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Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

第40回蒼山会謡曲大会~故高辻利雄先生17回忌追善

2020-03-17 | 能楽

 今年の「蒼山会謡曲大会」は、図らずも新型コロナウイルス感染防止のため文化・スポーツなど様々な行事が中止に追い込まれている最中に行われることになった。40回の記念大会であり、併せて高辻利雄先生の追善番組もあるので、会員は早くからお稽古に取り組んでいたのだ。
 まず、2月末に小中学生の公演が中止になった。また、能楽堂が高岡市の施設なのでもし県内に感染者が出れば市は閉鎖すると言う。念のため県立高岡文化ホールの多目的ホールをも確保するなど、主宰の山崎先生の気苦労は大変なものだったろう。 役員の人たちも消毒液などの準備に駆け回っておられた。私たちはせめてお稽古を励もうと何度か特別練習も行った。

 さて、3/15(日)は朝から青空の見える暖かい日だった。夕方には雨予報だったが幸先のいいスタートだった。

 👇 会場入り口の高辻先生の遺影。

 今回は新人さんたちの初舞台がいくつかあったので、平米公民館の女性メンバーの舞台を中心にいくつか紹介します。

 👇 後援の北日本新聞の記事から。舞囃子「歌占(うたうら)」、立ち方はMAさん。

 👇 初めての仕舞、KOさんの「熊野(ゆや)」。

 👇 KAさんの仕舞「半蔀(はしとみ)」。 
 👇 独調「羽衣」。TOさんの謡に合わせて。

 👇 MAさんとKAさんの連吟「綾鼓(あやのつづみ)」。

 👇 初めての舞囃子、NOさんの「西王母」。

 👇 MAeさんの「八島」。

 最後に、かつて高辻先生の指導を受けたお弟子さんの方たちで素謡「隅田川」。これがなかなかの圧巻だった。 中には何十年ぶりで顔を合わせた方たちもあったと聞いた。 お役の方たちは申し合わせをされたが、地謡の方はそれぞれがお稽古をして臨まれたらしい。
 無事に大会が終了し、ホッとしている。皆さん、お疲れさまでした。大変な時期にもかかわらず、鑑賞に来てくださった皆様、ありがとうございました。


第40回「蒼山会」謡曲大会 ご案内

2020-03-05 | 能楽

 いつもよりずっと暖かい2月だったのに、体調が思わしくなく気軽に動けなかったので、雛祭りを前にして内裏雛も木目込み人形雛も飾れずじまい。 唯一床の間の軸に「立ち雛」の色紙額をかけた。 福野の飯田先生の絵である。 城端の友人で今は福野に住むYa子さんの紹介で分けていただいた。

 さて、3/5(木)は平米公民館の「能楽お囃子サークル」のお稽古日。 「蒼山会」の第40回謡曲大会が近づいてきたので練習にも熱が入っている。 コロナウイルス感染の拡大で日本国中(いや世界中)が非常事態に陥っていて、大規模なスポーツ、文化行事は中止を余儀なくされている。 3/15(日)開催予定の「蒼山会」も、小中学校の休校要請を受けて「子ども能楽講座」の受講生の発表を2/29(土)に前倒しして洋服のままで行われたようだ。 4月から中学生になる何人かは3月で止めるので、着物を着て発表会に臨みたかったことだろう。

 私たち(大人)の第2部は、予定通り「高岡市青年の家・能舞台」で開催されます。 平米公民館グループは、素謡「鵜飼」と「千手」、連調連管「右近」、仕舞「玉葛」、独調「羽衣」、舞囃子「西王母」と「歌占」に出演します。 

 👇は、番組表の表紙。 3/15(日)、2部は、10:35から。
 場所は、市青年の家・能舞台ですが、もし富山県内に感染者が出た場合は市の施設が閉鎖されるので、県立高岡文化ホールの多目的ホールに変更されます。 その時はまたお知らせします。


