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Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

高岡薪能 ’18

2018-08-29 | 能楽
 
高岡薪能 ’17
 高岡薪能 ’16  👇は、私の「昨年の高岡薪能」のブログです。 高岡薪能 ’15  ↓は昨年の私のブログだが、「薪能」開始直前の雨で急きょ法堂に駆け込み、「羽衣」......
 

  👆は、昨年の私の「薪能」のブログです。  昨年は、8/27(日)が瑞龍寺薪能、ちょうど息子がお墓参りに帰省していて一緒にお能を観たことを思い出した。瑞龍寺境内の特別舞台の真上に月が輝き、能「竹生島」の天女と竜神の舞が際立って美しかった。
 今年は、8/26(日)が「高岡薪能」。第一部の高岡能楽会会員能楽大会に素謡「昭君」の地謡と連調連管「中の舞」に出ることになっていた。今までは法堂で行われたが、昨年はお寺の行事の関係で大庫裏、今年は大茶堂、と毎年場所が変わり、着替えの部屋も変わるのでてんてこ舞いする。
 
 👇 蒼山会の素謡「昭君」 

 👇 連調連管「中の舞」

 あまりにも暑い日で、着物を脱いだらぐったり。夜のお能に備え席だけとって一旦帰宅。ひと休みをしてから再度瑞龍寺へ出向く予定でいた。

 着物のバッグを車に入れ、駐車場から境内へ向う時ちょっとしたハプニングが…。駐車場の出口に一人の青年の姿があった。一緒のMEちゃんが「あ、金森先生の息子さん。」「まさかぁ。能楽会か市役所(なんで市役所?)の職員さんやろ」と私。が、近づいてみるとやはり金森先生の次男さん、隆晋さんだった。今、装束が着くのを待っているところだそうだ。この日はお能の後見を務められるが、装束を受け取るのも後見のお仕事なのだろう。「サラメシに出ておられた?」とMEちゃん。「いえ、アレは兄の方で…」と話はまだ続きそうだったが、残念、誰か何か尋ねる人がいてそちらの対応を…。そして境内に入ると、今度は金森先生とお兄さんの良充さんが揃って山門をくぐって来られた。「見る方たちも暑いですね」 「いえ、演じられる方こそ…」 屋外だから自然の風だけが頼りで、あの重い装束をつけるのはさぞ暑いことだろう。この日良充さんは「清経」のツレ、金森先生は仕舞「網の段」を舞われる。

 👇は、今年のポスター。能「清経(きよつね)」です。         

 まだ日が高かったが、第2部公演めがけて家を出た。
 👇 業者の方々がマイクの準備。提灯、燭台はすでに設えられ、ガスボンベ、消火器など設置されている。消防士の方も何人か待機。上田先生を始め、能楽会の方たちも忙しそうに動き回っておられた。座布団席には日傘をさしてもう座っている人も。 

  左に五色の揚幕。橋掛りに松。仮設とは言え本当の能舞台である。 

  第2部は、上田先生の開会宣言、高橋市長の挨拶、金井先生の演能曲目の解説に始まり、 

   

 👇 舞囃子「紅葉狩」、狂言「水掛婿」、仕舞「網ノ段」、「笠ノ段」、火入れの儀、能「清経」と進む。   

 👇 能「清経」

 👇は、北日本新聞1面の「薪能」の記事の写真。篝火と清経(大坪先生)、はかなげに勇ましく、美しく撮れている。 

 金井先生の説明もわかり易く、番組表の解説も丁寧で、初めて見た方もよくわかった、と後で近所の方から聞いた。

 「清経」は、能の代表的な演目。清経入水のエピソードを世阿弥が書いた傑作だ。私も大好きな曲で何度も観ている。
 平清経は、清盛の長男である重盛の三男。武道一辺倒ではなく、横笛をたしなみ貴族化した優美さをもつ公達だった。

 平家一門が都落ちした後、都でひっそり暮らしていた清経の妻のもとへ、九州から、家臣の淡津三郎(あわづのさぶろう)が訪ねて来ます。三郎は、清経が、豊前国柳が浦の沖合で入水したという悲報をもってやって来たのです。形見の品に、清経の遺髪を手渡された妻は、再会の約束を果たさなかった夫を恨み、悲嘆にくれます。そして、悲しみが増すからと、遺髪を宇佐八幡宮に返納してしまいます。
 しかし、夫への想いは募り、せめて夢で会えたらと願う妻の夢枕に、清経の霊が鎧姿で現れました。もはや今生では逢うことができないふたり。再会を喜ぶものの、妻は再会の約束を果たさなかった夫を責め、夫は遺髪を返納してしまった妻の薄情を恨み、互いを恨んでは涙します。やがて、清経の霊は、死に至るまでの様子を語りながら見せ、はかなく、苦しみの続く現世よりは極楽往生を願おうと入水したことを示し、さらに死後の修羅道の惨状を現します。そして最後に、念仏によって救われるのでした。(ネットより)

 青年期の多感な精神が昨日までの栄華と打って変わった危機的状況に直面し、極限状態の中で絶望から死へと辿って行くプロセスを世阿弥はみごとに描いている。行く末の絶望の中で精神的に追い詰められていく様子が、世の無常と戦乱の恐怖となって語られる。
 月澄む夜に海底へと沈んで行かねばならなかった清経の心理は、現代人にも共感できるものだ。(シテのクセ舞~この後死後の修羅道を舞います・解説より)

 能「清経」
 シテ(清経):大坪喜美雄  ツレ(妻):金森良充  ワキ(粟津三郎):平木豊男
 大皷:飯島六之佐  小鼓:住駒幸英  笛:瀬賀尚義
 地謡:佐野由於 他


金沢「観能の夕べ」 & 能楽堂周辺工事

2018-08-20 | 能楽
 
二日続けて金沢へ~能と尺八のコラボ
  石川県立能楽堂では、毎年7,8月の土曜日の夜に「観能の夕べ」が催される。仕舞、狂言、能が一番ずつで、わずか1000円なので以前はよく出かけたものだが、ここ数年は日がとれず観てい......
 

