世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安保法案の違憲は大目に見てよ 競技場、日中関係、プーチン訪日頑張るから

2015年07月18日 | 日記
しんがりの思想 ―反リーダーシップ論― (角川新書)
クリエーター情報なし
KADOKAWA/角川マガジンズ


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●安保法案の違憲は大目に見てよ 競技場、日中関係、プーチン訪日頑張るから

安倍晋三と云う下卑た男は、本日の見出しのような取引を、国民に持ちかけているのだろう。何という浅ましさだ。安倍悪代官が、飢餓に苦しむ農民の「米寄こせ一揆」を村長たちを言いくるめて、腐りかけた備蓄米で急場しのぎが出来ないか、こそこそ耳打ちしている姿が浮かぶ。「へへへっ、代官様もお知恵者でございまする。新国立競技場で世論の要求に応じ、秋には日中首脳会談で、融和を演出して、トドメはロシア・プーチン大統領の訪日、二島返還交渉ですか、中々なお考えかと存じます」

「そうじゃ、ワシとしては、アメリカと約束してしまった以上、評判が良かろうが悪かろうが、言うことを聞かないわけにはいかない。これを覆しでもした場合、横田幕府から刺客が送られるのは間違いないのだ。もう、実は糞詰まっているのだが、谷内と云う優れものの隠密が中露間を行ったり来たり、情勢挽回の絵図を書いているところなんじゃよ」 「なるほど。そうでもしないと、内閣支持率は間違いなく30%割台、いや、下手すりゃ20%割台ですからな。それにしても、その前に、70年談話ございますが、いかなる取り計らいで、お逃げになられるので?」

「うん、これが当面の課題なんじゃが、代々の談話を引き継げば、そりゃあ楽ちんだ。横田幕府も、そうしろと言って来ている。しかしだ、ワシのことを、国家主義で、コテコテの保守だと信じてついてきた、超右翼な政治家たちや下劣な友がいる。これが困った。本気で、ワシが日本を帝国時代に先祖返りしてくれるものと、思い込んでいる取り巻きが多すぎる。これが、困ったことに全員、ワシが毅然たる美しい国日本を取り戻すと思っている。挙句に、乱暴者だらけで、寝首を搔かれる危険が一杯なのじゃ」

*代官と村長(むらおさ)のやり取りか以下のように
「では、代々の談話を反故にして、反省もヘッタくれもあるか!と行きますか?」

「いや、これが簡単ではない。それを言ってしまえば、中国首脳との会談は流れる。プーチンだって来ないかもしれない」

「では、代々を引き継ぐ談話で当座を凌ぐわけです御座いますね」

「いや、それも取り巻きから総スカンを食う可能性がある。まあ、そろそろアイツの賞味期限も切れたことだし、寝首を掻かれる前に、次善の策を講じることは可能だ」

「代官、なんというご大胆な。彼らを消しておしまいになる?」

「まさか、我が藩は法治主義なのだ。そうそう乱暴は出来ない。霞が関村の知恵者どもも、これには頭を抱えておるわい。まあ、最後の最期には、奥の手があるから、それほど悩んではいないのだがな……」

