世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●8月30日は散歩ついでに議事堂散策 そして叫ぼう、安倍やめろ!

2015年08月09日 | 日記
ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)
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●8月30日は散歩ついでに議事堂散策 そして叫ぼう、安倍やめろ!

以下のように、日刊ゲンダイが希望的観測記事を書いている。日刊ゲンダイは、最低限度の「道義」(人が踏み行うべき、正しい道)の欠片くらい、安倍晋三や日本会議の連中に存在しているに違いない、と云う前提で、記事を書いている。鈴木哲夫も、同様の視点で、60日ルールなんて、容易に使えないだろうと考えているようだ。しかし、筆者は、安倍や日本会議の連中に、「道義」への細い糸でも残っていると考えるのは、相当に虚しい願望なのだと思う。

ただ、参議院の特別委員会の鴻池祥肇委員長が、男気を出して、採決の延長を宣言したとして、60日ルールは、菅官房長官が「粛々と法に則った手続きを開始すると言うに違いない。参議院自民党議員の多くが、「鴻池委員長、せめて参議院は採決なしに持って行ってくれ」法案を決定したの衆議院議員と云う形に持って行きたいのは、参議院与党議員らの総意である。辺野古新基地も、ただ休み時間を官邸に与えた、翁長の裏切りなのか、王道を行きたがる虚栄心なのかどうか判別できないが、単に官邸にとって都合のいい、ブレイクタイムに過ぎない。

 「戦争法案反対」のシュプレヒコールに埋め尽くされた“10万人デモ”が、「30~50万人デモ」になっても、安倍と日本会議の連中は、「戦争法案」を60日ルールに乗せるだろう。そのくらい「理」に反した「無理」な法案であることは、百も承知だろう。しかし、閣議決定でクーデターを起こした政権が、ここで「道理」「道義」を感じたら、負けなのだ。安倍はこの際、日本会議に殺されるか、米軍に殺されるか、霞が関に殺されるか、いずれにせよ「戦争法案」の廃棄は、万死が待っている。しかし、通過させれば、殺される事態は回避できる。国民の側に、そこまでの暴力性はないからだ。そして、そのように安倍が考えても不思議ではないところまで、安倍は追い込まれている。

つまり、ここで退却したら、安倍晋三は四方八方から狙われ、いつまで生きていられるか判らない、只の衆議院議員になるだけだ。恥さらしの上に、四方八方から命を狙われるような選択をするはずがない。そう考えるのは、奇妙だが合理的で、理に適っている。ことが此処まで進むと、悪事を成し遂げる方が、理にかなうと云う矛盾が起きるのだが、電通方式と霞が関方式の混合部隊で推進した流れには、総理の生き死にに関わるレベルになっていると云う事だ。

もう安倍官邸でも、自発的に廃案にする決定権はないのだろうと忖度している。あまりにも緻密に計画が進み過ぎたのだ。もう安倍には、山口県選出の自民党衆議院議員以上の地位はなくなる。しかし、マッチポンプの掛け合いで国民を騙してきた首相夫婦の漫才も終わる。仮に、安倍晋三が廃案方向に舵を切る時は、再度の解散総選挙に打って出る道が残されている。これは、筆者はあるのでは、と思っている。自ら廃案を決定するのはヤバイ。それを逃れる方法は、解散総選挙しか残されていはずだ。国民の過半数を殺すことは不可能だし、安倍は刺客から逃れられる。

そういう意味で、8月30日のデモは「反戦争法案」の集大成として、かなりの価値がある。どこかで、筆者も議事堂を囲むデモの一員になっているだろう。国家緊急権の発動と云う禁じ手まで行かないまでも、警察法による“緊急事態の布告”なんてしないだろうが、50万に位の規模になると、小便を漏らしながら、今の官邸ならやりかねない。或る意味で、10万人オーバーくらいで、充分な国民の意志表示になるだろう。その時は、安倍政権は立ち往生、ヤケクソを起こすよりは、解散権の行使に踏み切る可能性が一番ありそうだ。ただ、安倍の考えだから、この読みに自信はない(笑)。

