世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●震災復興・原発廃炉・辺野古 住民に寄り添う口先三寸

2019年03月05日 | 日記
日本再生最終勧告 ‐原発即時ゼロで未来を拓く
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地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体 (ちくま新書)
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予想はついていた。フクイチ原発被災者への賠償問題も、宮城・岩手の災害復興も、どこかで住民(人間)が置き去られて、復興が進んでいるように印象づける、コンクリート復興作業が目立つ。


辺野古新基地建設の沖縄県に対する政府の対応も、口では「寄り添う」と言いながら、舌の根も乾かぬうちに、ビンタを浴びせて「問題ない」と菅官房長官が嘯く。

東電は、大爆発事故を起こした当時は、「(1)最後の一人まで賠償貫徹(2)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底(3)和解仲介案の尊重――を宣言している」のだ。

しかし、時間経過とともに、経営幹部の刑事責任回避の目処が立った辺りから、不遜な態度に切り替わった。

こうしてみると、やはり当時声高に叫ばれた「東電解体」と云う主張は正しかったと、思わざるを得ない。

政府や官僚の考えからすると、現地の住民や被災地の住民の、多種多様な意見や要望に応えていたら日が暮れる。あきらかに、その精神で、すべてが実行されている。

しかし、一定の公共的一律性は必要だろうが、個別の問題や要望にも、一定の範囲で、受け入れられる限り、応じてやろうと云う精神が、根本的に書けている。

東日本大震災において、津波で被害を受けた地域のコンクリート堤防など、土建屋とゼネコンが潤う復興政策は、産業の復興が極端に前面に出て、住民の生活レベルへの配慮は置き去りにされているように思える。

つまり、復旧復興と口にしながら、土木工事に精を出しているのが、現在の東日本大震災の復興の姿だ。

過去に、そこに住んでいた人々は、どこへ行ったのか。巨大堤防や橋や道路は、着々と出来つつあるが、そこに住む人々の姿が見えていない。

フクイチ原発事故、安倍が世界に宣言した、いや、野田が「収束宣言」を出した時点から、住民は一気に見捨てられ、現在に至っている。

政府は福島の暮らしの安全性のプロパガンダに精を出すのも、2020年のオリンピック開催が終着点にあるのだろう。

福島の生産物の安全をことさらに強調して、風評被害は撲滅運動にマスメディアを動員している。

しかし、市場の原理だろうか、スーパーの売り場で、福島産の野菜果物、鮮魚の類は、ことごとく安いのだ。それでも、スーパーが閉った後も、それらが売り切れにはなっていない。

正直、国民は、薄々政府の欺瞞に気づいていて、殊更に政府が叫ぶ、安全宣言を一層怪しいと訝っているようだ。

嫌がる住民への帰還政策も、かくたる科学的エビデンスに基づかず強行されている。

しかし、社会共同体を現実可能にする、住民の帰還はかなわず、かなりの、小中学校が廃校になる始末だ。

結局、復興だ復興だと言いながら、大規模な土木工事が行われているだけで、GDPを押し上げただけに過ぎないのだ。

国民から馬鹿にされている民主党の菅政権は、それでも、津波被災地からの復興には、減災を中心とし、自然と調和し、民間の力を尊重した復興すると宣言した唯一の政権だったのだ。

