察する・・・・・・
私の憧れの言葉
もっと的確な言い方だと カラダが察する あるいは、自然と手が出る
空気を読む とは ちょっと違う。否、まったく違う。
空気を読むって 回路の途中で頭に寄り道している感じだ。
そこには、計算高さみたいな損得勘定が見え隠れしていて、まるで、私そのもの。だから、違うと思う。
頭を使わないで、もう、自然と手が出ている感じな人間になりたい。
一生、なれないかもしれないけれど、せめて、一段でも高く察する階段を上りたい。
思いおこせば、私の人生の中で、察する能力のピークは、布オムツを使っている時だった。
布オムツを使っている1歳半くらいまでの18ヶ月×4人=72ヶ月(6年間)は、布オムツをしている子どもたちのおしっこを察するという幸せを享受することができた。
初めて、赤ちゃんを胸に抱いたとき、自分が母親になった実感がわいてこなくて、くすぐったい感じだった。そして、初めて、オムツを替える時、そっと、オムツに指を突っ込んで、おしっこかな?それともおっぱいかな?なんて思いながら、びちょっとした感触に触れたとき、「あ~、私もついに母親になったんだ。」と感無量な気持ちになった記憶がある。
ところで、筋肉をつけるには、地道な日々のマッスル訓練が必要だ。ぼ~っとしていたって筋肉はつかない。せめて、歩かないと・・・・。
察する力のある母親になるのも、筋トレと同じように日々の地道なサッスル(察する)訓練が必要。
母親が、ゆったりした気持ちで、赤ちゃんは、今、どんな気持ちかなぁ~と察して、声かけをいっぱいしながら、育児していれば、育児書なんかなくっても感性豊かな子どもにすくすくと育っていく。きっと・・・。
瞬間、瞬間の赤ちゃんの気持ちを察して声かけてあげるって(表現してあげる・言語化してあげる)って子育てのツボなのだ。
しかし、これが、超難関。東大より難しいかも・・・。お勉強ばっかりで感じることの表現をおろそかにしていると感性にカビが生えているので、自分がどう感じて何を言いたいのか解らなくなっているから、言葉もしゃべれない赤ちゃんの気持ちを察して言語化するなんてそうそうできるもんではない(もちろん、私もそうだった)。
育児不安のため精神的に追い込まれるママの急増と頭に寄り道しちゃうタイプのママの増加は無関係とはいえないと思う。
東大より難しいけれど、布オムツを使えば、そのときだけは、スルスル~っと感性という東大に入れるという点では、ママたちラッキーだよね。空気を読む人間から、自然と手が出る察する人間になりたいと思うママへのトッテオキノ秘密兵器が布オムツなのだよ~ん。つまり、布オムツを上手に使うことで、育児不安が半減するとしたら、どうする?って、愛咲くらは、問いかけているのです。
筋トレというマッスル訓練器 それは、ジム
ママトレというサッスル訓練器 それは、布オムツ
筋トレは、無理してがんばらないといけないけれど。
ママトレは、いつの間にか察する力をつけてくれる優れもの。
ところで、いつも、常に、24時間、1~2年の間、
ママが赤ちゃんのおしっこどうかなぁ?オムツぬれていないかなぁ?と気配りしているオーラに包まれた赤ちゃんってどんな気持ちだろう?布オムツをとおして無条件の愛のオーラをず~っと浴び続けるってなんかよくない?
紙おむつになると、3時間に1回。
最近、オムツなし育児という本のタイトルを見てびっくりした。
オムツなしってどういうこと?って思った。
オムツを使わず、そろそろおしっこするかなぁ?という時を見計らっておしっこをさせて、結果、オムツを使わないってこと?
