世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●悟りを知る国民性が いつの日かファシズム体制を誘因

2018年04月04日 | 日記

 

丹羽宇一郎 戦争の大問題
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安倍晋三 沈黙の仮面: その血脈と生い立ちの秘密
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小学館

 

安倍三代
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朝日新聞出版


●悟りを知る国民性が いつの日かファシズム体制を誘因

我国を取り巻く様々な問題は、ギュウギュウ詰めの通勤電車並みの状況だ。だからといって、与党の連中やネトウヨやスシ友どもが言うように、盗人猛々しく、森友事件にいつまでもかかずらわる事は政治の貧困だなどと云うことは大間違いだ。

なぜなら、それらの問題を解決するために、多くの国民から、不正義な政権だと疑問視されている総理大臣の指揮の下、それら多くの問題を解決することは、そこに不正義が常に包含されているわけで、政治の意味をなさない。あらゆる世論調査で、森友事件における安倍晋三の不正義は幅広く認知されているのだ。ただ、安倍の不正義は決定的だが、追求の熱気が、国民全体にあるとは言い切れない。

一抹の不安がこの辺にある。多くの日本人が積極的に政治に関与しようとしない状況が続けば、民主主義が死に絶える可能性が、わが国にあるのはたしかだ。明日にも死ぬような生活環境ではない多くの国民は、見知らぬ人間と政治と宗教の話はしない方が賢明だと云う奇妙な伝統を、誰とはなく念仏のように教えられた記憶がある。このような、何となくの言い伝えが「空気」になって、我々の口を重くさせているのだろう。

以下の東洋経済が引用する仏・フィガロ紙の「外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ」は一例だが、英米独のメディアの論調も、安倍政権の致命的スキャンダルもさることながら、このスキャンダルに能面のように無表情で見つめている国民の意志が判らないと、嘆いている。民主主義の源泉である、国民が民主主義を守ると云う心構えがない限り、民主主義はあっさりと、ファシズムなどの力に封じ込められるのだ。

フィガロの記者の指摘はもっともな面が多いのだが、日本人独特の根本的精神構造を見過ごしている点もあるだろう。ひとつには、日本人の多くが、黙っていても永続的に、最低限度の生活は営めると、根拠もなく信じている部分がある。これは、室町江戸と続いた幕閣と天皇と云う構図の中で育ってしまった「お上」の言うことには逆らわず、裏で、思い通りに生きる空間を、公的ではないが構築する狡猾さを、保身的に身につけてきたように思われる。

そう、日本人は面従腹背の国民なのだ。よく言えば、争いを表面化させたがらない国民性があるのだと思う。争いが嫌いな国民でありながら、その国民的習慣の結論が、ファシズム的国家を育み、争う国家形成に加担してしまう、自己矛盾な国家であり、国民なのではないのか、と思うことがある。

多くの国民が、最貧状況に追い込まれても、もしかすると、積極的に闘わないこともあるだろう。欧米文化から見た時、そのような日本人は、農奴の地位に甘んじているようにだけ見えるだろうが、その農奴たちが、心の自由を満喫する文化を身につけていることは知らないだろう。筆者も、この点は充分に理解しているわけではないが、その多くは、仏教的精神の影響を受けているように思う。

日本人の多くは、生活上の“めでたい”部分は神社に向かうが、人間が絶対的に経験する“死”という出来事では、お寺に向かう。このなんとなくな生活習慣が、現在の日本人の精神構造に、深く関与しているのでは?そのように思うことがある。迫害に強い民族性は、当然、まつりごとに寛容である。そのような国民性に、今の政治は胡坐をかいているようで仕方ない。敢えて、追記するなら、日本国民は、まだ一度も、民族的な迫害という経験をしていない処女性が関係しているのかもしれないが、現時点では、筆者の単なる疑問の範囲の話で、話せる段階にはない。

PS:大谷翔平が、初本塁打をMLBで打ち、3安打を記録した。単純に、よかったなぁと思う。


≪ 外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ 森友スキャンダルが映す日本の本当の闇
レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員

日本のメディアはここのところ、森友学園スキャンダルが世界における日本のイメージに影響を与えるのではないかと懸念している。テレビの政治番組では、海外の新聞数紙に掲載された記事を引用しており、そこには仏ル・フィガロ紙に掲載された筆者の記事も含まれていた。

だが実のところ、森友スキャンダルは外国の報道機関ではほとんど取り上げられていない。この事件を特に取り上げた記事は昨年1年で12本というところだろうか。筆者が見つけた記事では、米ニューヨーク・タイムズ紙で1年に2本、ワシントンポスト紙で1本だった。

■日本の国会は「老人ホーム」さながら
自分に関して言うと、ル・フィガロの編集者になぜこの事件に関する記事が重要なのかを丁寧に説明したうえで、掲載してくれないかと頼み込まなければならなかったくらいだ。今日、もしニューヨークやパリの街頭で森友に関するアンケートを行ったとしても、99%の人が、それが何なのか知らないと答えるだろう。