これが覆ったのは、同じ民主党だが、野田佳彦政権になった、ガラリと方針が変えられたことを思い出す。

野田は、財務大臣だった時、事務次官だった勝栄二郎の薫陶を受け洗脳され、方針転換をした流れだが、この中には経済合理性に準拠した復興計画に、大転換したと考えられる。

そして、今の安倍政権において、その大転換は、一層拍車がかかり、住民を放射能に中に住まわせ人体実験でもするかのような政策に舵を切っている。

このような現実を見ると、日本政府も、霞が関も、それを喰わせている国民も、沖縄辺野古に、冷たい目を向けているのと同じ構図なのである。


≪(社説)原発事故賠償 東電は「誓い」の実践を
 福島第一原発の事故からまもなく8年。いまだに損害賠償の話し合いが決着する見通しが立たず、不安を抱える多くの被災者がいる。ゆゆしい事態だ。
 原発周辺の住民が集団で申し立てた和解仲介手続き(ADR)で、国の原子力損害賠償紛争解決センターが示した和解案の受け入れを東京電力が拒み、手続きが打ち切られるケースが昨年から相次いでいる。
 約20件、関係する住民は約1万7千人にのぼる。個別に仲介を再申請したり、正式に裁判を起こしたりする道はあるが、時間も費用もかかる。速やかな賠償をめざして設立されたセンターは、これまでに1万8千件を超す和解を成立させたが、大きな壁に直面している。
 和解案には、文部科学省に置かれた原子力損害賠償紛争審査会が定めた指針を上回る内容が含まれる。これに対し東電は、「一律の増額は困難」「事故との因果関係を認め難いものがある」と反論。賠償額がさらに膨れ上がるのを避けたい思惑が働いているのは明らかだ。
 だが、この姿勢は厳しく批判されなければならない。
 東電は「3つの誓い」として、(1)最後の一人まで賠償貫徹(2)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底(3)和解仲介案の尊重――を宣言している。ところが実際の行動との間に隔たりがあり、センターや文科省は繰り返し、順守を求めてきた。
 原賠審の指針は賠償の目安として重要だが、全ての事象や時の経過による被害状況の変化までカバーするものではない。
 裁判でも事実の認定やルールの解釈には一定の幅がある。まして簡易な手続きで救済を図るのがADRだ。よほど不合理な点がなければ受諾する。それが「誓い」の精神であり、深刻な事故を引き起こした企業の当然の務めではないのか。
 国、とりわけ経済産業省の責任も大きい。国策で原発を推進し、いまは東電の実質的な大株主でもある。危機感をもって監督・指導してもらいたい。
 解決が難航する原因の一つに指針自体の問題もある。事故の直後に定められ、その後何度か修正されたものの、被害の収束が一向に見えないなか、複雑・多様化する実態に対応し切れていない面がある。
 原賠審は、現状を精査し、指針の見直しにむけて検討を始めるべきだ。別途裁判で争っている被災者もいるため、司法判断の行方を見極めたい意向のようだが、それを待っていては救済は遠のくばかりだ。原賠審の存在意義もまた、問われている。
 ≫(朝日新聞デジタル)



≪ 誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗
「やることはやった」で終わっていいのか

■この復興は失敗である
:7月10日投開票の参議院議員選挙に向けて、安倍政権の政策検証が各メディアで行われている。とくに「アベノミクス」と「安全保障問題」に多くの人の関心はあるようだ。
:その中で丸5年を超えた東日本大震災・福島第一原発事故の復興政策については、世間の反応は実に穏やかに見える。すでに政府も集中復興期間を終え、やることはやったかのようであり、被災地もまた何かをあきらめてしまったかのようだ。
:だが、本当はこう言わねばならない。 「この災害復興は失敗である」
:それも単なる失敗ではない。
:私たちが何年もかけて反省をし、もうこれ以上の失敗を重ねないよう議論をしつづけ、制度にまでのせようと努力していながら、その反省を吹き飛ばすかのように最悪の結果を導いた、そのような失敗である。
:この失敗の原因はどこにあるのか。何をどう問題視する必要があるのか。そのなかで震災時から災害の処理を担当してきた各政権をどのように見たらよいのか。9ヵ月後にはついに丸6年を迎えるこの微妙な時点で、あらためてこの震災復興の問題を考えてみたい。
:津波被災地では、長大な沿岸に巨大防潮堤が延々と築かれている。だがこのまま建設をつづけても、その背後に住む人はほとんどいない、そういう事態を招きつつある。
:奇跡の一本松で有名な陸前高田でも、いったいこの盛り土の上に誰が住むのかという奇態な高台造成が進んでいる。漁業や観光で生業を営んでいた人々にとって、復興事業が――正確には復興の前提となる防災事業が――復興の大きな障害になってしまった。被災地・被災者を応援するはずの復興事業が地域を死の町へと誘っていく。
:福島第一原発事故の被災地では、帰還政策が盛んに進められている。除染とインフラ整備が復興の基本であり、この地への早期帰還が目論まれているが、廃炉にまだ何十年もかかる被災地に、おいそれと人が戻れるわけがない。
:ましてそこで子育てなどできるわけはなく、帰還政策は早期決着による賠償切りと政府や東電の責任回避のためとみてほぼ間違いがない。
:こんな政策で被害者の生活再建につながるわけはない。巨額な資金を投じながら、それらのほとんどが被災者たちのための復興ではないものに使われている。
:一体何が起きているのか?