平米公民館「能楽お囃子サークル」

2020-02-27 | 能楽

 毎週木曜日午後は、平米公民館の「能楽お囃子サークル」のお稽古日である。 3月半ばの「蒼山会」の能楽大会に向けて、お囃子、お謡、仕舞のお稽古に熱が入って来た。 いつもなら、覚えて、間違いなく太鼓が打て、謡が謡えるのが目標だが、今年の私は違う。

 太鼓は息切れが激しく、掛け声がかけられない、最後まで打てない。 謡は声がかすれ、息が切れるので、発声を工夫したり、息継ぎをどこでするか、その都度整えなければならない。 その日により調子が変わるので、一度一度がテストのつもりでお稽古をしている。

 今日は、中の舞「右近」を最後まで無事に打てた。 独調の「羽衣」は、謡のTOさんと合わせるのだが、続けて3回打ったら、もう息も絶え絶えで声は出せなくなった。

 その後の素謡「鵜飼」と「千手」。 「千手」の長い言葉がなかなか一気には謡えない。 息継ぎが多いと聞き苦しいし…。 本大会まで、工夫と訓練だな~と思っている。
 お稽古後、楽しい話や能楽堂をもっと利用するための話し合いなどで、いつもより時間が遅くなった。 外は夕暮れ。 いつものライトアップの電飾に光が入っていた。 折しもみぞれが降り出し、寒くて待てず全開のライトアップにはならなかったが…。

 👇は、事務室の前。

 👇は、正面玄関の上。 「元気」の文字が隠れてしまった。

 👇は、「2020」の文字がまだ光っていない。


確定申告 & 「西王母」申し合わせ

2020-02-20 | 能楽

 毎年早めに出す確定申告、昨年からは電子申告をしています。医療費の金額だけまとめればすぐ出せるのですが、なんだか気が乗らなくて1週間ほど前からテーブルの上に積んであります。でも、ようやく18日(火)に仕上がり、パソコンで送信しました。来年度のため保存して、念のため印刷もしました。やはり紙で残すのが何かとわかり易いのです。

 そして、19日(水)午後から気の重い用事があり、2時間ほど費やしました。疲れました。夜は「蒼山会」、「芙蓉会」などのお囃子の申し合わせ。私は「西王母」の舞囃子を合わせることになっていました。

 👇は、米島先生宅の仏間(お稽古場)です。

 👇 手前の長押にはずらりと、今まで演能された数々のお能の「許状」や写真、面が並べられています。一番新しいのが昨年5月の「弱法師(よろぼし)」。

 👇の右は、「弱法師」の面です。盲目の少年なので目が細いですね。きっと狭い部分しか見えないのでしょう。

 さて、私の申し合わせの「西王母」の時、その日の午後の気の重い用事が尾を引いたか、途中で息切れがひどくなりました。最初、掛け声が出せなくなり、手だけようやく動かしていたのだけど、中の舞もまだ途中なのに我慢できないほど苦しくなり、「中の舞が終われば後は短いから…」と思いながらもとうとう途中で中断。他のお囃子、舞、謡はそのまま続くので、太鼓の部分を上田先生が声で、そのうち松原さんが途中から太鼓を打ってくださいました。

 本番までに体調をしっかり立て直さないと…。


高岡能楽会総会~試しの舞台

2020-02-10 | 能楽

 2/9(日)、高岡能楽会の定時総会が開かれた。会員謡曲大会もあり今年度の活動がスタートしたわけだ。他の会の方たちとは今年になり初めて会うわけで、「今年もどうぞよろしく」の挨拶の場でもある。

 退院後安静に過ごし、丸一日の行事やボランティアなどの外出はずっと避けてきたので、朝から一日着物を着て行事に参加するのは私にとっては3か月ぶり?言ってみればお試しの行事参加だった。今年は連調連管はなく、素謡の地謡だけだったのでリラックスして参加できたのがうれしかった。