まぁ、そこまでいかなくても布オムツを使っていると、だんだんそろそろおしっこするかなぁ?という勘所がつかめてくる。自然と・・・。で、2時間位してもオムツがぬれていなければ、「し~と・と・と」っておしっこをさせてみるといっぱいおしっこをしてくれたりするようになる。
すると、なんだか、自分まで気分良くなってきて、次もオムツをぬらさないでみようという気持ちになる。なんだか、気分いいのだ。自分にご褒美をあげたくなる。
そして、次も成功すると、自信がみなぎってくる。自分に満足って感じ。自分が好きになる。
オムツを洗うのも一日3枚という日もあったりして、自分で自分のことをすごくない?ってつい言っちゃう。
夏になると、生後6ヶ月くらいなら、トレーニングパンツ(布製の)をはかせても結構大丈夫なので、お尻さわやかにさせてあげれる喜びに浸ったりして・・・。2時間くらい大丈夫という感じになると、おしっこをしてしばらくははだかんぼにしちゃったりして・・・。赤ちゃんは、むれないしさわやかで幸せ~だよ・・・きっと。
1歳くらいになると、もう、ほとんどオムツがぬれなくなるので、洗濯とかぜんぜん大変じゃないし、水道代なんてまったく問題なくなる。
1歳半くらいになると、トイレットトレーニングなんて意識しなくっても、すでに自然にはずれていく。
もちろん、あんまり意識しすぎて、頻繁に「し~と・と・と」とさせすぎると、赤ちゃんにとって脅迫されているように感じちゃうので、あくまでも2時間か3時間たってもぬれていないときにさりげなく・・・が原則。
一日0枚をめざいたりするのもブーです。あくまでも育児に数字は禁物・・・です。
おしっこを出すために必要な筋肉は、1歳半ころに発達するので、それ以前に、おしっこがたまっていないのに無理してさせるとかなり無理して筋肉をぎゅーっと縮めるので、ストレスになるから要注意!
日々、布オムツを通して、察する訓練をしているママは、きっといつの間にか赤ちゃんの心模様(気持ち)を察する力を便乗して着実につけているんじゃないかなぁ~。
私の憧れの言葉
もっと的確な言い方だと カラダが察する あるいは、自然と手が出る
空気を読む とは ちょっと違う。否、まったく違う。
空気を読むって 回路の途中で頭に寄り道している感じだ。
そこには、計算高さみたいな損得勘定が見え隠れしていて、まるで、私そのもの。だから、違うと思う。
頭を使わないで、もう、自然と手が出ている感じな人間になりたい。
一生、なれないかもしれないけれど、せめて、一段でも高く察する階段を上りたい。
思いおこせば、私の人生の中で、察する能力のピークは、布オムツを使っている時だった。
布オムツを使っている1歳半くらいまでの18ヶ月×4人=72ヶ月(6年間)は、布オムツをしている子どもたちのおしっこを察するという幸せを享受することができた。
初めて、赤ちゃんを胸に抱いたとき、自分が母親になった実感がわいてこなくて、くすぐったい感じだった。そして、初めて、オムツを替える時、そっと、オムツに指を突っ込んで、おしっこかな?それともおっぱいかな?なんて思いながら、びちょっとした感触に触れたとき、「あ~、私もついに母親になったんだ。」と感無量な気持ちになった記憶がある。
ところで、筋肉をつけるには、地道な日々のマッスル訓練が必要だ。ぼ~っとしていたって筋肉はつかない。せめて、歩かないと・・・・。
察する力のある母親になるのも、筋トレと同じように日々の地道なサッスル(察する)訓練が必要。
母親が、ゆったりした気持ちで、赤ちゃんは、今、どんな気持ちかなぁ~と察して、声かけをいっぱいしながら、育児していれば、育児書なんかなくっても感性豊かな子どもにすくすくと育っていく。きっと・・・。
瞬間、瞬間の赤ちゃんの気持ちを察して声かけてあげるって(表現してあげる・言語化してあげる)って子育てのツボなのだ。