■復興にかける時間を考える
:現状批判をさらに続けよう。
:本来、仮設住宅は3年が限界と言われてきた。これは、建物の限界ではもちろんない。むしろそこに暮らす人の限界、もっといえば社会の限界である。
:「仮の暮らし」を続けるのにはやはり3年が限界、そして地域の復興も3年を超えれば難しくなり、3年までにもとの地域を立て直し、なりわいを取り戻さなければならない。その限界が3年なのである。
:にもかかわらず、なにか当たり前のように、5年経ってもまだ復興の目処はつかず、多くの人が仮の暮らしのままにある。私はここで「復興を急げ」と言いたいのではない。こんな復興政策では、いくら急いだって復興はできない。もっと原点から考え直さなければならない。政策そのものを立て直さなければならないはずだ。
:今述べたのは津波被災地の実情である。原発事故災害の状況は、時間に関しては大きく違う。が、事態の根幹は同じようだ。
:原発事故についても政府はその復興をやたらと急いでいる。単純にいえば、5年(ただし始まったのが津波被災地よりも遅いのでプラス1年で、事故発生から6年)で避難元へと避難者を帰すという帰還政策が復興政策の柱だ。
:だが事態の大きさや、原発事故という災害の質から考えてそのような政策は無理である。帰還は簡単ではなく、すでに避難指示が解除された地域でも、まだほとんどの人が戻れていない。それは当然であり、ここでは帰還までに用意されている時間が短すぎるのである。
:そもそも廃炉に30年はかかり、40年でも実現可能かどうかというのが公式見解である。撒き散らされた放射性物質も、半減期の長いものでやはり30年。さらに人々が気にするのは子どもたちへの影響であり、世代が一サイクルするのにやはり30年かかる。
:しかもここでは自治体丸ごとの長期広域避難を余儀なくされ、地域社会はまるっきり壊れてしまった。いったん崩壊した社会の再生にもやはり、30年程度の時間がかかる。原発事故災害の復興にかかる時間は、つまりは最低限でも30年はかかるというべきだ。
:事故から丸5年が過ぎた。少なくともあと25年はその事後処理をつづけなければならない。その覚悟が必要なのに、なぜか6年を目処に復興を終了させようとしている。そして帰還しようとしない被害者に対し、「なぜ帰らないんだ」とのイライラさえ政府の間で募りはじめてきた。
:例えば、朝日新聞2016年2月1日付では、自民党東日本大震災復興加速化本部の幹部の話として、「住宅提供があるから戻らない住民もいる。いつかはやめなければいけない」という声が拾われている。
:だがその前に正すべきは、この政策の失敗である。はじめからうまくいかない復興政策だから、誰も戻ろうとしないのである。政策の失敗を被災地/被災者に責任転嫁するのはやめるべきだ。
:間違いのもとを正し、進むべき道筋をあらため、人々の声をよく聞き、着実な形で生活再建・地域の復興がなされるよう、慎重になすべきことを見極めなければならない。