「奥の手でござりますか?それで、その奥の手とは?代官様」

「ふふふ、機密事項じゃよ。トップシークレットと云うものじゃ、ファファファ…」

「代官様、もう一杯。さあさあ、もう一杯。で、代官様、その機密情報とは如何なもので?」

「それは、秘密のあっこちゃんじゃよ、ガッハッハ」

「まあ、そう仰らずにもう一杯。これ、綾子ちゃん、早うお床にご案内を…」

「厭々、今夜は遠慮いたしておこう。それに、綾子ではなフフフ」

「代官様、こんどの貢は、どの娘を思し召しでいらっしゃりますやら?」

「そうじゃな、考えておこう。ところで、村長。談話なんて、出さなくてもよい取決めなのは知っておるか?」

「はっ?談話を出さない?」

「そうじゃ、菅と云う役方がおってな、その悪知恵による、空っとぼけて談話なしと云う奥の手もあるのじゃ、カッカッカッ」

多忙な割には、馬鹿な話を書いてしまった。本当におバカな拙者である(笑)。いずれにしても、競技場白紙見直しで、失地挽回。それが駄目なら、中国首脳との会談セットだ。そうなると、談話は出せない。どちらを表現しても、針の筵だ。空っとぼけて出さず、習近平会談設定と、プーチン来日に血道を上げるのだろう。まあ、お好きなようにだ。今夜は、お口直しに、小田嶋隆氏のコラムを紹介しておく。大変に、興味深い分析だ。


 ≪ 「安保はまだ難しかったかい?」(小田嶋隆)
  安保関連法案が衆院平和安全法制特別委員会で可決された。
 採決の過程が、与党のみによる単独可決で、いわゆる「強行採決」だったことが批判の的になっている。
 新聞各社の社説でも、《戦後の歩み覆す暴挙》(朝日新聞)《「違憲」立法は許さない》(東京新聞)と、さんざんな言われようだ。
 まあ、問題だとは思う。
 とはいえ、政権与党が単独で議決可能な議席数を確保している以上、最後の手段として自分たちだけで法案を可決することは、言ってみれば彼らの権限でもある。
 おすすめできるやり方だとは思わないし、憲政の王道だとはなおのこと思わない。
 でも、最低限、違法ではない。
 強行採決は、多数決民主主義を支える建前になっている国会審議が膠着状態に陥った場合の最後の手段として、これまでにも度々用いられてきた手法だ。
 早い話、野党の側が審議拒否をすることと、与党が強行採決に持ち込むことは、通常の議論が決裂した場合のお約束の大団円だ。
 とすれば、事態がこういう形で落着することは、昨年末の総選挙で自民党と公明党が圧倒的な議席数を確保した時点で、半ば予見できた近未来だったわけで、いまさらびっくりしてみせる筋合いの話ではない。

 私は驚いていない。
 当然こうなると思っていた。
 こうなってしまった結末を歓迎しているわけではないし、当然の帰結だとも思っていないが、それでも、こうなるであろうことは、法案が提出された時 点で見通していた。いや、自らの慧眼を誇るためにこんなことを言っているのではない。普通に新聞を読んでいる普通の大人であれば、誰にだって見え見えの展開だったということを申し上げているだけだ。

 なので、私は、このたびの強行採決についていまさら金切り声をあげようとは思わない。
 政権与党に3分の2超の議席を与えた以上、いま進行していることは、当然起こるべくして起こっている既定の手続きに過ぎない。

 問題は、別のところにある。
 石破茂地方創生相は、件の法案が衆院特別委で可決される前日に当たる7月の14日の記者会見で、以下のように述べている。
「国民の理解が進んでいるかどうかは世論調査の通りであって、まだ進んでいるとは言えない。あの数字を見て、国民の理解が進んだと言い切る自信はない」(こちら)

 石破さんのこのセリフは、政府が単独採決をする方針を明らかにした当日のタイミングでの発言だっただけに、内外に少なからぬ波紋を広げた。
「閣内不一致じゃないのか?」
「というより党内鳴動だわな」
「まあ、世論調査でああいう数字が出ている以上、選挙区の声が気になる陣笠の先生方は少なくないのだろうね」
「ってことは、石破さんの発言は選挙区向けのアリバイってことか?」
「100パーセントそうだとは言わないけど、どっちにしてもチキンなご発言だよ」
 一見、世論に寄り添っているように見えた石破さんの言葉は、しかしながら、結果としては、冷笑を以て迎えられた。

自民党支持者には
「裏切り」
「寝返り」
「抜け駆け」
「風見鶏」
「石破氏を叩いてみれば愚痴ばかり」
「いい子ぶりっ子」
「キャンディー大臣」
と酷評され、かといって、自民党不支持層に歓迎されたわけでもない。 
 「党が大変な時に、月刊誌にキャンディーズ礼賛のお気楽な小論書いてる政治家がいまさら正論言ってもなあ」 「普通のおじさんに戻りたいんじゃないのか?」
 「本人の気持ちとしては、渾身の微笑返しなんだろうけど、肝心のそのスマイルが気持ち悪いという」