 👆は昨年の私のブログです。8月に2度も金沢の能楽堂へ行っていたとは! 元気だったな~。
 今年は、8/18(土)、あいの風とやま鉄道に乗って、なはさんと「観能の夕べ・特別公演」を観に行った。まず、金沢駅構内3Fの蕎麦屋「そじ坊」でちょっと珍しいお蕎麦を食べた後、能楽堂前へ行くバスに乗ろうと出口に向かったとたん、声をかけられた…。振り向くと私と同じ「蒼山会」のKAさんとTOさん。4人いるからタクシーに乗りましょう、となった。

 能楽堂付近は目下工事中。「歴史博物館」(今は「赤レンガミュージアム」とも」)側が入り口になっている。KAさんはよくご存じで、運転手さんにそこで止めてもらわれ、ビックリ。4月に来た時のように正門から入れなくなっているのだ。

  👇 ポスター。「藤」の写真である。富山県氷見市多枯の浦の藤が舞台なので、高岡では素謡や仕舞のお稽古でも大切な曲である。この日は、宝生流宗家和英師がシテ(藤の精)を務められる。頭に藤の花をつけた天冠を頂き、藤の花模様の長絹着る。まず、青い松の枝にかかる藤の花の作り物が運ばれて…。

 👇もポスターの「能楽体験」の仕舞の写真。例年、「観能の夕べ」とセットで行われる。お囃子や仕舞の他に、狂言の体験もあるらしい。狂言体験に一度参加してみたいものだ。
 タクシーの運転手さんが「最近はアメリカ、ヨーロッパの観光客が多い」と言っておられたが、👇の写真からも伺える。

 7月末の「富山薪能」で、家元のシテで能「高砂」を見た。「高砂」は神舞。この日の「藤」は序ノ舞である。囃子は小鼓の住駒先生と太鼓の麦谷先生は「高砂」と同じ。が、この日は、笛が吉野晴夫先生、大皷は亀井洋祐先生。序ノ舞は遅いテンポなので合わせるのがさらに難しいのだろう。が、小鼓と大皷のよく響く澄んだ音色がピタリッと合って心地よかった。
 また、「藤」全曲の詞章がプリントされ配られてわかり易かった。短い曲(序ノ舞があるが、詞章は短い)だからか、どの能でも配布されるようになったのか? 以前、国立能楽堂やMOA能楽堂では見たことがあったが、鑑賞者にわかり易く見てもらうためにいいことはどんどん取り入れるべきだと思った。

 5時開演で、仕舞、狂言、能が一番ずつ、7時過ぎには終了となる。夏の夕涼みを兼ねての行事である。出羽町一帯の工事について、帰りのタクシーの運転手さんにまたまた質問した。
  👇は、能楽堂の正面だが、左手前に「旧第九師団司令部」と「旧偕行社」の古い建物が残っている。それを「歴史博物館」横へ移して……

 👇は完成予想図。そこへ「東京国立近代美術館工芸館」(千代田区)を移転させる計画だそうだ。

 👇は、出羽町一帯の完成イメージ。右横の”黄色の文字”は「県立美術館」。左横の”黄色の文字”は「県立能楽堂」。能楽堂の手前(写真では見えないが)一帯が近辺へ来た車の駐車場になるらしい。

 👇 能楽堂前の大駐車場。

 後でネットを探すと、次の記事が見つかった。 いつの間にか、このようなことが決まっていたとはオドロキ!

 「石川県立能楽堂」  ご利用にあたって
 ・
東京国立美術館工芸館移転に係る工事のため、正面入口から入場できません。

             歴史博物館側の通路からお入りください。(PDF:209KB) 

 ・能楽鑑賞等で石川県立能楽堂へ車(普通車)でお越しの皆様へ

      東京国立美術館工芸館移転に係る工事のため駐車場が使用できません。近くの石引駐車場(能楽堂から徒歩約3分)をご利用ください。石引駐車場の駐車券を事務室窓口に提示いただきますとサービス券(2時間無料券)をお渡ししています。大変ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。  石引駐車場をご利用される場合は、時間に余裕を持っていただきますようお願いいたします。
   東京国立近代美術館工芸館 移転整備工事は、文化庁、(独)国立美術館、石川県、金沢市において、「政府関係機関移転基本方針」(平成28年3月22日まち・ひと・しごと創生本部決定)に基づき、決定しました。
 建物は、金沢市出羽町にある、「旧第九師団司令部庁舎」と「旧金沢偕行社」を移転し外観を活用、完全復原される予定です。
 2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催期間中に開館することを目指しています。


体験型ワークショップ「お能に親しむ」

2018-08-12 | 能楽
 
夏のわくわくワークショップ「能楽体験講座」
  まず👇のブログを開いてみてください。8年前に「高岡市青年の家」が主催した能楽体験講座の様子がわかります。当時この講座を体験したTOさん、MEちゃんが、今は謡や仕舞、太鼓のお稽古......
 

  👆は私の昨年のブログです。昨年初めて開かれた講座で、今年も7月27日(土)に行われた。私はちょうど相馬に旅行中。後でケーブルテレビの「地域ニュース」で1週間放送された映像を見たので、少し紹介します。
 👇は、江尻「市青年の家」3階の能舞台。

 👇 高岡市内の先生方による舞囃子「船弁慶」を鑑賞します。

 👇 小鼓の指導を受ける女の子たち。持ち方が堂に入っています。

 👇 太鼓の部屋。撥の動かし方を教わっているようです。

 👇 大皷の部屋。皮に当てた手が可愛らしい。

 👇 能舞台に上がり、仕舞のお稽古。扇子の持ち方を習っているようです。

 👇 いよいよ能面をつけて…。美しい面ですね。

 山崎先生の「高岡の能楽」についてのお話、子どもたちが笑顔でインタビューに応え、感想を話していました。私も参加しているような楽しい気分で見た番組でした。


富山薪能’18&富山大空襲

2018-08-10 | 能楽
 
富山薪能 ’17
  富山薪能 ’16 富山薪能’15 「熊坂」  70年前の今日、8/2日未明に富山市が空襲を受けた。昨日、1日には「富山大空襲を語り継ぐ会」などが主催の集いが......
 