 ≪ 安倍官邸が怯える8月30日 「安保反対10万人デモ」の破壊力
 安倍周辺が「最後の日曜日」に警戒を強めている。夏休み最後の日曜日(8月30日)、10万人規模の「反安保デモ」が予定されているからだ。もし、10万人が国会を包囲したら、憲法違反の「安保法案」は廃案になっておかしくない。

 「安倍官邸はいまからピリピリしています。学生グループ『SEALDs』が毎週金曜日、国会周辺でデモを行っていますが、参加者は2万~3万人です。10 万人が国会周辺に押し寄せたら、革命前夜のような雰囲気になりかねない。台風でもなんでもいいから、デモが中止になって欲しい、というのがホンネです」 (官邸事情通)

 実際、首相周辺は、デモを潰そうと必死だ。安倍チルドレンの筆頭、武藤貴也衆院議員(36)は、SEALDsのことを〈利己的な集団〉と誹謗し、自民党 の幹部職員は〈チンピラ〉と罵倒している。デモに参加する学生をおとしめることで、これ以上、賛同者が広がらないように画策しているのはミエミエだ。

 警察による規制もどんどん強まっている。国会周辺の道路には鉄柵が張り巡らされ、警察官がズラリと並んでいる。デモを行っても、簡単には国会に近づけない。

 安倍官邸がデモ潰しに必死なのは、もし10万人を超えるような大規模デモが行われたら、参院での強行採決も、60日ルールを使った衆院での再可決も難しくなるからだ。

 「もともと、自民党の参院議員は強行採決はやりたくない。彼らには、良識の府という自負心があります。なにより、1年後には参院選が控えている。選挙の 時、野党から攻撃されるのは確実なだけに、世論に敏感になっている。10万人の大規模デモが行われたら、強行採決に二の足を踏むはずです」(政治ジャーナ リスト・鈴木哲夫氏)

 ポイントは、特別委員会の委員長が鴻池祥肇氏だということだ。

 「鴻池さんは、思想信条は“右寄り”ですが、任侠というか、スジを通すタイプ。先日も、委員会で 『参院は衆院の下部組織ではない』『官邸の下請けではない』と宣言している。たとえ安倍官邸が強行採決を命じても“まだ議論が尽くされていない”“国民は 納得していない”と考えたら採決しないと思う。参院が採決しない場合、衆院が60日ルールを使って再可決するのは、現実問題、難しいでしょう。結果的に廃 案になる可能性があります」(鈴木哲夫氏)

 すべては世論の盛り上がり次第だ。首相周辺は、8月30日のデモをなんとか4万~5万人程度に抑えたいらしいが、こうなったら10万人ではなく、30万人で国会を包囲するしかない。 ≫(日刊ゲンダイ)

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6 コメント

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Unknown (名無し)
2015-08-11 00:05:26
オトポールの拳骨マークがデモで見かけるようになったり都合の悪い情報は全く取り扱わないマスゴミがあべ政治を許さないのプラカードを掲げたSEALDsを異様に報道するのを何か変だと疑っていましたらボロがでてきてやっぱりこんな事だったねーでした
URL規制で投稿できませんのでタイトルで検索をして下さい

【話題】李信恵、SEALDs奥田愛基、しばき隊、有田芳生議員が飲み会 [8/9]