 👇 蒼山会の素謡「須磨源氏」。 

 その後、素謡や仕舞があり、終盤に舞囃子2番と番外仕舞があった。
 
  
👇 舞囃子「猩々」

 👇 舞囃子「草紙洗」

 最後に番外仕舞、山崎先生の「鞍馬天狗」

 ここ高岡市の能舞台は「高岡市青年の家 能舞台」と言われ、青年の家の3階にある。戦後「婦人の家」や「青少年ホーム」などと同じ時期に建てられたものだろう。耐震工事と共に客席も固定椅子になり、かなり使いやすくなった。
 能楽会では、定例能や瑞龍寺での薪能と燭光能、三派能楽大会などの行事を行っている。体験型ワークショップや小中学校への出前講座にも力を入れている。4月から建物は「青年の家」ではなく、「高岡市文化芸能館」と名前を変え再スタートするようだ。広い分野に開放される良い機会なので、お能に親しむ人も増えて行くといいな、と思っている。

 さて、私のお試し舞台は、どうやら息切れもひどくなく声もそう掠れず、膝もどうやら持ちこたえ、一日を終えることができた。大事をとり直会だけは失礼して帰宅した。


能楽 初稽古

2020-01-12 | 能楽
 
お囃子のお稽古10日間続く…
 大晦日の夜、「稽古収め」。と称してキッチンで笛と太鼓のお稽古をした。以来、今日1/9日まで10日間一度も休まず続けている。 最初はただの気まぐれから、2日目は「1日で止めるの......
 

  👆は、昨年の私のブログです。昨年は娘が帰ってきていて、毎日短時間だが、一緒に笛と太鼓のお稽古を続けていたのだった。遠い昔のような気がする。昨年末からお稽古も休んでいたので、9日(木)の平米公民館での初稽古は腕が上がるか、掛け声は出せるか、謡の場合も声が掠れないかなど気になることばかりだった。

 2月の高岡能楽会総会を皮切りに、蒼山会、芙蓉会、一河会、高岡能楽会謡曲大会、龍尚会…と前半(1~6月)と発表会が続く。
 一番気になっていた、蒼山会での「独鼓」の曲名が今日決まった。「羽衣」のキリで、TOさんの謡に合わせる。天女が天に戻る最後の場面でわりと短い。特に難しい手もない。緩急のリズムはあるだろう。お稽古が楽しみだ。

 👇は、「羽衣」の謡本。流派により表紙が異なるらしい。私ら、宝生流は、上段の右の本です。

 


今年最後の「お囃子の舞台」だったのに…

2019-11-21 | 能楽

 11/3(日)の市芸術祭の後なんか背中がスカスカするな~と思い始めたら風邪を引いていたらしく、もう3週間も経つのにスッキリしない。17日(日)は、「伸謡会・秋の謡曲大会」。私にとっては今年最後の能楽の舞台だった。今年は体調も良く、いつまでも続けられないだろうとの思いも重なり、発表の場を多くしたので疲れがたまったのかもしれない。

 「伸謡会」は、年に1,2回しか会って話せない方たちもおられるので楽しみにしていた。前日のお茶のお稽古も休んで備えたのに朝からあまり調子がよくない。が、出番は一度だけ、しかも午後なので、午前中のいくつか聴きたい番組に間に合うように準備をして出かけた。

 残念ながら、「子供謡曲教室」の舞台は済んでいた。

 👇 姫さんの素謡「敦盛」。

 👇 YA{さんの独調「高野物狂」、謡と小鼓です。

 今年は「一河会」で、「岩船」を独鼓で打たせてもらったが、近頃、謡に合わせて太鼓を打つのが楽しくなってきた。
 👆の舞台を見られたのはたいへん嬉しかった。

 その後、昼食の時間頃に体がフラフラ感じられ、顔色も悪くなっていたらしく「帰った方がいいよ」と皆に勧められ、先生にもお願いしていたので舞台は断念。家に帰り寝ていました。やはり気力だけではダメか~と痛感。年齢には勝てません。