■大規模公共事業の否定と住民参加
:今回の震災復興の失敗は、しばしば震災初期に掛け違えたボタンにたとえられる。
:震災発生から1年ほどの早い時期に、ボタンが間違えて掛けられてしまった。そして掛け違えたまま、間違った復興が急がされ、今日までつづいている。そのボタンを元に戻さないと、本当の復興には行き着かない。
:むしろ進めれば進めるほど、復興政策が、被災地の/被災者の復興を阻害する。間違った復興政策が復興を長期化し、長引く復興を急がせようとして、さらに事態をこじらせ、復興はもはや不可能な状態にまで陥ってしまった。
:だがこの失敗がどうにも良く分からないのは、私たちがこの事態を予想できないものであったのなら、これもまた「想定外」の一つとして片付けることもやむなしというべきだが、どうもそうではないということだ。
:ここで起きていることは、今回震災が生じてはじめて気付いたというよりは、すでに90年代後半に気づいていたはずだ。分かっているのにそうなってしまう――この構造が不気味なのだ。
:私たちはすでに90年代にはこう議論してきた。私たちが直面している問題は、もはやこれまでのように巨大な土木事業では解決できない。むしろ大規模な土木事業が環境を破壊し、私たちの暮らしを壊している。
:お金が使えるからといって、予算が付くからといって、無闇に土木事業を興すのはやめよう――。この反省がバブル崩壊後には、実際の政策にも移され、土木事業にはその必要性の説明が強く求められ、アセスメントが義務づけられ、巨大な事業は基本的には認められなくなっていた。
:2000年代初頭の構造改革も、こうした思考を前提に進められたものであったはずだ。
:加えて90年代以降は、こうしたことも常識になっていった。 :今後はどんなことでも住民の参加が必要である。上意下達で決めて、下々の者は上の者に従えば良いと考える時代はもう終わった。民間の力を組み込み、官民共同で進めるべきである。
:その民間の力をより多く引き出すために、98年のNPO法(特定非営利活動促進法)もつくられた。いまとなっては、そのきっかけが同じく時代を画した大震災(1995年阪神・淡路大震災)であったのも皮肉な話といえるかもしれない。
:大規模土木事業による問題解決法の否定。そして上意下達の政策形成から、官民共同、住民参加を基本にした政策形成への転換。
:90年代のこの転換は、例えば平成9年(1997年)の河川法の改正などに現れている。それまでの治水と利水という、人間のための改変のみで自然に向き合うあり方を反省し、環境への配慮が河川法のもう一つの大きな柱として加えられた。
:そして人が暮らす環境を守ることで、人間自身にも優しい暮らしのあり方を取り戻そうとした。これが河川法改正の目的であり、事実ここから「脱ダム」のようなことも政策として浮かび上がってきたのである。
:そして同じく河川法改正のもう一つの柱が住民参加であった。それまでは政府と省庁(とくに当時の建設省)で事業の内容を決め、実施されてきたものが、住民参加や協同を組み込むことの必要性が謳われた。
:それはまた、住民参加抜きで本当に住民のための政策はできないことを意味していた。そこに暮らす住民自身が参加し、汗をかき、協働することではじめて、より良い環境を手に入れることができるのである。
:この河川法の考え方が、数年後の海岸法改正にも生かされていったのだから、今回の津波災害からの復興が、大規模な土木事業を主体とし、住民参加を否定して、次々と巨大な構造物を作り続けるプロセスとして姿を現したことは、全く持って理解に苦しむ。
:要するに、私たちは90年代までに反省し、2000年代にはその制度で運営を進めていたにもかかわらず、どこかでこうした動きへの反動・反発が起き、この震災では完全に古い体制を呼び戻して、誰にも止めれれない事態を作り出してしまったことになる。

