勝記念に奉納し、大王が完成させたものだ。
他にも、日本語になっているジムの語源ジムナジウムの遺跡がある。
ここで参加選手は素ッ裸でトレーニングをするとのこと。
2代目ローマ時代のヘソ
山の中腹に下のアポロン神殿を中心に劇場、宝物殿、競技場、ストアの語源になった土産物屋がある。
こんな山奥でも、デルフィの神託を得るため世界中からやって来た。重要な判断をアポロンから得るためには御布施を包まなければならならない。アポロン神殿の地下で神託を受けた巫女が神官にそれを告げ、御布施を貰って神託を信者に渡す。やがてローマ時代となり御布施の値段次第て内容が変わり、神官達の御殿がデルフィに出現する。
キリスト教の時代になり、神々は忘れ去られ、デルフィは山の土砂に長いこと埋もれて、1893年仏の支援で発掘され、その面影が出現した。遺跡は世界遺産となり、今度は世界から観光客が押し寄せている。
アポロンの出張中はワインの神、下のバッカスが神託を代行した。