   以下は、姫さんのブログから拝借しました。

 👇 子供謡曲教室の「仕舞」と「独鼓」

 👇 舞囃子「胡蝶」

 👇 連調連管「西王母」


観世元信氏が死去 能楽太鼓方観世流宗家

2019-11-14 | 能楽

 2,3日前の新聞の訃報欄で、 観世 元信氏(かんぜ・もとのぶ=能楽太鼓方観世流宗家)氏が、11月10日死去、88歳。告別式は11月14日午後1時から東京都目黒区中目黒3の1の6の正覚寺実相会館別館たちばな。喪主は妻、喜祢子さん、との記事を読み驚いた。

 ちょうど2年前に若宗家の元伯氏が亡くなられたのだ。👇は、その時の私のブログだが、少し前からアクセスが増えて不思議に思っていた。ご病状が悪くなっておられたのだろうか。

 https://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/6181e3bad66878a9ef2e2ec52f103dc8

 私の太鼓のお師匠の上田先生は、家元の直弟子だからお弔いに行かれることだろう。若宗家も亡くなっておられるのでどのように観世流を継いでいかれるのだろう。

 さて、平米公民館の「能楽お囃子の会」は、謡、笛、太鼓方のそれぞれの弟子が最近急に増えてとても賑やかになった。時間帯、テーブルに並ぶ座席などもいろいろと工夫しなければならなくなった。慣れるまでもたつくが、そのうちスムースになるだろう。

 👇は、11/17(日)の「伸謡会」の番組表だが、笛と太鼓のお囃子に平米組も参加する。最近、謡を習い始められたOさんがお囃子を聞いてみたいと言っておられ嬉しい限りです。


「福宝会」謡曲大会 と 太鼓

2019-10-31 | 能楽

 7月頃だったか? 「福宝会」の福島先生から、笛と太鼓と謡で一曲演奏したいがどうですか?と電話があった。前にも2回ほど出たことがあるのだが、もう年だし、着物を着て太鼓を持って移動するのもつらいし、事前に何度か申し合わせに出向かなければならないし…などと考えると億劫にもなる。上田先生に相談し、先輩のMAさんに励まされ、何度か申し合わせに出向き、お引き受けした。

 私が長野での同級会に出席したり、公民館のお稽古が休みで2週間空いたり、本番が近づくにつれて不安がつのり、祝日の午後に先生宅へ出向きお稽古をつけてもらったりした。

 当日は雨模様、富山マラソンの日だった。自分の舞台が終わった後、見所で他の方の舞台を見たり聞いたりできてとても勉強になった。

 👇は、素謡「源氏供養」。

  👇は、仕舞「田村」。

  👇は、独鼓「吉野静」。

  私自身は、NAさんの笛と「福宝会」の方の謡で「船弁慶」。笛との囃子の最後の部分でミスをしたがどうやら合わせられ、ホッとした。

 翌日、上田先生に太鼓をお返しし、結果を報告。2ヶ月間ストレスになっていた「船弁慶」、少しは自信がついたかな~?
 👇は、先生宅でいただいた「面白い恋人」。なんと大阪新名物だとか。

  👇 帰りに立ち寄った「GU」。下着でもと思ったが、我々の年齢の者に合うのはなく、息子の物と思えばどれがいいのか見当もつかず、結局買ったのは私用にタイツと薄手のセーター。私には「赤のれん」が向いている。


謡蹟巡り~「安宅」、「実盛」を偲んで④~余談いろいろ

2019-10-30 | 能楽

   私が所属するお謡の会「蒼山会」(山崎健先生主宰)では、毎秋かならず謡蹟巡りの旅に出ます。日帰りと一泊旅行が一年おきです。よほどのことがない限り毎年参加しています。 今年は日帰りの年、いつも能楽を聴きに来てくださる友人を3人お誘いし、一緒に行ってきました。