  👆は、昨年の私のブログです。
 今年は珍しい友人と一緒に行きました。合唱団MiTUで一緒だったKAさんです。彼女は今も合唱を続けておられ、お能を観たのは今年の瑞龍寺燭光能「阿漕」が初めてとか。その時「富山薪能」が富山大空襲の犠牲者を追悼する催しと聞き、ぜひ観たいと言われました。

 と言うのは、KAさんは当時(昭和20年8月2日未明)3歳、お父さんが不二越に勤務しておられ富山に住んでいた。空襲の直前に祖父母のいる福岡町に逃げて、命が助かったのだそうです。当時私は5歳、防空頭巾をかぶって水筒を持ち城端の家の背戸から真っ赤な空を眺めた記憶があるだけですから…。8月2日の「北日本新聞」、「富山新聞」などの地方紙記事からいくつか拾ってみました。

 「約3000人が犠牲になった1945年8月2日未明の富山大空襲から73年を迎えた1日、恒久平和を願う「富山市民感謝と誓いのつどい」が、富山市大手町の市民プラザで開催され、市民約260人が参列した。」

 「富山市などが1984年から毎年開催し、今年35回目。全員で黙とうをささげた。1945年8月2日未明の「富山大空襲」。富山市の市街地が焼き尽くされ、3千人近くが命を失った日から73年がたった1日。 」

 「あんどん千基、慰霊の灯 富山大空襲73年 2018/08/02 01:50: 富山大空襲から73年を迎えた1日、富山市内各地で慰霊行事が催され、参加者が犠牲者の冥福や平和を祈った。
 富山市の県護国神社では、万灯みたままつりが行われ、境内にあんどん約1千基が掲げられ、参列者は富山大空襲などで亡くなった2万8682柱の冥福を祈った。 

 さて、今年の「富山薪能」は:

 👆は、「火入れの儀」の後の狂言と能の番組だが、知り合いの方の仕舞を見たかったので、かなり早めに出かけた。
 お能は、有名な「高砂」。おめでたい時によく謡う「高砂や~」の小謡の個所と、舞囃子でよく見る神舞の個所しか知らないので、お能を観るのは初めて。まして、家元宝生和英師のシテと言うので楽しみにしていた。

 能「高砂」は世阿弥の神物。住吉(すみのえ)の松と高砂の松が夫婦であると言う伝説を素材とし、天下泰平、夫婦円満と長寿、和歌の徳を祝う曲になっています。
 👇は、それぞれネットから。前場。九州肥後の国の神主が、都に上る途中播州(兵庫県)高砂の浦を訪ねると、清楚な老人夫婦が現れ木陰を掃き清めている。

 後場。住吉明神の神体が神舞を舞う。

 地謡に出ておられた私の謡の師匠、山崎先生が「あんな素晴らしい『高砂』は初めて観た」と感激しておられたが、私のような素人にもシテの舞、囃子、地謡の呼吸のあった早いリズムと動きに身体が震えました。息を飲み、体を固くして見入り聴き入りました。太鼓は麦谷暁夫師です。

 👇は、観世流宗家、観世清和師の舞囃子「高砂」の動画です。待謡”高砂や~”から最後までです。太鼓は故観世元伯師です。ぜひ開いてみてください。

 https://www.youtube.com/watch?v=hi7RGDswPzU

 しばらくパソコンの調子が悪く、いよいよ買い換えようかが思っていました。昨夜突然更新が始まり、一晩中勝手に更新していたようです。今朝恐る恐る開くと、直っていました。また少しは使えそうです。


久しぶりのお稽古&パリ土産

2018-07-10 | 能楽

 7/5(木)、久しぶりの「能楽お囃子教室」だった。一度はお休み、富山宝生会の時は首が回らず欠席し、もう一度は芦屋行きで欠席した。
 この日、上田先生はお休みで瀬賀先生が太鼓のお稽古をつけてくださった。練習もせずに行ったので間違ってばかり。腕も上まで上がるか?心配だった。が、太鼓を打つのはやはり楽しい。何やかやと言いながらもまだまだ止められないな~。

 謡は「昭君」と「小督」のお稽古。「昭君」は高岡薪能の時の素謡、「小督」は三派謡曲大会の素謡(無本)だ。まだ一カ月あるのでしっかり練習したい。
 富山薪能(7/31)の番組をいただいた。お能は、家元の「高砂」だ。ぜひ行きたい。以前、瑞龍寺の燭光能の券をあげたMiTUの友人が、昭和20年8月の富山空襲の日富山市の親戚の家にいたそうだ。が、なんかの理由でその日の夕方高岡へ戻っており、その夜の空襲に合わずに済んだ。富山空襲を偲ぶ「富山まつり」の前夜祭として開かれる「薪能」、いつか見たいと言っておられたらしい。

 そんな話を山崎先生にしていたら、夕方雨の中をわざわざ我が家まで番組を持って来てくださった。 

 ところで、私が平米のお稽古を休んでいる間に、ご夫婦でパリ旅行に行って来られたMEちゃん。ご主人も退職され、晴れて二人で自由に旅ができる時間が持てるようになったのだろう。パリに8日間滞在したそうだ。ルーブルはもちろん、オルセー、オランジェリーと美術館巡りもしたとか。
 私が夫と初めてヨーロッパ旅行に出かけたのはまだ現職の頃だった。当時は、夏休みが自由にとれた…。名付けて「西欧スタンダードプラン」、イギリス、フランス、ギリシャ、スイス、イタリアと5か国回った記憶がある。パリで何日か自由時間があり、やはり美術館巡りをした。オランジェリーのモネの「睡蓮」の部屋を今でも思い出す…。懐かしいな~。

 👇は、お土産にいただいた”マキシムドパリ”のチョコレート。


「龍尚会能楽発表会」’18 & 首がまわらな~い!

2018-06-25 | 能楽

 「段差にも 寒暖差にも へこたれず」  (栃木県 男性)

 👆は、A紙の川柳の欄の投稿からである。選者の評に「傘寿吟」と短くあり、投稿者が私と同じ「傘寿」と知った。実は、私も所属するある会から傘寿のお祝い(金一封)をいただいたばかり…。嬉しいような迷惑なような複雑な気持ちでいた。が、こうはっきりと、”へこたれず”と言われると元気が出る…。

 ところが、ところがである。6/17(日)「龍尚会謡曲大会」前後からちょっと左肩に違和感を感じた。いわゆる肩こりだ。ちょうど10年前の秋以来だ。キッチンのリフォームとフィリピンへ慰霊の旅に出る準備をしている頃だった。首が回らないほどの痛みだった。疲れとストレスと言われた。
 でも今回は? 5月は忙しかったけど、龍尚会は順調だったし、特にストレスを感じることもなかったはず! 軽く考えて映画を見たり、お風呂に入ったりが悪かったようです…。家では初めて首輪をしているので、食事をするのも不便です。今日で約十日目、まだ痛むので気分もすぐれません。