■相互無責任体制がもたらした失敗
:しかしそれも、5年もやってもはや復興政策として破綻しているのだから、もうこの道はあきらめ、別の方向へと転換すべきなのである。
:だがこの国は、何かが動き出すと、これではダメだと分かっていても止められない。どうもそういう体質を持っているようだ。それどころか、それぞれの事態の起動には必ず誰かが関わっているはずなのに、その責任の追及ができない。
:いやそもそも誰がはじめたのか分からない構造にさえなっていて、事態の悪化が予測されても、その軌道修正を行うことを難しくしている。相互に無責任なまま事態が進み、気がつけば取り返しのつかない場所へとはまり込んでいく。
:しかもそこに、色々な体面や面子さえ働いている。とくに原発事故についてはその傾向が強いようだ。東京オリンピックの誘致にあたって、安倍首相が福島第一原発についてとくに触れたことはまだ多くの人の記憶に残っているはずだ。
:「原発事故の日本」というイメージを早く払拭したいという海外に向けた体面が、帰還政策の根源にはありそうである。そこには、原発事故をいつまでも抱えていてはこの国の経済に悪影響が及びかねないという経済界の懸念もあるようだ。
:また、海外に向けた体面とともに、国内における被災自治体の立場にも触れておくべきかもしれない。事故から5年が経ち、被災地ではこの復興を失敗だということは、面子としても難しい。
:とくに福島県が「福島の安全」をことさら強調し、例えば風評被害の阻止に専心するのも、どこかで「安全だ」と言わねばならない難しい立場があるからだ。そこに現に暮らしがある以上、「今は心配ない」「不安に考える必要はない」と強調するのはおかしなことではない。
:だがこの被害は実害であり、そのこともまた認識しているから、「イチエフは止まってはいない」「フクシマは終わっていない」「福島の現実を知ってくれ」という主張も同時に行われている。
:しかしこれに対して暮らしの安全性を強調し、福島の生産物への風評被害撲滅をことさら運動することは、結果として被災地の安全性までも肯定することにつながり、政府の帰還政策を正当化して、帰還しない人々はその安全宣言に逆らっているのだという論理にまで行き着きいてしまう。福島県や県民自身が、政府や東京電力の責任逃れを助長している面が否めない。
:結局、復興と称して多額の金をつぎ込みながら、現地復興には何ら寄与せず、被害者を守ることにさえ失敗し、大規模な土木事業を再開して、公共事業国家に先祖返りしてしまった。
:さらには、まさに原発事故が起きたことによって長らくの懸案であった放射性廃棄物の収容地が登場し、原発政策を整合的に動かしていく道筋がついに見えてきた――。原発事故が原発政策を肯定し、完結させる。そういう形にまで事態は展開しそうである。
:被災地・被災者のために始まったはずの復興政策が、全く別の人々に恩恵を与える形で、当初の向きとはまったく違う方向へと早い時期に舵を切ってしまっている。
:こうした展開はしかし、だれかが描いたシナリオというよりはむしろ、この国の無責任体制、それも相互無責任体制がなし崩しに引き寄せたもののようである。
:この国には、自らが行っていることに対する自己検証と、そこで起きていることへの責任追及が欠落するという恐るべき体質がある。
:私たちがいま解き明かさねばならないのは、この体質だ。もちろんそれは文化に基づいてもいるので、容易に修正できないだけでなく、別の面では、この国の「くらしやすさ」、活力、統率力にもつながってきた可能性があるので、簡単に全てを否定はできない。
:とはいえ、この復興に決着をつけるにあたっては、まずはこの体質を反省するところから論をはじめねばならないようだ。そのためにはやはり目の前起きていることをしっかりと総括していく必要がある。
:この復興政策の失敗を認めよう。失敗している政策をこれ以上進めるのはやめよう。失敗の責任を認めよう。その責任の所在は、この国にある。しかし、この国の責任とは、政府や省庁もさることながら、当然、国民自身にもその一端がある。相互無責任社会の責任は全体でとるしかない。

