太鼓を習い始めて9年目になる。「蒼山会」は謡曲の山崎先生の
会だが、平米公民館の「能楽お囃子の会」のメンバーには笛、太鼓、
仕舞とお稽古をしているものすべての発表の場になる。
8/30(日)、高岡市青年の家の能舞台でお浚い会があった。7月
に自分の出し物が決まってから、1ヶ月以上も頭の隅でいつも気が
かりだったのが舞囃子「野守」の太鼓だった。今まで、能「野守」も
見たことがないし、謡でもお稽古していない。ただ、太鼓はかなり
前にお稽古をしたことがある。そう長い曲ではない。だから、最初
「はい」とこともなげに返事をした。立ち方(シテ舞)も日頃のお稽
古で一緒の米島さんだから心強い。
ところが大鼓と小鼓が重要無形文化財の能楽師、野尻先生と
住駒先生と聞いて驚いた。地謡は東京から来られる大坪先生だ。
以後、いくつもテープを借りて聞きながら練習。囃子に合わせ、
更に、シテ謡、地謡に合わせるのがとても難しい。緩急の息が
合ってこそあの快い響きが生まれるのだ。もう当たって砕けろ、の
思いで当日を迎えた。
当日、行った途端に、地謡だけの予定だった「小督(こごう)」の
ツレの方が欠席、代役をする事になった。え~っ?である。慌てて
ツレのセリフに黄色の筆ペンで印をつけ、地頭(じがしら)さんに
教えてもらう。2番目の出番だ。もう破れかぶれ、と言うか、お浚い
会は練習会、と度胸を据えた。いくつか間違えたが、ともかく終わ
った。結局、「花筺(はながたみ)」のワキ、「清経」の地謡、と素謡
3番は次々に終了。
太鼓は、連調連管(笛と謡とのアンサンブル)の「西王母」(中の
舞)が最初。この太鼓で、4月から始められたばかりの男性、Yさん
がデビュー、驚くべき進歩である。何度もやっている私の方が2,3
間違えた。その頃、姫ちゃんと笛子さんが見に来てくださった。
顔を見てホッとするがまだ一つひかえているので、お喋りもできな
い。昼食はしばらくお預けだ。
いよいよ、「野守」。よろしくお願いします、の挨拶の後、地謡から
順に舞台へ。後見の上田先生が、背後霊のように後ろにピタッと
ついて下さる。手の順も言って下さるので落ち着いてできる。
「働き」が終わり、シテ謡が始まる。順調。ところが途中地謡の
ところで後ろから「早い」と声。え?どこが合わない?とパニックに
なりかけたが、先生の声ですぐ合わせられ、どうやら終了。
なおらいの時に聞いたら、大坪先生の地謡が日頃の練習より、
ゆっくり始まりだんだん早くなっていく呼吸を聞き分けられなかっ
た、と言うことだった。いつもの自分のリズムで打っていたのだ。
原因がはっきりして嬉しかった。囃子だけでなく謡をよく聞くこと。
米島さんの豪快な舞を見る余裕もなく、後で姫ちゃんのブログの
写真を見て感心した。
自分のことばかり書いたが、トップの写真はSさんの「独鼓・歌占
(うたうら)」、下は、もう一人のSさんの舞囃子「須磨源氏」である。
疲れ果ててぐったりの一日だった。「天地人」も選挙結果も見ない
で寝てしまった。次は、9/12(土)の関野神社秋季祭礼奉納謡曲
大会だ。
最後に、なおらいの時の山崎先生の言葉を。これだけ能楽が
盛んな高岡に(富山市よりずっと多い)、独立した能楽堂がない。
能楽の伝統を守るためにぜひ能楽堂の建設をお願いして行き
たい、と。せめて能楽会会員になり、数は力になろうかな、と
思ったことである。
会だが、平米公民館の「能楽お囃子の会」のメンバーには笛、太鼓、
仕舞とお稽古をしているものすべての発表の場になる。
8/30(日)、高岡市青年の家の能舞台でお浚い会があった。7月
に自分の出し物が決まってから、1ヶ月以上も頭の隅でいつも気が
かりだったのが舞囃子「野守」の太鼓だった。今まで、能「野守」も
見たことがないし、謡でもお稽古していない。ただ、太鼓はかなり
前にお稽古をしたことがある。そう長い曲ではない。だから、最初
「はい」とこともなげに返事をした。立ち方(シテ舞)も日頃のお稽
古で一緒の米島さんだから心強い。
ところが大鼓と小鼓が重要無形文化財の能楽師、野尻先生と
住駒先生と聞いて驚いた。地謡は東京から来られる大坪先生だ。
以後、いくつもテープを借りて聞きながら練習。囃子に合わせ、
更に、シテ謡、地謡に合わせるのがとても難しい。緩急の息が
合ってこそあの快い響きが生まれるのだ。もう当たって砕けろ、の
思いで当日を迎えた。
当日、行った途端に、地謡だけの予定だった「小督(こごう)」の
ツレの方が欠席、代役をする事になった。え~っ?である。慌てて
ツレのセリフに黄色の筆ペンで印をつけ、地頭(じがしら)さんに
教えてもらう。2番目の出番だ。もう破れかぶれ、と言うか、お浚い
会は練習会、と度胸を据えた。いくつか間違えたが、ともかく終わ
った。結局、「花筺(はながたみ)」のワキ、「清経」の地謡、と素謡
3番は次々に終了。
太鼓は、連調連管(笛と謡とのアンサンブル)の「西王母」(中の
舞)が最初。この太鼓で、4月から始められたばかりの男性、Yさん
がデビュー、驚くべき進歩である。何度もやっている私の方が2,3
間違えた。その頃、姫ちゃんと笛子さんが見に来てくださった。
顔を見てホッとするがまだ一つひかえているので、お喋りもできな
い。昼食はしばらくお預けだ。
いよいよ、「野守」。よろしくお願いします、の挨拶の後、地謡から
順に舞台へ。後見の上田先生が、背後霊のように後ろにピタッと
ついて下さる。手の順も言って下さるので落ち着いてできる。
「働き」が終わり、シテ謡が始まる。順調。ところが途中地謡の
ところで後ろから「早い」と声。え?どこが合わない?とパニックに
なりかけたが、先生の声ですぐ合わせられ、どうやら終了。
なおらいの時に聞いたら、大坪先生の地謡が日頃の練習より、
ゆっくり始まりだんだん早くなっていく呼吸を聞き分けられなかっ
た、と言うことだった。いつもの自分のリズムで打っていたのだ。
原因がはっきりして嬉しかった。囃子だけでなく謡をよく聞くこと。
米島さんの豪快な舞を見る余裕もなく、後で姫ちゃんのブログの
写真を見て感心した。
自分のことばかり書いたが、トップの写真はSさんの「独鼓・歌占
(うたうら)」、下は、もう一人のSさんの舞囃子「須磨源氏」である。
疲れ果ててぐったりの一日だった。「天地人」も選挙結果も見ない
で寝てしまった。次は、9/12(土)の関野神社秋季祭礼奉納謡曲
大会だ。
最後に、なおらいの時の山崎先生の言葉を。これだけ能楽が
盛んな高岡に(富山市よりずっと多い)、独立した能楽堂がない。
能楽の伝統を守るためにぜひ能楽堂の建設をお願いして行き
たい、と。せめて能楽会会員になり、数は力になろうかな、と
思ったことである。