 さて、「龍尚会能楽発表会」の様子を少し紹介します。「龍尚会」は瀬賀尚義先生のお笛の会。瀬賀先生は、平米公民館の「能楽お囃子教室」で笛を教えておられる。私は、上田先生に太鼓を教えていただいているので、連調連管や居囃子、舞囃子で太鼓を打たせてもらう。 

 👇 居囃子「七騎落」と「胡蝶」。 居囃子は舞留めとも言い、地謡とお囃子だけ。

                 

  👇 舞囃子「西王母」。 
 👇 舞囃子「高砂」。 舞囃子は、地謡、お囃子に合わせ立ち方が舞を舞われる。

 👇 舞囃子「融」。 

 👇 舞囃子「放下憎」、「草紙洗」、「小袖曽我」。

          

  直会の後、ようこ姫さん、杉〇さん、永〇さんの4人で「トワイス」でひと休み。小鼓のTAさんもお誘いしたが体調が悪く帰られた。実は私も前日から肩が痛かったのだが、大したことはない、とばかり翌日映画を見たりして悪化させてしまった…。


5月20日に能二番~高岡能楽会定例能「熊坂」

2018-05-30 | 能楽

 例年5月20日は「利長忌」で、高岡瑞龍寺では「燭光能」が行われる。今年は、第3日曜日に当たったので「高岡定例能」と重なった。出演される先生方は両方掛け持ちされるので燭光能が終わるとすぐに高岡青年の家能舞台に駆け付けられた。
 私たち、高岡能楽会会員は、朝から青年の家能舞台での謡曲大会に出演しており、山崎先生は蒼山会の素謡「大会」の申し合わせに顔を出され、上田先生は連調連管の太鼓を5つ締めに来られ、その後瑞龍寺に赴かれると言う訳で、参勤交代みたいだと笑っておられた。

 蒼山会の素謡は「大会(だいえ)」のみ。お役は男性軍なので我々女性は地謡だけでなんとなく気が楽。それでも当日、事前に一度申し合わせを行った。地頭が急に変わったせいもある。今まで男女混合の地謡は合わせにくくて苦手だったが、年数が経ち慣れてきたからか混声合唱のようなハーモニーを楽しめるようになったような…。

 「一河会」で初めて演奏した連調連管「船弁慶」、私自身この日はミスもなく全体としてもよくまとまったのではないか、と思う。「上田会」のレパートリーにしていかないと…。
 さて、第2部 の紹介に移ります。(高岡能楽会HPより)

 仕舞「昭君」金森隆晋師

 舞囃子「富士太鼓」金森良充師
 能 「熊坂」金井賢郎師ほか

 👇は、前場。都の僧が東国を目指し、美濃国・赤坂にさしかかると、一人の僧が現れ呼び止め、今日はさる者の命日なので弔って欲しいと頼みます。一体誰を回向するのかと問うと、その名は明かさず、庵に案内します。
 庵の中は仏像はなく、ただ長刀や武具があるばかり。その訳を尋ねると、この辺りは山賊・夜盗が多く出没し、助けを求める人々のため長刀を携えて駆けつけるのですと答え、それは仏のみ教えにも適うことと言って、寝室へ姿を消します。そのうち不思議なことに、辺りは一面の草むらとなり、松の木の下で世を明かすのでした。


 後場:やがて弔う僧の前に、長刀を担いで熊坂長範の霊が現れます。奥州へ下る金売り吉次一行に夜討ちをかけた熊坂は、逆に一行の中にいた牛若丸に討たれてしまった最期を詳しく語るのでした。

 👇 KI新聞記事より。      

  能「熊坂」は平安時代の伝説上の盗賊、熊坂長範(くまさか ちょうはん)と牛若丸(源義経)の対決を題材にしているが、牛若丸は登場しません。同じ題材に「烏帽子折」という曲があるが、これは現在物(現在進行形)の曲で、牛若丸が熊坂の手下の者達の夜討ちに合う場面が演じられます。
 それに対して、この「熊坂」は、シテ一人で長刀を持ち、舞台を縦横無尽に動いて夜討ちの場面を再現して見せるところに、息も着かせない面白さがあります。若き能楽師(数年前のNHK「サラメシ」に登場)の金井賢郎師が迫力ある舞を演じられ、見事でした。

 👇は、歌川国芳の筆による熊坂長範。

 👇 義経との闘いの場。


5月20日に能二番~瑞龍寺燭光能「阿漕」

2018-05-21 | 能楽

 例年5月20日は「利長忌」で、高岡瑞龍寺では「燭光能」が行われる。今年は、第3日曜日に当たったので「高岡定例能」と重なった。出演される先生方は両方掛け持ちされるので燭光能が終わるとすぐに高岡青年の家能舞台に駆け付けられた。
 私たち、高岡能楽会会員は、朝から青年の家能舞台での謡曲大会に出演しており、山崎先生は蒼山会の素謡「大会」の申し合わせに顔を出され、上田先生は連調連管の太鼓を5つ締めに来られ、その後瑞龍寺に赴かれると言う訳で、参勤交代みたいだと笑っておられた。

 まず、瑞龍寺燭光能を紹介します。私は観ていないので新聞記事と写真、見て来られた方の感想からです。

 👇は、KI新聞より、追善法要の様子。利長の位牌をまつる法堂にて。 

  👇も、KI新聞より、能「阿漕(あこぎ)」。昼間とは言え、障子戸を締め切るので法堂の中は薄暗く、ろうそくの灯が揺らめく中で演じられる。例年半能で演じられ、中入り後の後場が中心である。後シテは、漁師阿漕の亡霊。

  物語≫  九州日向の僧が伊勢神宮参詣の旅に出ます。途中、阿漕が浦(今の三重県の海岸)に着き、一人の老いた漁師に出会います。老人と旅僧は阿漕が浦にまつわる古歌について語り合い、老人は「阿漕が浦」の名前の由来をを語ります。昔、阿漕という漁師が禁漁区(伊勢神宮に供える魚しか取ってはいけない)で魚を取り、見つかってこの裏の沖に沈められた。阿漕の霊は罪の深さにより、地獄で苦しんでいる、弔いをなされよ、と語り、自分がその亡霊であることをほのめかしながら、急に吹いてきた疾風のなか、波間に消えていきます。

 旅僧が法華経を読んで阿漕の跡を弔いますと、夜半に阿漕の霊が現れ、密漁の様子を見せ、さらに地獄の責め苦にあう自らの惨状を示します。行き場のない苦しみを訴えながら、阿漕は「助けてくれ、旅人よ」と言って、波の底へ入っていくのでした。