なぜこの事件に無関心なのか、理由は2、3ある。1つには、外国の報道機関における日本関係のニュースがかつてにくらべてかなり少なくなっている、ということがある。日本駐在の外国特派員の数もだんだん減ってきている。森友スキャンダルは、世界のニュースで見出しを飾るほど「面白い」ニュースではない。

また、日本の政治をニュースで扱うのは容易なことではない。これは昔も今も変わっていない。日本の政治家のほとんどが50歳以上の男性で、英語が話せないうえ、外国の要人ともつながりが薄いため、国際的なレーダーにひっかかることがほとんどないのだ。政治家たちのもめごとの多くが個人的なものであり、知的なものではない。外から見ると、日本の国会はまるで老人ホームのようだ。そこにいる老人たちが時折けんかをするところも似ている。

日本の政治家がイデオロギーを戦わせることはまずない。政権交代によって突然、政策が変わることはない。仮に安倍晋三首相に変わって、石破茂氏が首相になったとして、何か変わることがあるだろうか。はっきり言ってないだろう。

こうした中、数少ない報道が、日本にぶざまなイメージを与えている。政府は、対外的には、日本では「法の支配」が貫徹していると説明し、これを誇ってきたが、森友スキャンダルは日本の官僚が文書を改ざんする根性を持っているというだけでなく、(これまでのところ)処罰からも逃れられる、ということを示しているのだ。

■スキャンダルそのものより「悪い」のは
こういった行為が処罰されなければ、もはや政府を信頼することなどできなくなる。「もしフランスで官僚が森友問題と同じ手口で公文書を改ざんしたとしたら、公務員から解雇され、刑務所に送られるだろう。処罰は迅速かつ容赦ないものとなることは間違いない」と、フランスの上級外交官は話す。

また、改ざんにかかわった官僚の自殺、といった由々しき事態が起これば、その時点で国を率いている政権が崩壊することは避けられない。しかし、どちらも日本ではこれまでに起こっていない。麻生太郎財務相と安倍首相は、このまま権力を維持すると明言している。

日本の政治について報道することもある外国人ジャーナリストにとって、森友スキャンダルは結局のところはささいなケースにすぎない。関与した金額もそれほど大きくはないし、関係した人物の中に私腹を肥やした人物もいないようだ。

 しかし、スキャンダルそのものより悪いのは、政府と官僚がスキャンダルを隠蔽しようとしたことだ。だがその隠蔽よりさらに悪いのは、隠蔽に対する国民の反応だ。ほかの国々から見ると、森友問題によって日本社会がどれほど政治に無関心になったかが示されたことになる。

「今の政府がこの事件を乗り切ることができたとしたら、もう日本の民主主義は終わりだね」と、日本に住むベテラン外国人ロビイストは嘆く。そして政府は実際に乗り切るかもしれないのだ。森友スキャンダルでは、首相官邸と国会周辺に小規模なデモが起こっただけだ。集会にわざわざ出掛けて怒りを口にしようという人の数は、多くてもせいぜい数千人だ。

数多くのニュース動画に映っている人を見ると、デモの参加者よりも警察官のほうが多い。仕事場での会話でも、日本人はスキャンダル全体に関し嫌悪感を抱いているというより、むしろ無関心のように見える。

■日韓の政治問題に対する差は驚異的
日本の状況は、2016年と2017年のデモによって昨年朴槿恵(パク・クネ)政権を倒すことに成功した韓国とはひどく対照的だ。北東アジアの外国通信特派員はみな、韓国の民主主義が、いかに活気があるか、そして日本の民主主義がいかに意気地なしになっていたかに気がついた。

たとえば、昨年の韓国朴デモを担当したレゼコー(Les Échos、フランスで日本経済新聞に相当する報道機関) の日本特派員、ヤン・ルソー記者はこう話す。

「驚くべきことは、森友問題に対する日本の世論の結集力が非常に低いことだ。もちろん抗議行動の形は国によってそれぞれだが、私は昨年冬、韓国で毎週100万もの人がマイナス15度の寒さもものともせずに集まり、朴大統領の辞任を要求していたのをこの目で見た。朴氏のほうが安倍首相より重い刑事処分の対象となっていたのは確かだが、それでもこの日韓の格差は驚異的だ」

20世紀の初めに民主主義の道を開いた人口1億2000万人の国、日本は、今では休止状態だ。一方、民主主義を発見したのがわずか30年前にすぎない人口5100万人の国、韓国は、デモ活動をする権利を、総力を挙げて守っている。この状況を日本人は心配したほうがいい。

 米国のドナルド・トランプ大統領、中国の習近平国家主席、フィリピンのロドリゴ・デゥテルテ大統領……。世界には、次々と「強い」リーダーが現れている。そして、強いリーダーが意味するのは、弱い民衆である。

メキシコで活躍した農民出身の革命家エミリアーノ・サパタの半生を描いた『革命児サパタ』では、マーロン・ブランド扮するサパタがこう言っている。「強い民衆だけが、不変の強さだ」。日本人もこの精神を思い出し、政治的無関心から脱却してもらいたい。
 ≫(東洋経済ONLINE:政治経済・レジス・アルノー:仏フィガロ東京特派員)


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