■この国の「本当の課題」
*一部省略
■本当の意味での復興はできない
:この国はどうも、政治も国民も、そして行政も含め、本当のことを言い、本当の気持ちを伝え、本当に必要なことを一緒になってしっかりとやっていく能力に、大いに欠けているようだ。
:みなどこかで遠慮して、本音を言わずにすましている。しかし裏ではぐずぐずと文句を言い、政府は国民を、国民は政府を馬鹿にもしているのである。
:そして結局、声の大きい人に引っ張られて、やるべきでないことを容認し、そしてやったことが失敗すると、誰かに――それもたいていはもっとも声の出せない弱者に――その責任を押しつけようとする。それもこれもすべて結局は、他人任せの国民性に由来する。 
:この論の冒頭で「復興政策が失敗だ」というのはそういう意味である。まずは、おかしいものはおかしいと言えなければ、私たちはこの国を守ることはできない。この国の平和は維持できないし、自然との共生もできない。持続可能な国家はありえない。
:もっと落ち着いて事態を見据え、誤った政策を改め、本当に必要なことができるように、この国の政策形成過程をこの際しっかりと立て直すべきだ。
:東日本大震災は、こうした日本という国がもつ、もっとも異様な姿が表に現れた災害だったというべきかもしれない。津波そのものは自然のことであり、これはただ受け入れるしかない。
:それに対し、本来避けられたはずの原発事故が起きたのは、この国の歪みを具現化した象徴的な出来事であった。だが本当に異様なのは、その後の過程である。この復興の失敗は避けられたはずだ。作動を誤って、私たちはこの震災を受けた衝撃以上のものにしてしまった。
:この震災・原発事故は、近く復興を終了するどころか、これからさらに大きな展開を見せることになるだろう。今はまだ小康状態にすぎない。この震災も原発事故もまだ終わっていない。むしろ問題はこの5年で大きく拡がり、今後事態はますます複雑化していくはずだ。
:東日本大震災からの復興過程には、この国の危うさが現れている。しかも、その危うさに多くの人が気づかないでいたり、あるいは気づいていたりしてもあえて問わずにいることに本当の問題がある。このままでは本当にまずい、と心から憂える。
:2011年3月11日から6年目に入った。この復興政策で本当に現地の再建はなしうるのかと、メディアは問題にする。だがもうすでに5年が経過しているのだ。もはや本当の意味での復興はできないというべきだ。 :この復興政策は失敗だ。
:そこからスタートすべきである。その認識の上で、根本から政策のあり方を見直して、今からでもよい、可能な復興のあり方を再構築し直し、また今後こうした失敗が二度と起きないよう、何がこうした事態を引き起こしたのか、十分な検証が行われることを望む。
:そしてそれはやはり選挙がどういう形で行われるか、その結果、政治の布陣がどうかわるかに大きくかかっている。私たちはなかなか変わられない。
:しかし選挙はそれを変える重要な機会なのである。どんな立場の人であれ、この国の政策形成過程に問題を感じ、それを正すような抜本的な改革に取り組む人にこの国の主権を委ねるようでありたい。それは国民にも相応の負担をもとめるものであるはずだ。
:優しいことを言い、依存を助長する人こそ疑うべきだ。むしろ私たちの政治に向き合う姿勢の危うさに厳しく釘をさす人こそが、実は国民の本当の声に応える人なのである。

*山下祐介(やました・ゆうすけ) 首都大学東京准教授。1969年生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。弘前大学准教授などを経て、現職。専攻は都市社会学、地域社会学、環境社会学。

[参考文献] 小熊英二・赤坂憲雄編2015『ゴーストタウンから死者は出ない 東北復興の経路依存』人文書院 山下祐介2013『東北発の震災論 周辺から広域システムを考える』ちくま新書 山下祐介2015「東日本大震災・東京電力福島第一原発事故 隘路に入った復興からの第三の道」『世界』2015年4月号、岩波書店、84-93頁 山下祐介・市村高志・佐藤彰彦2014『人間なき復興 原発避難とこの国の「不理解」をめぐって』明石書店 山下祐介・金井利之2015『地方創生の正体 なぜ地域政策は失敗するのか』ちくま新書
≫(現代ビジネス:社会:首都大学東京准教授・山下祐介)



≪東日本大震災8年、復興なお途上
 空から見た被災地 ゴルフ場に敷き詰められた太陽光パネル、海岸線に壁のように立つ防潮堤――。1、2の両日、東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故の発生から間もなく8年を迎える福島、宮城、岩手の3県を上空から取材した。大きく変貌した被災地の眺めは、震災と原発事故が地域に与えた影響の大きさと、復興が今なお途上にあることを物語っていた。

