👆は、昨年の私のブログです。
今年は珍しい友人と一緒に行きました。合唱団MiTUで一緒だったKAさんです。彼女は今も合唱を続けておられ、お能を観たのは今年の瑞龍寺燭光能「阿漕」が初めてとか。その時「富山薪能」が富山大空襲の犠牲者を追悼する催しと聞き、ぜひ観たいと言われました。
と言うのは、KAさんは当時(昭和20年8月2日未明)3歳、お父さんが不二越に勤務しておられ富山に住んでいた。空襲の直前に祖父母のいる福岡町に逃げて、命が助かったのだそうです。当時私は5歳、防空頭巾をかぶって水筒を持ち城端の家の背戸から真っ赤な空を眺めた記憶があるだけですから…。8月2日の「北日本新聞」、「富山新聞」などの地方紙記事からいくつか拾ってみました。
「約3000人が犠牲になった1945年8月2日未明の富山大空襲から73年を迎えた1日、恒久平和を願う「富山市民感謝と誓いのつどい」が、富山市大手町の市民プラザで開催され、市民約260人が参列した。」
「富山市などが1984年から毎年開催し、今年35回目。全員で黙とうをささげた。1945年8月2日未明の「富山大空襲」。富山市の市街地が焼き尽くされ、3千人近くが命を失った日から73年がたった1日。 」
「あんどん千基、慰霊の灯 富山大空襲73年
富山市の県護国神社では、万灯みたままつりが行われ、境内にあんどん約1千基が掲げられ、参列者は富山大空襲などで亡くなった2万8682柱の冥福を祈った。
さて、今年の「富山薪能」は:
👆は、「火入れの儀」の後の狂言と能の番組だが、知り合いの方の仕舞を見たかったので、かなり早めに出かけた。
お能は、有名な「高砂」。おめでたい時によく謡う「高砂や~」の小謡の個所と、舞囃子でよく見る神舞の個所しか知らないので、お能を観るのは初めて。まして、家元宝生和英師のシテと言うので楽しみにしていた。
能「高砂」は世阿弥の神物。住吉(すみのえ)の松と高砂の松が夫婦であると言う伝説を素材とし、天下泰平、夫婦円満と長寿、和歌の徳を祝う曲になっています。
👇は、それぞれネットから。前場。九州肥後の国の神主が、都に上る途中播州(兵庫県)高砂の浦を訪ねると、清楚な老人夫婦が現れ木陰を掃き清めている。
後場。住吉明神の神体が神舞を舞う。
地謡に出ておられた私の謡の師匠、山崎先生が「あんな素晴らしい『高砂』は初めて観た」と感激しておられたが、私のような素人にもシテの舞、囃子、地謡の呼吸のあった早いリズムと動きに身体が震えました。息を飲み、体を固くして見入り聴き入りました。太鼓は麦谷暁夫師です。
👇は、観世流宗家、観世清和師の舞囃子「高砂」の動画です。待謡”高砂や~”から最後までです。太鼓は故観世元伯師です。ぜひ開いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=hi7RGDswPzU
しばらくパソコンの調子が悪く、いよいよ買い換えようかが思っていました。昨夜突然更新が始まり、一晩中勝手に更新していたようです。今朝恐る恐る開くと、直っていました。また少しは使えそうです。
73年経っても富山では恒久平和を祈って色々な行事を行っていられますね!
日本国中、焦土にした戦争を忘れてはならないのですが、若い人には「おとぎ話」のようかもしれません。
富山市に感謝しながら「薪能」を見せていただきました。
「高砂」などお能になっていることさえうっかりしていたのですが、素晴らしかったです!有難うございます!
富山の空襲は、地方都市の絨毯爆撃ではとても規模が大きかったそうですね。当然犠牲者も多かったから、大勢語り継ぐ方たちがいらっしゃったのかも。上〇さんの言葉に胸が熱くなりましたよ。
そして素晴らしい「高砂」、おめでたい曲くらいの認識しかなかったです。舞囃子は何度も観ているのですよ。
帰りに小杉で、佐〇、上〇、杉〇さん達と4人でお蕎麦を食べました。初めてのメンバーでした。