 みどころ
 禁漁を破った漁師の悲惨な死と、その罪業により死後もなお苦しむ姿を、緩急鋭い謡や囃子抑制された型を伴う、能の研ぎ澄まされた表現により、静かに、しかも恐ろしく描き出した曲です。

 燭光能では後場(後半)だけ演じられるので、漁師の亡霊が出て逃げ場のない恐ろしい地獄の有様を見せます。最後は「助けてくれ」と声を上げながら海に消えるという、救いのないかたちで終わり、凄惨さが心に深く刻まれます。(以上、ネットから抜粋)

 私もとても観たいお能だったが、時間的に無理だったので清水町の友人達3人に整理券を差し上げた。燭光能を初めて見られた方たちから、さっそくメールや電話で感想が届いた。
 美容師のSさん、今年は5/20日が第3日曜日だったので念願かなって観られたと喜んでおられた。漁師の面(おもて・瘠せ男)を前にも見たことがある、笛の音が澄んで鋭く響き、死後の世界を感じさせた、など。
 お能が初めてと言う「あかね」のOさん、”たくさんの僧侶の厳かな読経と香のかおりから始まり、燭光だけの薄暗い中でのお能の響きを堪能しました。”とメールにありました。初めてのお能なら「藤の精」のような優美な装束のお能がよかったかと私は思ったのだけど、”おどろおどろしいイメージがとても良かった”と言われ、ホッとした。「阿漕」はいつか私もぜひ観たい。

 シテ(老人/漁師の霊):大坪喜美雄  ワキ(旅僧):苗加登久治
 大皷:飯島六之佐  小鼓:住駒幸英  太鼓:徳田宗久  笛:瀬賀尚義
 地謡:金森秀祥 他


連調連管「船弁慶」~”一河会” ’18

2018-05-19 | 能楽
 
一河会謡曲大会 ’17
  一河会謡曲大会 2月、高岡能楽会総会(発熱のため欠席。野○さんの初舞台だけ見学)が今年の謡の会の幕開け、3月に「蒼山会」、4月に「芙蓉会」と謡曲の会が続き、......
 

  👆は、昨年のブログです。5月は連休の後すぐに「一河会」です。「一河会」とは、約30年前、私の謡の師匠である山崎先生たち、当時新進気鋭の若い能楽師さん達が新たに立ち上げられた謡曲の会だそうです。
 「蒼山会」からは、素謡、仕舞を数曲ずつ、連調連管「船弁慶」を発表しました。「船弁慶」の連調連管は初めての挑戦です。囃子の「舞働き」に”イノリ地”と言う手が入ります。そう難しくはないのですが、慣れていないからか私は何か所も失敗しました。
 以下、「蒼山会」を中心に紹介します。

 👇 連調連管「船弁慶」。連調連管としては初めての曲です。囃子の「舞働き」の打ち方が少し異なり、皆、緊張しました。

 👇  仕舞「猩々」

 👇 仕舞「杜若」

  👇 仕舞「西王母」

 👇  独鼓「田村」

  👇 仕舞「融」(まだ見ていませんが、Ki新聞の紹介記事も「融」だったそうで、プロはどのポーズを撮っているか見るのが楽しみ)

 👇 仕舞「実盛」

 👇 山崎先生の 番外仕舞「経政」

 

  最後に、「船弁慶」について少し書きます。👇は、頼朝に追われ西へ逃れようと船を出す義経一行(作り物の船に乗っている)に、平知盛の亡霊が海から現れ襲いかかる場面の絵図です。連調連管では、この場面を謡と囃子で演じます。

  物語:平家追討に功績をあげた源義経(子方が演じます)でしたが、頼朝に疑惑を持たれ、鎌倉方から追われる身となります。義経は、弁慶や忠実な従者とともに西国へ逃れようと、摂津の国大物の浦へ到着します。義経の愛妾、静(しずか)も一行に伴って同道していましたが、女の身で困難な道のりをこれ以上進むことは難しく、弁慶の進言もあって、都に戻ることになりました。別れの宴の席で、静は舞を舞い、義経の未来を祈り、再会を願いながら、涙にくれて義経を見送ります。

 静との別れを惜しみ、出発をためらう義経に、弁慶は強引に船出を命じます。すると、船が海上に出るや否や、突然暴風に見舞われ、波の上に、壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現しました。なかでも総大将であった平知盛の怨霊は、義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかります。弁慶は、数珠をもみ、必死に五大尊明王に祈祷します。その祈りの力によって、明け方に怨霊は調伏されて彼方の沖に消え、白波ばかりが残りました。

みどころ
 この曲では、前場のシテは美しい白拍子、後場のシテは恐ろしい怨霊、まったく異なった役柄を演じ分けます。優美さと勇壮さの対照が面白く、前場には優美な舞が、後場では薙刀を振るう荒々しい舞働が見られます。謡い・囃子の強弱、緩急も全く異なった変化に富む大変劇的な曲です。
 また、舞台が「大物の浦」の船宿から大海原へ展開していく様子は、作り物の舟だけで見せていきます。ここは、間狂言の船頭の腕の見せ所で、船をこぎながらのワキ(弁慶)とのやりとりや嵐が始まってからの棹さばきなど、本当に荒れ狂う海が見えるかのような所作が見られます。(以上ネットから)

 👇は、富山薪能での家元がシテを演じられた能「船弁慶」の様子です。 

 https://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/04fa05a5b37a3bf7b608a221c52701fe

 なお、明日5/20(日)は、午後1時より高岡瑞龍寺法堂で「燭光能」(能は”阿漕”)、3時半より高岡青年の家能舞台で「高岡定例能」(能は”熊坂”)が演じられます。時間のある方、興味のある方は観にお越しください。


第十回高岡芙蓉会謡曲大会

2018-04-28 | 能楽
 
「第九回高岡芙蓉会謡曲大会」 ・ 5月の演能(高岡)・ 銀座に能楽堂
 4/16(日)、「高岡市青年の家・能舞台」にて「高岡芙蓉会謡曲大会」が行われた。謡曲・仕舞・お囃子のお稽古に励んでいる呉西地区の女性だけの会だ。発足してはや9年。5年目の記念大会......
 