妄想癖あんぽんたん安倍は体制側の傀儡で総理大臣が代わっても交代要員はいくらでもいます(次はゲルでしょうか?)
宗主国の既得権益のYesマン植民地日本を自立して立派な民主主義国家と思わせたり、全て安倍が悪いという誘導(原発事故当初のスッカラ菅直人ガーに似ている)を仕掛けて本丸に気付かせないようにしていますね
三流政治役者の国会をデモのターゲットにするより黒幕のアメリカ大使館、CSIS関係の組織、多国籍企業や日本の財閥の方じゃないのと思いますよ
田中龍作氏のツイートでこんな事もありました
小林節名誉教授が言うように「戦争法案を世論で廃案に追い込むことはできない」だろう。しかし世論の力で安倍内閣を退陣に追い込むことはできる
一般国民の発言ならまだわかりますが仮にも慶応の憲法学者が日本の支配構造を理解していないとは考えづらい
この人は改憲をする先駆け的な役割を任されていて過去に国会で大芝居をして国民の大多数を騙し除染利権や食べて応援を蔓延させている原因のコンベアー式なんちゃって食品放射能検査機械導入を推進した児玉龍彦と同じような臭いを醸しているような気がして仕方ありません
大多数のデモに参加している人達の善意を利用して誘導しているウヨサヨプロレス担当の三文芝居はもうウンザリです
定番のウヨ側は在特会や議員の大西、磯崎だけじゃ煽りきれないようでニューフェースの武藤が加わって飼い犬が吠えて多くの人が冷静に観察できなくなっていています
世論誘導の本家本元アメリカ様お抱え組織が出っ張ると電通や博報堂とは格が違い統率されていますね

今福一がトンでもない水蒸気を出しながら臨界をして福島を中心に異常な高湿度をともなった温暖化をしておりこんな状況でデモをするのはどうかと思います
大手銀行の口座から貯金を全額下ろして戦争屋の資金源を断ち武器輸出関連企業の徹底した不買をするサイレントデモのやり方もあります
国民の3割が預貯金をおろしたら体制側はビックリするはずですし、健康被害覚悟でデモに参加をするにしても真っ先にする行動だと思います
まぁデモに潜り込んでいる体制側の草連中や広報機関のメディアは経済界に不利になるような発言はするわけありませんか
Unknown (武尊43)
2015-08-10 14:10:18
まぁ、止まらないでしょうね。
だって彼らが自主的に作った法律ではないですからね。伴食大臣というよりも伴食政治屋に成り下がっている奴らに止める根性もないでしょう。
日本会議とアメリカのネオコンが結託しちゃあ、もう恐いものはないって感じかなァ、、。
空理空論で国民を弄んでいる連中に引っ張られて行ってしまう悔しさだけが心残りですね。
 それでもフラストレーション溜まっているから、私も行きますわ(笑)7/25は仕事でキャンセルしちまったんでね。
デモの一員 (てんどん)
2015-08-09 19:28:52
なんと、あいばさんが「筆者も議事堂をかこむデモの一員になっているだろう」とは。

イメージ的には、デモで混乱する議事堂周辺の様子を電波なりネットで透かし見るようにして、ニヒリズムの立場からコメントを吐くんだろう、と思っていたので意外です。

私も30日は新幹線で上京しようかな。
デモの一員 (てんどん)
2015-08-09 19:28:50
なんと、あいばさんが「筆者も議事堂をかこむデモの一員になっているだろう」とは。

イメージ的には、デモで混乱する議事堂周辺の様子を電波なりネットで透かし見るようにして、ニヒリズムの立場からコメントを吐くんだろう、と思っていたので意外です。

私も30日は新幹線で上京しようかな。
Unknown (Unknown)
2015-08-09 19:09:50
どうもこんにちは。8月30日は多分10万人集まるか怪しいのが私の個人的意見でございます。まあ、最近のネットでのSEALDs叩き拡散は異常ですけれども、日本人の事だから「ん? そうなのかな?」と思う人も結構居るような気がするわけで、それくらい日本人の意識は低いと思った方が良いと思います。もう世界最底辺なくらい。
とは言え、別にそういう事が理由じゃなくて10万人集めるなら社会人が中心にならないといけないでしょうね。学生は『夏休みの宿題』で忙しいですから。(笑)
ただ、前にも言いましたけれども私は政府やメディア、米国じゃなくて国民の側に問題があると考えているので、10万人集まろうが、その内の半分が選挙に行っていない現実にどうも加害者が被害者面している感が否めなくて、素直に称賛も賛同も出来ないのですが、多分、自民党国会議員の誰かが「貴方たちの半分が選挙に行ってないから俺たちは安保法を通せる数を得る事ができたんだ」と言うと、バツが悪くなってこのデモは収束してしまうんじゃないかってくらい脆いような気がします。
戦後70年の内、ほぼ60年以上が一党独裁という民主主義ではあり得ないことを国民が続けるから自民党と官僚の癒着が酷くなっているわけで、これを断ち切るならお灸を据えるなんて考えは捨てて、時間は相当かかるだろうけど政府が国民の側を向くまで何度でも代えていく必要があると思います。公約を守らなかった政党の議員はもう2度と当選させないくらいの気概を見せないと、「どうせ国民は何も考えていないからまた自民党に戻す」なんて思われてしまって結局は政府と官僚の癒着を断ち切れなくなるんじゃないかなと。
「山形明郷史観こそ東アジア共通の歴史」 (愛新覚羅溥儀)
2015-08-09 16:30:41
養老教授に拠れば、「バカの壁」とは、以下の如き意味である。