お気の毒と申し上げるほかにない。
 とはいえ、石破さんの発言はタイミングとしていかにも敵前逃亡に見えてしまった面や「お前が言うな」的なスジの悪さはあったものの、内容としては党内の懸念を正しく反映した言葉だった。
 その証拠に、翌日には、安倍晋三首相自身が、衆院平和安全法制特別委員会の審議の中で、安全保障関連法案について
「国民の理解が進んでいないのも事実だ。理解が進むように努力を重ねていきたい」
と述べている。
安倍さんご自身も、安保関連法案が国民に理解されていない現状を認めざるを得なかったわけだ。
ここでひとつ不思議に思うことがある。

 石破さんと安倍さんが、そろって「理解が進む」という言葉を使っている点だ。
これは、どういうことだろうか。
 この法案に関して、政府の関係者は、当初から、「理解」という言葉を連発している。
 思うに、「理解」という用語の前提には、
「法案についての理解が進めば法案への支持が高まるはずだ」
 という決め付けないしは思い込みが隠されている。
 法案を支持しない人々を「理解不足」と決めつける意図が介在していると言い直しても良い。

 いずれにせよ、ここで言っている「理解」には、「法案」を「聖典」視させる一種の詐術が含まれている。
 「法案は長大であり、なおかつ高度で複雑な内容を含んでいる。一般の国民が即座に理解できるようなものではない」
「しかしながら、きちんと読み込んでその内容を理解すれば、必ず納得できるものだ」
「われわれは、国民の皆さんの理解の助けになるべく、わかりやすい説明を心がけ、時間をかけて説得して行く所存だ」
 とまあ、政府の口吻には、おおまかに言って以上のようなストーリーがある。
彼らにしてみれば、 「法案が支持されていないのは、国民の理解不足だ」
という線は譲れないわけで、百歩譲っても 「法案が支持されていないのは、われわれの説明不足のせいだ」
という線は死守せねばならない。

 各社の世論調査を見ると、安保関連法案への賛否は既にある程度はっきりしている(こちら)。
これを見ると、産経新聞・FNNを除く各社の調査で法案への「反対」(または「必要ない」)が、「賛成」(「必要だ」)を上回っている。
 いずれの場合も、「わからない」という回答は、「賛成」「反対」よりも少ない。
とすると、安保関連法案については、「理解が進んでいない」というよりは、「支持されていない」と見る方が正しい。
 まあ、法案を推進している立場の人間が、あからさまに「支持されていない」と言うわけには行かないわけで、それで「理解が進んでいない」という言い回しを選んだだけだと言ってしまえばそれだけの話なのかもしれない。

 ただ、それでも私は、この「理解」という言葉に、イヤな圧力を感じる。
この言葉を多用するのは基本的に「異論」を認めない人間だ。
というのも、
「理解」
という言葉の前後には、自分の側がものを教える立場で、相手の側が教えを乞う立場だという暗黙の前提が横たわっているからだ。

 要するに、この言葉を使う人間は、「自分が理解している事柄を相手が理解していない」「自分が教えることを相手は勉強しなければならない」という前提で何かを語ろうとしているわけなのだ。
 他人に向かって「理解」を促す人間の態度が、最近の言葉で言う「上から目線」のマナーであることは、以上の点から明らかだが、問題は、それだけではない。

 この言葉を使う人間は、「理解」を促す相手を見下しているのみならず、理解しない人間をあらかじめ軽蔑する準備を整えている。
自分の言葉が理解されなかった時、彼は、自分の主張する言説が間違っていたからだとは考えない。ただただ、相手の知的能力が、自分の言葉を理解するに足る水準に到達していなかったからだと考える。
「国民の理解が進んでいない」
というのは、そういう言い方だ。
「うーん、分数の掛け算はまだ君たちにはむずかしかったかなぁ」
と言う時の、塾教師のあの半笑いの言い方である。

