世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

小沢一郎の真意を探る。民主党という看板は有効か、足手纏いか?(2)

2010年11月30日 | 日記


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小沢一郎の真意を探る。民主党という看板は有効か、足手纏いか?(2)


ここまで考えてみると、小沢一郎の民主党分党と云うものも検討せざるを得ないようである。間もなく12月が近づき、政党交付金の対象政党決定の期限が近づいている。筆者の勝手な推測だが、小沢一郎の政治理念の実現と代表選で熱っぽく語り、聴衆を興奮の坩堝に引き込んだ「自立と共生の精神」「縄文時代から続く、日本人の助けあう友愛的精神を最大限に生かせる政治主導の政策の実行、その実行に必要な微動だもしない不動のリーダーシップ精神は、多少強引だと云う感想もあるが、その強引こそが求められる時代が、今まさに来ていると筆者は考えている。

菅政権の無能さは、誰が見ても判別可能な状況であり、どんな事態が起きても「国民の生活第一」の思考経路を持つ政権とは言い難い。小沢一郎と云う政治家は、これ程の裏切りと云うか、礼儀を失した身内の言動に対し、未だ真の怒りを見せていない。本音の本音は判らないのだが、民主党内で己の信念を貫こうと悪戦苦闘している。

また、民主主義、法治国家と云う制度を重んじる心も変わっていない。「悪法も、また法なり」と云う法治観念は彼の中で息づいているに違いない。故に、此処までの出鱈目な東京地検の捜査や検察審査会の議決が出ても、粛々と国家の法に則り、定められた範囲において法廷闘争を繰り広げようと考えている。

筆者としても、その法廷闘争の姿勢は高く評価する。しかし、その一個人としての、謂われなき被疑事実に立ち向かう事と、政治家・小沢一郎が重なり合って同一の行動を取る必要はまったくないと認識している。政治家・小沢一郎と個人である小澤一郎の区別があるように、法廷闘争と政治闘争は重なる部分もあるだろうが、別個の問題でもある。此処のところは、政治家・小沢一郎を評価する上で、非常に重要な視点である。

小沢の政治理念の精神的支柱は「日本人の心・縄文の心」だ。小沢も保守政治家ではあるが、反動保守が掲げる半チョロケな時代への回帰ではなく、五箇条の御誓文以前にまで遡った、農耕民族が持ちえた「自立と共生」の実現を目指している。政治の局面では「真の独立国・普通の国家」の形成である。その為には政治は国民の生活を第一に考えるものでなければならないし、テクニカルなものでもない。

現時点の日本は、あまりにも米国依存が過剰な状態が恒常化し、国民が自立する精神力さえ失っている。このような大国依存主義をこれ以上続けることが、国民をダメにするし、延いては国家をダメにする。故に、独立の心を育み、自立した国民の出現を可能とする国家土壌を国民に与えるのが、政治の目的であり、政治家は、その代行者とならなければならない。 この“寄らば大樹のかげ”と云う国家の意識も国民の意識も変えていかなければならない。

自主とは大変な事である、自らの足だけで立つのだ。その意味で、米国との同盟関係は大変重要だが、議論せずに単に重要だとする考えは誤りで、言うべき主張は充分に行い、相手の考えも充分に聞く。そして、現実に即した対応をして、初めて国家の信頼関係は醸成される。日米安保の見直しと云う言葉に異様に反応する人種ほど奇妙なものはない。今以上の同盟になるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。見直しイコール廃棄と思い込むのは、如何に安保マフィアであるか白状するようなものだ。

戦後主に自民党政権によって政治的枠組みは、官僚主導ではあったが、それなりの分配政治を実行していた。しかし、経済成長の鈍化・分配政治の終焉は、好むと好まざるに拘わらず統治する手法の転換を求めている。つまり、責任の所在が永遠に曖昧にならざるを得ない官僚政治の時代が終わった事を意味する。霞が関御苦労さま!国民主権の政治よコンニチハである。

その為には、国民から選ばれた政治家が死ぬ気になって、立法府で政権を握り、行政府で、その政治理念の実現に邁進しなければならないと云う事になる。政治家は、自分で考え、その考えを国民に約束し、約束通り行動するのが真の政治家だと言っている。チョットした壁にぶつかる度に“こりゃ無理だ”と方向を変えるような政治は政治ではない。“血の小便を垂れ流すほど努力したのか!”この事を政権与党の政治家は肝に銘ずるべきであり、自問自答すべきだ。

政治家がそこまでの覚悟で官僚と対峙する時、官僚はその政治家の話に耳を傾ける。そして、議論し、決定した事項について、彼等の知恵と経験が生きるのである。これこそが、「官僚主導政治」から「政治主導政治」へ移行する大前提なのだ。勿論、政治家は官僚に命令するのだから、その事項の成否の責任はすべて政治家が引き受ける。こう云う政治を「政治主導政治」と云う。

政治家と云う職業は小沢一郎のように考えると、とてつもなく過酷な職業だ。“職業”と云う分類が妥当かどうかさえ悩んでしまう。まして政治家には「常在戦場」と云う怖ろしき国民の選択・選挙の洗礼を受けなければならないのだ。どうしても「選挙」と云う二文字に意識が向かう政治家が多いのだろう。一種政治家のジレンマだが、それを克服してこそ真の政治家なのである。