1) 自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっ
ている。ここに壁が存在している。

2) 「常識」=「コモンセンス」というのは、「物を知っている」つま
り常識があるということではなく、「当たり前」のことを指す。とこ
ろが、その前提となる常識・当たり前のことについてのスタンスがず
れているのに、「自分達は知っている」と思ってしまうのが、そもそ
もの間違いである。

3) バカの壁というのはある種、一元論に起因するという面がある。バ
カにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう
側が存在しているということすらわかってなかったりする。

以上をここに敢えて引用したのは、我が国の歴史学者や歴史マニアの頭脳中
に、古代東アジア史・日本史に関する「バカの壁」と表現されるべき頑迷固陋
な虚構の「定説」が構築され、厳然として存在しているが故に他ならない。

すなわち、彼ら研究者は自分の好み・信奉する定説に拘泥し、自主的に情報
を遮断している。又、「定説」=「常識」で、「自分達は知っている」と思っ
ている。しかし、その大前提の筈の「常識=定説」自体に根拠が無く、定説が
定説足り得ない「ずれ」を理解することができず、その結果、定説の「バカの
壁」の向こう側に真実が存在することを全く認識できないでいる。

周知の「邪馬台問題」などは、パスポートなどあり得ない古代に、現在の行
政区分である日本国家を一元論的中心として歴史を語っていて、三百年以上も
この巨大な「バカの壁」の内側で不毛な論争に明け暮れている。


今、ここで改めて言うまでもなく、戦後、歴史は各自が自由な観点に立って、
自由な研究解釈がなされるようになった。このこと自体は、学問の自由という
点からすれば、極めて喜ばしい限りと言える。

その好例が、戦前と戦後の国史に関しての見解である。その見解が全く異な
ってきたことは誰もが認める事実であり、霊的世界の霊的存在の如き歴史観は、
最早、誰もが見向きもしなくなった。

だが、しかしである。そうは言うものの、歴史の自由研究・自由解釈という
その底流には、かつての権威・アカデミストと称された一部の学者達によって
打ち建てられた、一元論の極みである「皇国史観」がうごめいているのであり、
現在まで依然としてその残滓を拭い去ることができずにいることも否めない。

しかもその残滓的存在にしか過ぎない根本的定説・定見は、自由に歴史を研
究している人々に何等疑義視されずに自由に研究・解釈されていて、その定説
定見の存立根拠が問題視され検証されることが全くないように見受けられる。

と、言うことは、一見自由に歴史を解釈し研究している人々も、逆に眺めれ
ば、過去の「権威」の打ち建てた皇国史観を引きずり、その残滓上に、その人
なりの附会をしているに過ぎないと言える。これでは、決して自由な研究・解
釈とは言い難い。

言うまでもなく、良くも悪しくも歴史とは、勝者の論理であり、権力の記録
である。従って、その叙述内容は、当時の権力者、或いは国家体制にマイナス
になることは書留められず、敗者や一部の少数説は抹殺されるか、或いは隠蔽
されるのが常である。中世史・近代史・現代史、又、然り。

一つの例として、1333~4年に始まった「建武の中興」の失敗が、足利
氏擁立の京都の北朝を天皇家としたのに対し、それは正統に非ざるとして吉野
方は南朝を擁した。しかし、今日現在、正統とされた南朝の史実は、教育の立
場からは消滅している。