 10/20(日)、朝8時に大門を出発し、最初の目的地が小松市「安宅関」。能「安宅」の舞台です。次に「多太(ただ)神社」へ。創建は約1500年前、武烈天皇の時代(503年)、能「実盛」の主人公、斎藤別当実盛の兜が奉納されています。最後に、義仲が平氏と闘った篠原合戦場跡にある「実盛塚」、「首洗い池」を訪ねました。これまで3回にわたり旅の様子をリポートしましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。最後に余談をいくつか…。

 まず、集合写真です。多太神社の本殿前です。

  👇は、芭蕉の「奥の細道紀行」330年記念として小松市が発行した絵葉書です。芭蕉は、7月25日多太神社を訪れ、実盛の甲冑を拝観。その2日後に山中温泉に向かう途中、多太神社を再訪しこの句を奉納したそうです。 芭蕉は義仲が好きだったようで、滋賀県大津市(粟津ヶ原の戦の場所)にある「義仲寺」にある義仲の墓の隣に自分の墓も建てたそうです。

  一緒に参加したSAさんは、バスの中で先生が実盛の話をされた途端に次のような川柳を作られました。前日美容院へ行ってきたのだそうです。

 
 ☆ 実盛に 習い髪染め 謡い旅

 また、実盛の甲があちこちに奉納されているのを見て、初参加のお笛のNAさんが「今日の ”主役はかぶと” だね!」と言われ、それを聞いてまた一句。

 ☆ 謡い旅 主役は甲 勧進帳

 
 さて、バスの中での山崎先生の解説はクイズ付きだったのですが、私の座席が前だったせいもあり、ちょっと呟いた答が正解だったりしてなんと3個の賞品いただきました。白いソックス、刺し子の布巾、熊のキーホルダーです。

 一問目:お能では”ワキ”は旅の僧が多いのですが、「巴」の”ワキ”は何というお坊さんでしょう?
     位の高いお坊さんで「〇〇上人」と言われる方ですよ。

 私:北陸だから、蓮如上人? でも時代が違うし…。遊行上人かな?   アタリ!

 二問目:能 観世流の今の宗家の名前は?

 私:清和さん。      アタリ!

 三問目:巴御前はどこで亡くなったでしょう? 富山県内ですよ。

 私:たしか、福光だったかな?       アタリ!

 

 でした。

 


謡蹟巡り~「安宅」、「実盛」を偲んで③~首洗い池・実盛塚

2019-10-29 | 能楽

  私が所属するお謡の会「蒼山会」(山崎健先生主宰)では、毎秋かならず謡蹟巡りの旅に出ます。日帰りと一泊旅行が一年おきです。よほどのことがない限り毎年参加しています。 今年は日帰りの年、いつも能楽を聴きに来てくださる友人を3人お誘いし、一緒に行ってきました。

 越中の国は万葉の時代に、大伴家持が高岡伏木にあった国府へ赴任しています。源平の時代には、木曽義仲が木曽から都へ上る時に、また、義経が奥州へ逃れる時に通過しており、戦国の世にはいくつかの戦いがありました。江戸時代には、芭蕉が「奥の細道」の旅の帰りに北陸道を歩いています。今年の謡蹟巡りは、お隣の石川県で能「安宅」と「実盛」にまつわる史跡を訪ねます。

 10/20(日)、朝8時に大門を出発し、最初の目的地が小松市「安宅関」。能「安宅」の舞台です。次に「多太(ただ)神社」へ。創建は約1500年前、武烈天皇の時代(503年)、能「実盛」の主人公、斎藤別当実盛の兜が奉納されています。最後に、義仲が平氏と闘った篠原合戦場跡にある「実盛塚」、「首洗い池」を訪ねました。