その点で、民主党の政治家は急造政権だけに心もとない。今の民主党は失格議員に占拠されている。 それを兎にも角にも政権与党に辿りつかせたのは、小沢一郎のリーダーシップであり、時代の要望であり、国民の選択・民意だった。鳩山に引きずられて辞任を余儀なくされた小沢一郎だが、心配の種は、その政権与党としての矜持の欠片すらない仙谷・前原・岡田の政権運営への危惧だった。

小沢一郎は未だに、菅直人を含む民主党議員に、父兄的包容力の心を捨てきっていない。これだけの仕打ちを受けても、ジッと堪えている。そして、民主党を救う道を模索している。 しかし、今や危急存亡の時を迎えていると筆者は思う。

民主党を生かして、小沢の政治理念が実現するのか、他において、その理念を実現しようとするのか、それは小沢一郎の決断一つだ。筆者はどちらに転ぼうと、小沢の政治理念に感銘呼応する政治家を応援する。絶対に小沢一郎が総理でなければならない理屈は通用しない。しかし、鳩山由紀夫の現実を見た時、ぶれないリーダーと云う存在が政治にとって極めて重要だと云う認識もあるので、小沢一郎が全責任を負う政権の樹立が理想だと思う。

岡田幹事長などは、此処に至っても、小沢一郎元代表の国会招致が実現しないことが昨今の地方選の情勢を厳しくしているのかという質問に対し「いくつかの要因のうちの一つだ。今後の統一選を考えても障害の一つになっている」 と責任転嫁をほざいている。その上、こともあろうか、「もし小沢氏が政倫審に出席しない場合、例えば議決で出席を促すこともある」と政倫審で議決してでも政倫審への出席を促そうと、民主党の大恩人を売りつけようとしている。売りつけられて、ことが解決する見通しがあるなら、小沢は率先して政倫審に出席するのだ。馬鹿な男だ、それで何か解決するとお思いかね岡田幹事長!

昨日の①において記述したように、この岡田のこの動きは時に「離党勧告」にまで結びついており、重大な決心のいる話だ。脱小沢の民主党政権が、仲間を売るところまで見せつけられれば、流石の小沢も「熟考の結論を導く」可能性はある。多分、容易に言いだせる話とは思えないが・・・。溺れるもの藁をもつかむと云う事もあるので、ゼロではないだろう。

29日の夜には、小沢一郎は社民党の又市氏や民主党の高嶋氏と懇談、菅直人の政権運営に「もうしょうがないと思っている」「地方の危機感は強い。このままでは地方から反乱が起こり、民主党政権は根っこから崩れてしまう」「民主党も人材難だが、同じ人材難の自民党に助けられている」等とで語ったようだ。

小沢一郎が火中の栗拾いに立ちあがるのも良いだろう。傀儡と言われても、小沢の政治理念の代行者を応援するのも良いだろう。民主党を割り、政治理念の実現に、最期の政治家の情熱を傾けるのも良いだろう。兎に角、小沢の政治理念が実現できる政治勢力を再構築すべきなのだと思う。一瞬、野党になっても良いではないか、小沢の政治理念は思った以上に(腐れマスメディアの世論以上に)国民に理解されている。数カ月後には、政権与党なき政局が訪れる、その時中心にいるのが小沢一郎であれば、それで良いではないか。

「小沢氏は強制起訴される立場で法廷闘争の長期化は避けられない。当面は表舞台には出られず早期の復権は困難な状況だ」という論調が政治の常識のようにマスメディアで語られているが、それは違う。

司法における疑いなど、最近の警察・検察・裁判所や霞が関、マスメディア等々の既存勢力としての「アンチ改革路線」の傍若無人な妨害行為は、解釈上の合法性を標榜しながら、真綿で首を絞めるような方法で、ジワジワと敵を抹殺しようと試みる。 今後小沢一郎に限らず、多くの「政治主導政治」「国民のための政治」に邁進する政治家が受ける洗礼である可能性は高い。

そのような傾向は、小沢一郎で解決すると云う短絡的病根ではない。つまり、既存の構築したシステムが強固であればある程、簡単に氷解して姿を消し去るものではない。おそらく米国支配からの脱却という荒行を成し遂げない限り、「アンチ改革路線」の既存勢力は、永遠に妨害行為を止めることはないだろう。小沢一郎の公判にしても、引き延ばし戦術に出てくるのは必定。法廷闘争は法廷闘争、政治闘争は政治闘争、と明確に三権分立を御旗にして、堂々と動くべきである。

腐れメディアの世論調査など無視すべきだ。「世論を怖れて民意を失う政治家になるべからず!」小沢一郎には、今までの戦後流れてきた「敗戦国根性」を打破して貰いたい。その為には、政治と司法も自ら明確に分離し、今後の政治家にも勇気を与えて貰いたい。

今回は小沢一郎の心を二夜にわたり、筆者が勝手に忖度してみた。皆さまの、お考えと一致するかどうか判りません、皆様なりの小沢観を熟考いただければ幸いです。それではオヤスミなさい。


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