又、後年、明治時代に入って、足利尊氏を当時の国家権力者の判断で、反逆
者・国賊呼ばわりしたが、この件について、京都大学の故・足利惇氏(あつう
じ)教授は、教壇に立った時、その解釈説明に大変苦労した旨のことを語って
おられた。因みに足利惇氏先生は尊氏の直統(足利家26代当主)であった。

又、卑近な例を挙げるなら、敗戦後の国際関係史についても同じことが言え
るはずである。戦争の真因起因はともかくとして、日本はアメリカを始めとす
る国連加盟国と戦い、結果として惨敗を喫したわけである。

終戦後、世界から日本は悪としてのレッテルを貼られ、今日に至るまで、日
本人は戦争アレルギーに陥り、こと軍事問題に関しては全くと言ってよい程無
力化されているのが現状ではなかろうか。

更に又、戦争の悪は日本のみならず、勝者側にも多大に存在するが、そのこ
とは誰も指摘せず誰からも裁かれずに至っている。故に、歴史とはあくまでも
勝者・権力者の都合の良い解釈と附会がなされると言った次第である。

このようなことは何も中近現代史のみならず、古代史についても散見される。
皇国史観を打ち出すためには、対韓対日史実の解釈位置付けなども、過去の権
威達や権力者によって、かなり歪曲化され改竄されている節が存在する。

然るに、近々、韓国や朝鮮の一部の学者の間からは、日本の過去の歴史家達
が打ち建てた史観史説の中に、その根本的な再検討を迫られている部分もかな
り存在することが立証されつつある。だが日本側の史家や歴史マニア達は、そ
の指摘箇所を真摯に受けとめようとせず、相変わらず我田引水的研究をしてい
る傾向が多いことに疑問が出る。

具体的に、その指摘されている部分とは、古朝鮮の所在地や、漢帝時の朝鮮
支配の実体や、任那府存在の有無などがある。

かつて、韓国国立博物館館長の故・韓柄植先生は、いわ
ゆる百済文化について語った折、現・韓国には残念ながら、百済の遺跡遺物は
余りにも少ないが、その解明も今後の考古学の進歩に待つ他はないでしょうと
語っていた。

いわゆる三韓・三国所在地の問題について、我が国で語られている通説が疑
問であるということである。又、もと韓国国民大学学長・李鐘恒先生も倭・倭奴国問題に言及され、現状の日本の学者達の考え方では、古
代の日韓関係史そのものも眉つば物になると…いうことを語っている。

だが、今日の日本の学者や民間の歴史マニア達は、あくまでも我が国の過去
の権威の史説に捉われ、彼ら朝・韓の学者達の発言に余り耳を傾けないようで
ある。つまり、一元的に日本を中心にして対韓・対朝史を語る傾向が根強い。

今や、過去の権力体制下に打ち建てられた歴史上の誤った定説・定見を、改
めて再考察を付す時期にきているものではなかろうか。

  因みに、好太王碑碑文中の「倭兵、鴨緑水に満つ…」云々の刻文を、我が国
定説「倭=日本」という前提で臨むと、四世紀後半頃五世紀代初頭、今日の朝
鮮半島方面は、日本の兵力が北鮮の地にまで及んでいたことになり、これは誠
に珍奇なことになりかねない。

この世紀に日本と高句麗は抗争はしていないのである。この事実なども我が
国の研究家は、どう釈明しているのであろうか。いずれにしても、過去の御用
学者が打ち建てた史説・史観の中には、再考察検討を付すべき箇所がかなり存
在するのではなかろうか。


なお、蛇足ながら、清朝期の一大碩学・曽 詳(そうしょう)氏の名著であ
る『文史通義』中の一つの言葉を掲げておきたい。 

   「 古来より中国が伝存する古文献中には、可成りの部分が想像の域をい
出ざるもの多く、又、政治的要因と絡み合って、散失せるもの極めて多
きにのぼる。」  

参考とせざるべからず。

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