acc-j茨城 山岳会日記

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袈裟丸山~皇海山縦走

2000年11月25日 12時16分56秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2000/11月下旬 袈裟丸山~皇海山縦走

ようやく戻ってきた。

ややこしさや、答えのない争いや、言葉の通じない会話や、 一方的な説教と自慢のないこの地へ。

鼻先をかすめていく風。さらさらと笹原の心地よい音。 ちらつく小雪。ほのかな温もりを与えてくれる朝日。

ここには自然のみが存在する。 
それは無駄なもの一切が無い事を意味する。

さかぼうは戻ってきた。それは自分の為に。

さかぼうは知っている。 
独りで登っちゃ降りる。結局は帰り着く所に納まる。 こんな山登りという行為が決して無駄でない事を。

彼の視線の先には袈裟丸山があった。 
そして彼はその先の事を思い描いていた。 
熊に出会うか知れない。道に迷うか知れない。寒さに凍えるか知れない。 
しかし、私は私を待つ者の居る場所へ帰らねばならない。 
なぜなら、この山行前に妻に約束をしたから。 
「帰ったら何でも言う事聞くから山に行かせてください。」と。

賽の河原

子供たちの積み上げる小石を赤鬼青鬼が積み上げる傍から崩して行く。 そんな霊場を連想させる荒涼とした風景がここにある。

さかぼうは相変わらずゆっくりのんびり歩きつづける。 
一息一息いかにもだるそうに。かといって休む事はしなかった。

彼はバテよりも汗をかく事を恐れていた。熱い汗はたちまち冷たい感触を体に残す。 
それが気化する時には己の体温も一緒に発散される。 
冬山での体温低下は命取りにもなりかねない。

体力不足の言訳も理屈をこねれば道理となる。

 

避難小屋

ここで休憩をしようと考えていたが、定員3人程のその中には ふたつのザックがデポされていた。 
疲れを感じていなかった事もあり、そこで休憩はせず、 トイレだけを利用させて頂いた。

ここから先は今まで無かった足跡が丁度二人分、雪面に刻まれていた。

展望が開け袈裟丸山も目前に近づいてきた笹原でさかぼうは立ち止まった。

関東平野に意外に高く筑波山が見える。遥かに富士山も確認できた。 
しかし、この先の皇海山や上越方面の視界はねずみ色の雲に遮られていた。 
相変わらず小雪がちらついていた。

さかぼうはこれから天候の悪化はないだろうと思った。 反面、稜線上での強風を予感していた。 
昨夜見たテレビの天気予報を思い出しながら。


八反張

前袈裟丸山と後袈裟丸山のコル。 
この間は「崩壊による通行禁止」の立て看板が存在する。 
登山道の踏み後も今までより心細くなってくる。 
しかしながらその核心部はしっかりとした鎖が張ってあり、 通行は可能であった。

予想(予報)通り、稜線に出て風はより一層そのスピ-ドを増してきた。 
それは気を抜くとよろめいてしまうほどであった。

後袈裟丸山の少し手前でザックデポの御夫婦に出会った。 
お互いの健闘を称え、これからの無事を祈った。

さかぼうは展望の無い後袈裟丸山の山頂で休憩し、 ビスケットをほおばりながらコンパスの指針を修正した。 
赤と白、どっちの針が北だったか戸惑いながら。

中袈裟丸山


地図上には「中袈裟丸」なる表記は無い。 
しかしながらそこは立派な標識が出迎えてくれる。


さかぼうはその存在に気づいた。黄色い不思議な生き物に。 
何だこりゃあ? 
そしてそれをしげしげと眺めた。 
おお、これは!

警察マスコットキャラクタ-「ピ-ボくん」ではないか! 
さかぼうは思わず「無事に帰れますように」とお願いし、合掌した。 
「そのリアクションはちがうだろ。」というツッコミが聞こえてくるようだった。

赤布 

はためく赤い布きれは、心細い踏み跡程度の登山路に心強い存在である。 
その指針に導かれ、時に惑わされながら原生の稜線を歩いていく。

後袈裟丸から六林班峠までの間、指標は少ない。 
その代表格、奥袈裟丸でさえ場所に確信が持てなかった。

登り下りの繰り返し。一体いくつの峰を越えた事であろう。 
指標の少ない長い縦走路に心身ともに少し疲労してきた。

さかぼうは自分の体の特徴をいくつか知っていた。 
動いているのに体が温まらず、冷や汗が出るような感覚の時は シャリバテの前兆である。 
そんな時には何かしら口にするのが最善の方法だ。 
根こそぎ倒れた木の根っこの部分を風除けにしてクラッカ-を食べた。

さらに彼は自分の心の特徴もいくつか知っていた。 
動いているのに体が温まらず、冷や汗が出る時は 道に迷っている真っ最中である事を。


六林班峠

背丈ほどの笹をかき分け進む。 
倒木に乗っかってなだらかな稜線上の目標物を確認したらあとは猪突猛進を 決め込む。 
私の好きな登山シュチュエ-ションのひとつである。