 この「理解」という言葉の使い方は、政治の世界以外でも、ずいぶん前からおかしくなってきている。
私の抱いている印象では、21世紀に入ってからぐらいのタイミングだと思うのだが、われわれが使う「理解」という言葉には、英語で言う「アンダースタンディング」とは別の意味が混入してきている。

「犯人の動機は到底理解できない」
「この度の件に関しましては、当方の誠意をぜひご理解いただきたく、なにとぞ」
「あなたの発言は理解不能です」
「まあ、課長っていうヒトは、一般人の理解を超えたところで動いてるわけだから」
 と、
こういうふうにこの言葉を使う時、「理解」には、「共感」「支持」「同意」ぐらいのニュアンスが同梱されている。

 だから、ある種のアンケートでは、「◯◯を理解しますか?」という設問は、事実上「◯◯を支持しますか?」と同じ意味で使われていたりする。
 別の場面では、「支持/不支持」「同意/不同意」「共感/違和感」というより明確な結果が出ることを避けるために「理解/不理解」という設問が使われていたりする。

なかなか油断できない言葉なのだ。
理解していれば、賛成するとも限らない。

 本来なら、たとえば、安保関連法案についても、「内容は理解しているが(あるいは理解しているからこそ)支持しない」という態度は選択可能なはずで、事実、この法案に反対している人々の多くは、「わからないから反対」しているわけではないはずだ。「法案の危険性なりその背景にあるものの不気味さを理解し ているからこそ」彼らは、法案の可決に反対している。

 もうひとつ興味深かったのは、今回、法案についての「理解」という同じ言葉をめぐって、石破さんと安倍さんという二人の政治家のスタンスがわりとはっきりと分かれたことだ。
 石破さんは、国民の理解が進んでいない(っていうか、支持されていない)法案を強行採決することについて、逡巡する態度を見せている。
 一方、安倍さんは、自分たちが単独採決せんとしている法案に国民の理解が進んでいない(まあ、支持されていないわけです)ことを認めながらも、信念を持って前に進む決意を語っている。

 石破さんは、迷い、躊躇し、逡巡し、ブレていて、様子見をし、空気を読み、つまるところ迷っている。
対照的に、安倍さんは、信念を持って自分の思うところを語り、自己の政策と信条を確信し、迷うことなく、ブレることなく、まっすぐに目標に向かって進む意思を示している。 ・政治家として望ましいのはどちらだろうか。

 あくまでも個人的な見解だが、私はどちらかと言えば石破さんを買う。
 自分が逡巡するタイプだからということもあるが、政治家たるもの、自己の信念に忠実であるよりは、世論の動向に敏感であってほしいからだ。

 安倍さんは、おそらく、次の選挙を恐れていない。
どう転んだところで落選の心配はあり得ないし、そもそも首相を引退した後に議員を続けるかどうかもわからない。

 安倍さん以外の、自民党の多くの政治家は、次の選挙を恐れている。
世論の反発を恐れてもいれば、評判の悪い法案を強行採決したことの反作用におびえてもいる。
だから彼らはブレるかもしれない。
ビビったり、ブレたり、迷ったり、立ち止まったりすることは、普通に考えればみっともないことだ。

 が、ビビり、ブレ、迷い、立ち止まるからこそ、政治家は民意を反映することができる。そういう面もあるということを忘れてはならない。
ビビらずブレず迷わず立ち止まらない政治家を、私は信用することができない。
というよりも、そういう政治家ははっきりいってこわい。

そんなわけなので、自民党の普通の政治家の皆さんには、なるべくならビビってブレて迷って立ち止まってほしいと思っています。
とりあえず、この夏休みには、選挙区に帰って、地元の人の声に耳を傾けてみてください。
それでビビらないようだったら、まあ、そこはそれです。頑張ってください。
≫(日経BP> ライフサプリ > 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 )

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