 👇 「実盛塚」。篠原合戦場の中央辺りに位置し、見事な老松が実盛の守った奥津譲の名残をとどめています。石垣の前に参拝用の蝋燭や線香立てが置かれていて、木々の間から「塚」が見えました。 

  👇は、「首洗い池」。篠原合戦場で総崩れになった平氏軍の中にあって実盛は、自らの老いを隠すため白髪を真っ黒に染めて戦いました。手塚太郎に討ち取られ、その首級を洗ったと言われる池。

 池のほとりには実盛の兜を前に、悲しむ木曽義仲と樋口次郎、手塚太郎の3人の像が建てられています。左の義仲は、両手で実盛の首を抱え、天を仰ぎ悲しんでいます。右の手塚太郎の像が撮れていません。

👇 ここにも、芭蕉の句碑が…。 

  2時半、かなり遅くなった昼食です。皆さん、お腹がペコペコ。待ちに待った昼食は、明治14年創業の老舗、すき焼きで有名な「犀与亭」です。玄関、お庭、お部屋も純和風、石川県の食通人は誰でも知っているとか。4人一テーブルでいただきました。 

  この日のお肉は、宮崎県産。その日により変わるようです。旅行記はもう一回、書きますのでお付き合いください。


謡蹟巡り~「安宅」、「実盛」を偲んで②~多太神社(謡曲奉納)

2019-10-27 | 能楽

 私が所属するお謡の会「蒼山会」(山崎健先生主宰)では、毎秋かならず謡蹟巡りの旅に出ます。日帰りと一泊旅行が一年おきです。よほどのことがない限り毎年参加しています。 今年は日帰りの年、いつも能楽を聴きに来てくださる友人を3人お誘いし、一緒に行ってきました。

 越中の国は万葉の時代に、大伴家持が高岡伏木にあった国府へ赴任しています。源平の時代には、木曽義仲が木曽から都へ上る時に、また、義経が奥州へ逃れる時に通過しており、戦国の世にはいくつかの戦いがありました。江戸時代には、芭蕉が「奥の細道」の旅の帰りに北陸道を歩いています。今年の謡蹟巡りは、お隣の石川県で能「安宅」と「実盛」にまつわる史跡を訪ねます。

 10/20(日)、朝8時に大門を出発し、最初の目的地が小松市「安宅関」。能「安宅」、歌舞伎では「勧進帳」の舞台です。次に向かったのが「多太(ただ)神社」。創建は約1500年前、武烈天皇の時代(503年)です。

 源平合戦の時(1183年)、木曽義仲将軍が斎藤別当実盛公の兜、鎧の大袖などを奉納した。実盛公は、かつて幼い義仲の命を救った恩人だが、俱利伽羅峠の合戦で大敗を喫した平家軍に加わっていた。そして、加賀の篠原の合戦で総崩れになった平家軍の中で、実盛は老いの身を侮られまいと白髪を真っ黒に染めて戦い討ち死にした。首級を洗わせた義仲は涙の対面の後、懇ろに弔いその甲冑を多太神社に納めた。

 👇 「宝物館」に収められた兜(重文)は撮影禁止なので、ネットから。

 👇 「宝物館」には、誰かの寄贈の兜も展示されている。

 👇 境内には、誰かが奉納した兜も…。

  👇 芭蕉の句 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」

  👇 髪を染めている実盛公。

 多太神社本殿で謡曲などを奉納。 最初に、素謡「橋弁慶」。

 👇 次に、仕舞「安宅」。

 👇 素謡「吉野静」。

  次に、独吟で「勧進帳」。 👇は、仕舞「実盛」。

  最後に、素謡「巴」である。演目と謡と舞を奉納した人の名前をかいた額を奉納した。

 👇は、かつての奉納額。私たちのも掲げてくださるだろう。

  