■太陽光パネルで埋まるゴルフコース
*一部省略

 
福島第1原発事故の影響で廃業したゴルフコース上に設置された太陽光発電パネル(1日、福島県富岡町)

町内には17年完成の大規模太陽光発電所「富岡復興メガソーラー・SAKURA」もあり、原発事故の影響で増えた遊休農地の利用が進む。

■広がる汚染土仮置き場 黒色の土のう袋が並ぶ汚染土の仮置き場はさらに広がり、雑草が茂る周辺の荒れ地とともに重苦しい雰囲気を漂わせる。


 
仮置き場に山のように積まれた除染廃棄物(1日、福島県富岡町)

■埋立処分場に搬入次々と 国の事業で汚染された廃棄物の埋立処分場として17年から稼働する同町の旧フクシマエコテッククリーンセンター。トラックが次々と廃棄物を搬入し、緑色のシートで覆われた袋が段状に積み重なっていた。

■立ち並ぶタンク群 
*一部省略
 
廃炉作業が続く福島第1原発の(左奥から)1号機、2号機、3号機、4号機。手前は汚染処理水などが入ったタンク群(1日、福島県大熊町

■東日本随一
 気仙沼大島のアーチ橋 気仙沼市では復興道路として国が整備を進める三陸沿岸道路が延伸工事の真っ最中だ。橋脚を増やしたり、橋桁をかけたりする工事が行われている。同市の離島である大島と本土を結ぶ「気仙沼大島大橋」は4月に開通予定。橋脚間は297メートルで、東日本随一の大きさだ。橋の上に架かる真っ白なアーチが印象的で、島民の利便性向上や島内観光の活性化が期待されている。


 
4月7日に開通予定の気仙沼大島大橋(2日、宮城県気仙沼市)


■幅約90メートルの巨大防潮堤 同市の小泉海岸では巨大防潮堤の建設が進む。高さは14.7メートル、幅は約90メートルの威容だ。


 
宮城県気仙沼市の小泉海岸で建設が進む巨大防潮堤。高さ14.7メートル、幅は約90メートルに及ぶ(2日)


■閖上地区に新生活圏
*一部省略

 災害公営住宅が立ち並ぶ宮城県名取市の閖上地区。手前は仙台市若林区の海岸公園(写真上、2日)。写真下は津波被害から間もない様子(2011年3月18日)

■壁のような防潮堤
 岩手県陸前高田市 陸前高田市の上空に入ると、そびえ立つ壁のような建設中の防潮堤が目に入った。土地のかさ上げ工事に伴いクレーン車やトラックが激しく行き交い、土ぼこりが舞う。

 海岸沿いで進む防潮堤の建設工事(2日、岩手県陸前高田市)

かさ上げした土地に約2年前にオープンした商業施設「アバッセたかた」の駐車場には多くの車があり、にぎわいを感じさせた。

■新設のラグビーW杯会場
 岩手県釜石市 今年9月開幕のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の試合会場で、唯一新設された岩手県釜石市の「釜石鵜住居復興スタジアム」では、手入れの行き届いた黄緑色の芝生が鮮やかに見えた。スタジアム周辺には多くのクレーン車が配置され、周辺の道路整備などを急いでいるようだった。


 ラグビーW杯の会場となる釜石鵜住居復興スタジアム(2日、岩手県釜石市)

■写真で見る8年目の被災地

廃炉作業が続く福島第1原発の(右から)1号機、2号機、3号機、4号機。奥には汚染処理水などが入ったタンクが並ぶ(1日、福島県大熊町)


 
工事が進む三陸沿岸道路(2日、宮城県気仙沼市)

 


23日に運行を開始する三陸鉄道リアス線。訓練運転の車両が走行していた(2日、岩手県山田町) 



2011年3月14日撮影の岩手県大船渡市内(写真上)と現在の様子(同下、2日)

≫(日経新聞)


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