しかし、これが、超難関。東大より難しいかも・・・。お勉強ばっかりで感じることの表現をおろそかにしていると感性にカビが生えているので、自分がどう感じて何を言いたいのか解らなくなっているから、言葉もしゃべれない赤ちゃんの気持ちを察して言語化するなんてそうそうできるもんではない(もちろん、私もそうだった)。
育児不安のため精神的に追い込まれるママの急増と頭に寄り道しちゃうタイプのママの増加は無関係とはいえないと思う。
東大より難しいけれど、布オムツを使えば、そのときだけは、スルスル~っと感性という東大に入れるという点では、ママたちラッキーだよね。空気を読む人間から、自然と手が出る察する人間になりたいと思うママへのトッテオキノ秘密兵器が布オムツなのだよ~ん。つまり、布オムツを上手に使うことで、育児不安が半減するとしたら、どうする?って、愛咲くらは、問いかけているのです。
筋トレというマッスル訓練器 それは、ジム
ママトレというサッスル訓練器 それは、布オムツ
筋トレは、無理してがんばらないといけないけれど。
ママトレは、いつの間にか察する力をつけてくれる優れもの。
ところで、いつも、常に、24時間、1~2年の間、
ママが赤ちゃんのおしっこどうかなぁ?オムツぬれていないかなぁ?と気配りしているオーラに包まれた赤ちゃんってどんな気持ちだろう?布オムツをとおして無条件の愛のオーラをず~っと浴び続けるってなんかよくない?
紙おむつになると、3時間に1回。
最近、オムツなし育児という本のタイトルを見てびっくりした。
オムツなしってどういうこと?って思った。
オムツを使わず、そろそろおしっこするかなぁ?という時を見計らっておしっこをさせて、結果、オムツを使わないってこと?
まぁ、そこまでいかなくても布オムツを使っていると、だんだんそろそろおしっこするかなぁ?という勘所がつかめてくる。自然と・・・。で、2時間位してもオムツがぬれていなければ、「し~と・と・と」っておしっこをさせてみるといっぱいおしっこをしてくれたりするようになる。
すると、なんだか、自分まで気分良くなってきて、次もオムツをぬらさないでみようという気持ちになる。なんだか、気分いいのだ。自分にご褒美をあげたくなる。
そして、次も成功すると、自信がみなぎってくる。自分に満足って感じ。自分が好きになる。
オムツを洗うのも一日3枚という日もあったりして、自分で自分のことをすごくない?ってつい言っちゃう。
夏になると、生後6ヶ月くらいなら、トレーニングパンツ(布製の)をはかせても結構大丈夫なので、お尻さわやかにさせてあげれる喜びに浸ったりして・・・。2時間くらい大丈夫という感じになると、おしっこをしてしばらくははだかんぼにしちゃったりして・・・。赤ちゃんは、むれないしさわやかで幸せ~だよ・・・きっと。
1歳くらいになると、もう、ほとんどオムツがぬれなくなるので、洗濯とかぜんぜん大変じゃないし、水道代なんてまったく問題なくなる。
1歳半くらいになると、トイレットトレーニングなんて意識しなくっても、すでに自然にはずれていく。
もちろん、あんまり意識しすぎて、頻繁に「し~と・と・と」とさせすぎると、赤ちゃんにとって脅迫されているように感じちゃうので、あくまでも2時間か3時間たってもぬれていないときにさりげなく・・・が原則。
一日0枚をめざいたりするのもブーです。あくまでも育児に数字は禁物・・・です。
おしっこを出すために必要な筋肉は、1歳半ころに発達するので、それ以前に、おしっこがたまっていないのに無理してさせるとかなり無理して筋肉をぎゅーっと縮めるので、ストレスになるから要注意!
日々、布オムツを通して、察する訓練をしているママは、きっといつの間にか赤ちゃんの心模様(気持ち)を察する力を便乗して着実につけているんじゃないかなぁ~。