そんな笹原をいくつか過ぎると突然しっかりした踏み後に出くわす。 
そこが六林班峠である。

今日はここが終了地点。いまだ強い風を少しでも避けられる場所を吟味して 幕営する。

さかぼうはこれからやってくる長い夜は寒さとの戦いである事を伝え聞いていた。 
覚悟はしていた。 
水筒や登山靴は凍らぬ様、空になったザックへ入れた。 
そのザックにシュラフの足部分を突っ込み横になった。

予想以上の寒気であった。一時間に一度は寒さで目が覚めた。 
寝ている事は寝ていたが全く夢は見なかった。 
彼は目が覚める度、寒く長い夜を恨んだ。 
なによりこんな時に尿意を催す自分を恨んだ。


鋸山

ひときわ鋭く天をつく頂が鋸山である。

皇海山はもちろん、雪化粧の日光白根、武尊、谷川、浅間・・・。 
朝日に照らされ遥か北アルプスまで望む事が出来る。 
見ているだけでシアワセだ。

無駄とは解かっていても思わずシャッタ-を押したくなる。 
山ヤにはたまらない展望が広がる。

ここからの往復、さかぼうは鋸山山頂にザックを置いていく事にした。 
山頂標識にしっかりと結び、飛ばされたりしない様に留意した。

ザックの無い身体はさすがに身軽であった。 
それは天にも登る気分。 
彼はウキウキ気分で深山の秘峰へと歩を進めた。 
雪面に残されたウサギの足跡に導かれながら。

・・・そして思った。 
ザックはデポが確かに正解だ。 
しかし地図まで置いていく事はないだろうと。

皇海山

深山にそそり立つ足尾の盟主はそのどっしりとした形から「海坊主」ならぬ 「山坊主」がピッタリとくる形容だった。

山頂は木々に囲まれているが、その隙間から見える日光白根山への稜線は 雄大かつ長大であり、この山域の魅力は絶えない。

皇海山は憧れの山のひとつであった。 
理由はふたつあった。

深山に聳える秘峰という環境がひとつ。 
もうひとつはその名前である。 
「すかい・スカイ・SKY・・・」何と良い響きであろう。

さかぼうはふと考えた。「数回登った皇海山」 
なかなかナイス(オヤジ)なシャレではないか!

彼は笑った。独りで声を上げて。 
笑い声は森と風の中に吸収されていった。 
吸収されきった後には風が樹木をすり抜ける 「ザァザァ」という音だけがむなしく残った。

鋸山十一峰

再び鋸山へと向かう。 
そこから庚申山への稜線には十一のピ-クが連なる。 
これが鋸山十一峰である。

庚申講信仰のメッカ、庚申山から奥の院である皇海山までのこの十一峰を 越える事はまさに修験行であったに違いない。 
特に鋸山に近いいくつかのピ-クは核心部。 
現代ではハシゴなど架かっているがこれ無しに越える事は至難である。

見上げる岩壁を越えると覗き込むほど急な下り。 
さかぼうは少し恐怖を抱いていた。 
彼は自分に言い聞かせた。

恐怖は己の心の影。影を作れば恐怖は増大する。 
恐怖せぬには影を作らぬ事・・・。

さあ、もう大丈夫。心の影は去った。 
しかし体は言う事を聞いてくれなかった。

庚申山

南総里見八犬伝でも知られる庚申山は奇石の殿堂であった。

自分のこの山に対する勉強不足を痛感しながらも飽きる事無く 歩くことができる。

岩に無数のツララが垂れ下がっている。 
手持ちの水は鋸山で底をついていた。

ツララから落ちる水滴が私の喉には異常なほど魅力的だった。 
フラフラと引き寄せられそうになった瞬間、ツララが落ちた。 
危うく串刺しになる所であった。

しかしさかぼうは危険を省みず、落ちたツララの破片を採りに行った。 
ヒヤヒヤしながらも、ひとカケの氷を口にして満足だった。

安全な水場はそこから所要数分だった。

銀山平

舗装路に歩き疲れた頃、車止めのゲ-トが現われる。 
急なカ-ブを曲がるとそこが銀山平。 
立派な国民宿舎・かじか荘が建っている。

ロビ-に制服姿のお兄さんが立っていた。 
ヒトに会うのは袈裟丸山以来、29時間ぶりであった。

さかぼうはまず、タクシ-を呼んだ。 
首尾万端の後、今や恒例のスカッとさわやか飲料で独り祝杯をあげた。

八海山以後、足を痛め、腰を痛めた。 
その鈍い痛みは今も治まってはいない。 
こんなところで山登りなどやっている場合じゃないのかもしれない。 
しかし、さかぼうは充足の山行に自らの復活を求めた。

やっぱり彼は知っていた。 
こんな山登りという行為が決して無駄でない事を。 
そして帰ったら妻の機嫌をとらねばならない事も

sak


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