 「高岡芙蓉会」(謡曲・仕舞・お囃子のお稽古に励んでいる呉西地区の女性の会)の10周年記念大会が、22日(日)に開かれた。記念大会と言うので、東京や金沢から若い能楽師さん4名をお招きし、仕舞や舞囃子を鑑賞した。
 👆は、昨年の私のブログである。今年は、私自身はあまり写真を撮らなかったが、「北日本新聞」と「富山新聞」が取材に来られ、たまたま両方とも、連調連管「竹生島」の写真付きで紹介記事を掲載した。
 翌朝、城端の同級生のHIさんから「写真が載っていたね。膝痛や息切れやら悩みながら頑張っているね」と励ましの電話があった。あんな小さな写真でよくわかったものだ。友達はありがたい。
 👇は、「青年の家」の前の看板。

 👇 仕舞「草紙洗」。

  👇 舞囃子「胡蝶」。この青年の家の「能舞台」を存続させてほしいと願う署名を友人やサークル仲間に頼んだ時、「能舞台を一度見てみたい」と、「あかね」のOさんが友だちと二人で見に来てくださり、私の太鼓の舞台を撮ってくださった。

  12時に総会が開かれ、高橋市長が挨拶された。

  第一部の会員の演技の後、3時半より第二部が始まった。
 まず、「能のお話いろいろ」…渡邊茂人先生(シテ方宝生流能楽師)。シテ方能楽師が初めて演ずる曲(披く曲)として「翁」、「道成寺」、「猩々・乱」、「石橋」について詳しく話された。

 その後、仕舞「忠度」:金森良充さん、 「笹の段」:渡邊茂人さん、 「熊坂」:金森隆晋さん、 舞囃子「高砂」:高橋憲正さんと、若手能楽師さん達の緊張した美しい舞が披露された。
 「高砂」は「芙蓉会」のメンバーが黒紋付の袴姿でお囃子を担当され、息の合った演技だった。(残念ながら写真は撮れなかった)

 👇は、直会の席での先生方のスピーチ。(隆晋さんのはボケがひどく割愛した) この時、女性だけで、舞、謡、囃子をが揃うのは全国的にも珍しい、素晴らしいことだ、と褒めてくださった。  

       

  👇 「芙蓉会」の初代会長北林さんの跡を引き継ぎ、長年「芙蓉会」を引っ張って来られた会長の車伸代先生に感謝の花束が贈られた。

  以下、5月の能楽関係の行事を紹介します。
 5/13(日)10時:青年の家・能舞台
                     一河会謡曲大会       
               (素謡、仕舞、独鼓、連調連管)

 5/20(日)1時:瑞龍寺法堂
                       国宝瑞龍寺燭光能
                   能「阿漕」 

 5/20(日)10時:青年の家・能舞台
                  高岡能楽会定例能楽大会
                           (素謡、仕舞、連調連管)
        3時半:
               仕舞、舞囃子、能「熊坂」


金沢能楽会別会能 ’18(その2)

2018-04-05 | 能楽

  4/1(日)、なはさんと蒼山会女子会(東京行きの)メンバー6名で金沢能楽会別会能を見に行った。「別会能」と言うのは、普段なかなか見ることのできない演目を上演する公演のこと。
 👇は、当日のちらし。そうそうたる演目、出演者である。能2番と狂言、家元の仕舞である。
  ◇別会能番組 (4月1日午後1時、石川県立能楽堂)
   
▽能「源氏供養~真之舞入」(シテ島村明宏)
   ▽狂言「伊文字」(シテ野村万蔵)
   ▽仕舞「弱法師」(シテ宝生和英)  
   ▽能「石橋」(シテ松田若子、ツレ渡辺茂人)

 「源氏供養」と「伊文字」は前回紹介したので、今日は仕舞「弱法師(よろぼし)」と能「石橋(しゃっきょう)」を紹介します。
 
  
「弱法師」は、
盲目の少年が難波から見える浦々の景色を思い浮かべながら、群集の中で舞い狂じ、人に当たりよろける・・・という内容の仕舞です。家元の舞は、眼を閉じて、能の場面を彷彿とさせる舞姿で哀れさを誘いました。

 さて、「石橋」。👇は、3年前「富山県宝生流80周年記念」の時の富山能楽堂での連獅子の私のブログです。獅子は家元の和英さんと佐野由郎さんです。とても印象に残る舞台でした。 

https://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/65e6e1c7f89c8add61ce8af3352b694c

 実は、今年3月銀座観世能楽堂で観世流の「石橋」大獅子を見たのですが、👆の宝生流の方がしっくりくるように思われました。
 今回の「別会能」では、女流能楽師の松田若子さんが獅子を務められるのが話題でした。北陸中日新聞の記事を中心に紹介します。👇は、シリーズ「能楽おもしろ鑑賞法」から。 

【能楽おもしろ鑑賞法】16 能「石橋」 雷が呼ぶ獅子の乱舞

獅子が豪快に舞う能「石橋」。写真は赤白2頭が舞う連獅子の演出による=2002年9月21日、石川県立能楽堂で

写真

 能には大曲と呼ばれる演目がいくつかあるが、最も華やかで勇壮なのが「石橋(しゃっきょう)」だろう。金沢能楽会が四月一日に金沢市の石川県立能楽堂で催す別会能で、上演される。

 舞台は中国。日本から仏跡探訪の旅に来た寂昭法師(ワキ)が、文殊の浄土・清涼山につながる石の橋を渡ろうとする。そこへ木こりの少年(ツレ、宝生以外は前シテ)が現れ「名のある高僧でさえ何カ月も修行してから渡った橋である。たやすく渡るなど危ういことだ」とたしなめる。

 この橋、幅が一尺(約三十センチ)もない上、コケに覆われて滑りやすく、谷底までは千丈(約三千メートル)余もある。肝を冷やしていると、美しい音楽が聞こえてきた。文殊菩薩の出現が間もないのだ。

 ここからが、見どころ聞きどころの獅子舞。獅子は文殊に仕える霊獣で、菩薩に代わって出現したという設定だ。

 ヒシギという甲高い笛の響きが続き、鼓や太鼓が激しい掛け声と鋭い打音を重ねる。乱序という舞の導入部分だが、雷序とも称する。掛け声は雷声。“雷鳴序曲”である。中間で、太鼓と小鼓が奏する繊細なやりとり「露の拍子」が、深山の静けさを表した後、再び激しい演奏となり獅子(シテ)が登場する。

