自動車業界で、半導体不足を理由にした生産ラインの停止が相次いでいる。自動車の「走る、曲がる、止まる」といった基本的な動きを制御するマイコンと電力を制御するパワー半導体は今や車の基幹部品だ。
70歳代後半の方は「超LSI技術研究組合」という1970年代の国家プロジェクトを覚えているだろう。1975年前後と記憶しているが三菱電機経営協議会で当時の進藤社長が嬉しそうに「ついに当社も通産プロジェクト超LSI技術研究組合に加えてもらえた。半導体は産業の米だから日本にとって必要不可欠になる」と報告した姿が印象に残っている。そのプロジェクトは超LSI技術を研究する目的で設立されたもので、富士通、日立製作所、三菱電機、東芝、日本電気、日電東芝情報システム、コンピューター総合研究所の7社が大同団結して共同研究を進めることになり、トランジスター工場が半導体工場へと変身し、超微細技術の露光装置ステッパーの開発で1980年代には64K,256Kのメモリーで世界のトップにのし上がった。
国家安全保障を考える米国は同じ研究組合セマテックをつくり、日本たたきが始まり、この構図は現在の中国たたきと同じだ。当時日本メーカーは台湾メーカーを半導体生産の下請けにして半導体の大量生産を行って世界シェアは5割をゆうに超えていた。三菱電機も北伊丹の拠点工場だけでは不足する産業の米を、熊本、四国の西条、高知へと最新の工場を建設し、更に供給のバッファとして台湾に生産委託をしていた。巨額な設備投資を回収するため、1年300日稼働とか3交代勤務とかこれまでとは違う勤務体系に苦労し、私も組合員への説明で駆けずり回った記憶がある。
その後、全社の売上げ額以上の投資をする韓国や台湾により、DRAMは競争力を失い、CPUもインテルの牙城に迫ることなくマイコンとか電力半導体などで日本半導体メーカーは生き残るためにルネサスに結集した。今話題の自動車用半導体をそこで生産している。フラッシュメモリーの東芝は再建に伴い半導体部門を分離売却しキオクシア社になっている。
米国はセマテックを継続をしているが、インテル、AMD、エヌビディアなど新旧入り交じって健在でAI-CPUでトップだが、産業の米たるDRAMは台湾のTSMCに依存している。そのためTSMCをアリゾナ州への誘致、さらに他メーカーにも新たなファンドリー工場を米国内に建設するよう要請している。
時代は変わり、日米で半導体を強化しようと首脳会談でも取り上げられたようだが、人材が残っている内にかつての国家プロジェクトのような仕掛けが必要だろう。今でも半導体は産業の米でもあるし、心臓や脳になっているといっても過言ではない。