よく、マインドフルネスという言葉を耳にする。
『今』の気持ちに集中する・・・みたいな。
でも、私は、それが難しい。
『今』の気持ちがよくわからない。
『今』の気持ちに焦点がうまく合わない。
ピンぼけした写真みたいに。
だから、なかなか『今』の気持ちにシフトしない自分にもどかしさを感じていた。
おそらく、精神的ストレスの大元は、『今』の気持ちを明確に感じ取れないせいではないかと最近、感じ始めている。
『今』を感じた瞬間、それが、不快な感情だとキャッチすると、すぐに、策を講じる思考に陥っていくような気がする。
怒りや哀しみや不安な気持ちを一瞬でスルーしてしまい、その不快な気持ちから、脱出を図ろうとするような。
なぜ、そうなったんだろう?
オンギャーと生まれた時からの、母とのやり取りの中で癖となった生き残り作戦なんだろうか。
幼い私は、母とのやり取りで、不快な感情をすぐに手放すことが、母を振り向かせるよい手段だと感じ取ったのだろうか。
十分に『今』の気持ちを味わわない習慣が、いつしか、『今』の気持ちを味わえないようになってしまったのか。
人生、ピンぼけ。
これでは、人生と言えないじゃない。
よく自分を大切に生きるとか自分ファーストとか聞く。
ふむふむ。
そうだそうだ。
が、しかし、『今』の気持ちをきちんと感じ取ることができにくい人には、わかったつもりで、わかっていない=自分を大切にできない・・・となる。
だって、その自分=『今』の気持ちがピンぼけなんだから。
『心配』な状況に置かれると、なんとか、早く、その『心配』から脱出したくて、解決策にやっきになる。
不快だろうがいい気持だろうが、『今』の気持ちであることに違いはない。
せっかく、『今』の気持ちが存在しようとするのに、不快な『今』の気持ちにすぐに蓋をしてしまう私は、半分しか自分を大切できていないということになる。
何をやっても、満足のいく充実感を味わえないのは、もしかしたら、いつも半分の自分で生きているせいなのかもしれない。