 舞の部分は「狂い」と呼ばれる。深い谷から天空までを乱れ舞い、大輪のボタンに戯れる。両手をピンと張り頭をそらす型は、獅子の咆哮(ほうこう)を思わせる。雷序、狂いなど独特の呼称をヒントに、スケールの大きさを存分に味わってほしい。 (笛)

 👇は、松田若子さんの公演前の言葉です。 

 

  👇は、公演の翌日【4月2日、北陸中日新聞朝刊より】  
  
自動代替テキストはありません。
 
 山崎先生も地謡を務めておられる。お囃子は、大皷:原岡一之、 小鼓:住駒幸英、 太鼓:麦谷暁夫、 笛:室石和夫 の先生方。
 この日は、太鼓の正面の位置の座席に座れたので、獅子が登場する直前の「乱序~序奏・露の手・登場」のお囃子が充分に聴けて嬉しかった。「露ノ手」の部分で、鼓と太鼓だけが長い休止を隔てながら交互に打つ、深山にしたたり落ちる露を表現する様、力強く豪壮なかけ声とともに激しく打ち鳴らす3つの打楽器と笛の彩り、いずれも、なんとも言えない素晴らしさで、圧倒された。
 
 今日の平米のお稽古の時、山崎先生が、「石橋だけでなくどのお能でも、同じ曲を何度見ても演ずる人や舞台によって得るものは違う」と仰ったがまさにその通りだと思った。 

金沢能楽会別会能 ’18 (その1)

2018-04-04 | 能楽

  4/1(日)、なはさんと蒼山会女子会(東京行きの)メンバー6名で金沢能楽会別会能を見に行った。「別会能」と言うのは、普段なかなか見ることのできない演目を上演する公演のことだ。11時小矢部アルビスに集合、私はなはさんを高岡駅で迎えて小矢部まで自分の車を出した。お茶の仲間と行く時は「メルヘンおやべ」が集合場所だ。「アルビス」は初めて。茅蜩(ひぐらし)橋を渡ると、コメリ、アウトレット、アルビス、メルヘンおやべ…ローソンまで大小の建物がひしめいている。見えているのに、誘導された矢印はなんとアウトレットだった。一度も行ったことのないアウトレットの駐車場内を一周半した…。

 SIさんとMAさんの車に3人ずつ乗り無事に金沢・能楽堂に到着。が、歴史博物館、中村記念美術館辺りが工事中で、駐車場が狭くなっていた。

 👇は、当日のちらし。そうそうたる演目、出演者である。能2番と狂言、家元の仕舞である。
  ◇別会能番組 (4月1日午後1時、石川県立能楽堂)

  ▽能「源氏供養~真之舞入」(シテ島村明宏)
  ▽狂言「伊文字」(シテ野村万蔵)
  ▽仕舞「弱法師」(シテ宝生和英)  
  ▽能「石橋」(シテ松田若子、ツレ渡辺茂人)

  まず、「源氏供養」。👇はネットからの写真。

      

  これは、名高い僧が石山寺参詣の途中で紫式部の霊らしき女性と会い、「源氏物語」と式部自身を弔ってほしいと頼まれる話です。通常の「源氏供養」では、クセと言う謡の部分で ”そもそも桐壷の…” と二十八の巻名が謡われるが、「小書き(特殊演出)」の真之舞入になると五十四帖すべての巻名が謡いこまれ、さらにその後に「序ノ舞」がつきます。小書きは宝生流のみにあるそうで、めったに演じられないとも聞きました。ともかく長くて一時間半もあったのではないでしょうか。
 シテ、囃子、地謡とも、これだけ長い曲を覚えて演ずるのは、気力体力とも大したもの、と素人の私にはそれだけで感動。以前見た時はほぼ眠っていたのに、今回はしっかり真剣に鑑賞しました。

  次に、九世野村万蔵さんの「伊文字」。万蔵さんの笑い方は本当に楽しそうでおおらかでとても好きです。「伊」の字のつく国の名、里の名を探すこの狂言は、前にも一度見ているので「伊予」、「伊賀」、「伊勢」とすぐに出て来る。(「伊太利」は入りません)
 また、なかなか嫁をもらえない男の「妻乞い」の話なので、私も清水寺にお参りしたい気持ちになる…。


第38回「蒼山会 謡曲・能楽発表会」&能楽堂存続署名活動 

2018-03-21 | 能楽

  リタイア後3年目頃に平米公民館の「能楽お囃子の会」で謡と太鼓を習い始めたので、かれこれ14,5年継続していることになる。「蒼山会」はお謡の山崎健先生が主宰される会で、いつも3月にお浚い会が開かれる。その時に「能楽こども教室」の後期発表会も開かれる。

 昨年は、我が家の親戚の50回忌法要の日と重なりお浚い会を欠席した。👇は、一昨年の私のブログだが、「こども教室」の舞台を何枚か載せている。  

 https://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/d822b47ed81dbe42ff8be4c920662955

 自分たちの会のお浚い会なので、ほとんど出ずっぱりで、見所でゆっくり他の方の謡や仕舞を見る暇もなく、写真も全く撮らなかった。昨年暮れからお稽古を始めたのだが、数が多いのでどれもこれも中途半端、何となく心残りな結果となった。

 数えてみると、子ども達の仕舞「熊野」「西王母」「胡蝶」の地謡、子ども達の連調連管「鞍馬天狗」の地謡、素謡「紅葉狩」の地謡、素謡「葵上」のワキ、連調連管「西王母」の太鼓、独調「岩船」の太鼓…となんと八曲になる。
 👇は、「能楽こども教室」のみなさんと一緒に記念撮影。

 👇は、TOさんの謡と合わせた「岩船」、MEちゃんが撮って即私のスマホにラインで送ってくださった。昨年もTOさんと「枕慈童」を合わせており2度目なのだがやはり緊張した。上田先生に後見についてもらうか、最後まで迷っていた。

 このすぐ後に、松本先生の大皷と松原さんの謡で「田村」が演奏された。
 👇は、上田先生の太鼓と瀬賀先生の笛、蒼山会の地謡で独鼓一管「胡蝶」。切り戸口におられるのは山崎先生。

 👇は、松原さんの仕舞で「清経」。

 最後に、来賓の部の仕舞「采女」と素謡「融」。ここ数年舞囃子を入れず、素謡と仕舞を中心に自分たち会員だけの出演になっており、気分的には楽なのだけど、その代わり出番が多く体力、気力が続かないな~と、今年は特に堪えた。膝はがくがく、足元はよろよろだった…。

 さて、ここ「高岡能楽堂」は、「市青年の家」の3階能舞台として存在しているが、数年後には取り壊しの危機に瀕している。と言うのは、高岡市の財政困難を緩和するための取り壊し物件の対象になっているようなのだ。これには驚いた。目下署名活動を実施中であり、👇の署名用紙がこの日能舞台入り口にも置かれていた。高岡市長あての陳情書である。3枚に及ぶ文面は山崎先生の草案で、観阿弥世阿弥に始まる670年の歴史、ユネスコの世界文化遺産の第1号に選ばれたこと、高岡能舞台がどんないきさつで建てられたか、と詳しく述べられている。私たち、能楽会会員が中心となり署名を集めねばと思っている。

 この日は、それぞれの会員の友人達が何人も聴きに来てくださった。なはさんも早くから来て、ずっと聴いてくださった。帰りは駅まで歩いたと仰っていた。
 折しも古城公園は梅が満開だったようで、👇の写真は、ヒマジンさんのブログから勝手にお借りしました。ヒマジンさん、ありがとうございました。    


謡の会から東京行き~②観世能楽堂

2018-03-10 | 能楽

 「森田流笛の会」のチラシをいただいたのは年暮れの頃。高岡市平米公民館の「能楽お囃子の会」お謡、仕舞、笛、太鼓が学べる贅沢な教室だが、お笛を教えておられる瀬賀尚義先生が、この森田流の会に出演される。しかも、観世流家元の観世清和師のシテで能「石橋(しゃっきょう)」も演じられ、場所は昨年新築されたばかりの観世能楽堂、と言うので、なはさんと蒼山会女子4名、計5名は東京への旅に出かけた。

 「大丸」店内のお蕎麦屋さんで昼食をすませ、2台のタクシーで銀座6丁目、GINZA SIXへ。
 銀座は、歴史的に観世流ゆかりの地だそうだ。と言うのは、1633年、十世観世大夫重成(しげなり)が、3代将軍・徳川家光から現在の銀座1、2丁目に当たる土地約500坪(1650㎡)を拝領した。明治維新で土地を返上するまでの230年以上、銀座を本拠地とした。今、150年ぶりに観世流が銀座に帰還したことになる。
 昨年4月ちょうど大学のクラス会があり、オープンしたばかりの能楽堂に寄ってみた(もちろん中に入れなかったが)。今回はそこでお能が見られると言うのでとても楽しみにしていた。

 

森田流笛の会: 

 一管: 野口亮 斉藤敦 森田勝瀧 八木原周平 浦政徳 栗林祐輔 室石和夫   杉信太朗 貞光卓生 左鴻泰弘 松田弘之 相原一彦 貞光訓義
 
 連管: 瀬賀尚義 熊本俊太郎/森田啓子 森田徳和/赤井啓三 赤井要佑/寺井久八郎 寺井宏明 寺井義明 
 
  一管:森田保美 左鴻雅義 吉野晴夫 中谷明 貞光義明
 
 
能 「石橋 大獅子」 赤獅子:山階彌右衛門 尉・白獅子:観世清和 寂昭法師:福王和幸 仙人:野村萬斎 笛:杉市和 小鼓:観世新九郎 大皷:亀井広忠 太鼓:小寺真佐人   他
 
 最初に、笛方「森田会」事務局長さんからのご挨拶。こう言うお笛だけの会を催すのは大変珍しく、30数年ぶりのこと。新観世能楽堂を祝って計画されたそうだ。
 早笛、男舞、神舞、神楽など金沢や富山、高岡で聞くことのある曲もあるが、ほとんど知らない曲だった。一流中の一流の先生方とのこと、が、お一人お一人お笛の持ち方、吹き方が異なるようで音色違いが少しわかるように思えた。
 能「石橋」は何度か観ているが、観世流のは初めて。声が大きく堂々として、動きも大きく激しいと思った。前から2列目の良い席だったが、作り物の「牡丹の台」が前に置かれるので、太鼓は撥の先しか見えなかった。昨年お亡くなりになった太鼓方観世流若宗家観世元伯さんに代わり小寺真佐人さんが太鼓を務められた。
 
 終演後、GINZA SIX店内を見るだけショッピング。4月の大混雑を思えば閑散としている。 
 
 
 
 4F ”ファッション&ライフスタイル”のフロアをゆっくり見て回った。
 👇は、D-BROS(ディ‐ブロス)。家紋をデザインしたタペストリー。「中川家抱柏」と「座り馬」
 
 👇 自在に形の変わる花瓶。以前、風子さんにいただいた物と同じ(?)。
 
 👇は、立雛。
    
 
 ほとんどが横文字の店名だが珍しく「中川政七商店」と言う漢字のお店があり、そこで麻製のバッグを買った。(いつか紹介します)
 どの店も、店員さん達が美しく可愛らしく感じがよくて、何を尋ねても丁寧に答えて下さり楽しい見るだけショッピングだった。この後夜の六本木へ。

謡の会から東京行き~①東京はお蕎麦でしょう

2018-03-08 | 能楽

 👆の 「森田流笛の会」のチラシをいただいたのは年暮れの頃だった。高岡市平米公民館の「能楽お囃子の会」で15年ほどお謡と太鼓のお稽古をしているが、お笛を教えておられる瀬賀尚義先生がこの会に出演される。しかも、観世流家元の観世清和師のシテで能「石橋(しゃっきょう)」も演じられる。場所は、昨年新築されたばかりの観世能楽堂。蒼山会から8名参加することになり、なはさんもお誘いし女性5名で旅の計画を練った。(どこを回ったか? バラエティに富んだ旅を紹介しますのでお楽しみに)

 3/6(火)7:37発の「はくたか」に乗る。座席は5人の横並び。ほぼ喋り通しで東京駅に到着。金〇さんの案内で、大丸12F「布屋太郎兵衛 永坂更科」へ。
 👇は、入り口。時間が早いのでまだ混んではいない。      

 👇 なはさんと私は「御前そば」を注文。手前の天ぷらは戸〇さんの差し入れでおまけ。汁はから汁とあま汁の2種類ついている。そばは二八そば。

 👇 他の3名は、「二色天せいろ」。春野菜(たけのこ、菜の花、たらの芽、蕗の薹…だったかな?)の天ぷらつき。(向きが逆だが)  

 「東京ならお蕎麦でしょう」と金〇さんの娘さんのご推薦のお店。「大丸」店内で場所も便利。いつかまた利用したい。