謡蹟巡り~「安宅」、「実盛」を偲んで①~安宅公園

2019-10-24 | 能楽

 私が所属するお謡の会「蒼山会」(山崎健先生主宰)では、毎秋かならず謡蹟巡りの旅に出ます。日帰りと一泊旅行が一年おきです。よほどのことがない限り私は欠かしたことはありません。今年は日帰りの年、いつも能楽を聴きに来てくださる友人を3人お誘いしたら快く参加してくださいました。越中の国、富山県は、万葉の時代に大伴家持が高岡伏木にあった国府へ赴任しています。源平の時代には、木曽義仲が木曽から都へ上る時、義経が奥州へ逃れる時に通過しており、戦国の世にはいくつかの戦いがありました。江戸時代、松尾芭蕉は「奥の細道」の旅の帰りに北陸道を歩いています。

 とは言え、有名な史跡はとても少なく、謡蹟となると一つ二つしかありません。今年はお隣の石川県で、能「安宅」と「実盛」にまつわる史跡を訪ねます。

 10/20(日)、朝8時に大門を出発したバスは高岡駅南、福岡Pでそれぞれ参加者を乗せ西に向かいました。バスの中では恒例の「クイズ混じりの解説」を先生がしてくださいます。当てた人は賞品がもらえます。私は前の席に座っていたせいもあり、呟きが聞こえて正解だったりして、複数の品をいただきました。靴下、刺し子のふきん、熊のぬいぐるみなど(後で紹介します)。実は今度の目的地は、私がとても行きたいと願っていた場所だったので、ちょっと詳しかったのです。

 👇 最初の目的地は「安宅関」。能「安宅」、歌舞伎では「勧進帳」の舞台です。今は「安宅公園」と言うようです。左から、義経、武蔵坊弁慶、富樫の像、これは以前から変わりません。 

  👇 近くの海岸に大勢の人が…。聞くと、「海辺のクリーン作戦」の日だそうです。ゴミを拾ったボランティアの人たちが、お礼にと地域の野菜をもらっている行列でした。見事な大根ですね。


三派合同能楽鑑賞大会 ’19~②

2019-10-08 | 能楽

  例年は9月に開催される「三派合同能楽鑑賞大会」だが、今年は高岡文化ホールの他の行事の関係で、10/5(土)に開かれた。午前中は私たち、能楽会会員の発表会、午後はプロの先生方の仕舞、舞囃子、狂言、能が演じられた。三派とは、能の観世流、宝生流、狂言の和泉流を指す。

 今年の能は、宝生流で「経政」。👇の番組表の表紙は、経政の姿です。面が美しいですね。

  

 この能面は「十六(じゅうろく)」と言い、少年のあどけなさの残る面で、平敦盛(たいらのあつもり)の相貌を表したとされ、敦盛がわずか16歳で源平の合戦において戦死したことに由来する。能「敦盛」、「経政」で用いられる。

                      

  平経政(経正)と敦盛は経盛の息子たちで、経盛は清盛の異母弟なので、経政、敦盛は清盛の甥にあたる。経政は、平家一門の中でも俊才として知られ、歌人として活躍した。また琵琶の名手としても名を挙げた。藤原俊成や仁和寺門跡覚性法親王などの文化人と親交が深く、とりわけ覚性からは、楽才を認められ琵琶の銘器『青山』を下賜されるなど寵愛を受けた。 寿永2年(1183年)の平家都落ちの際に仁和寺に駆けつけ、拝領の『青山』を返上し和歌を残した逸話は有名です。 

 能の演目「敦盛」「経政(つねまさ)」などは、軍記物『平家物語』を題材とした世阿弥の作とされる。「経政」が修羅に落ちた自らの苦しみを語り、その姿を恥じる様を強調するのに対し、「敦盛」は霊となって後に、自分を討った源氏の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)と再び出会い、弔いを受け入れるという風雅と無常を表現する。

 「経政」は、中入りのない短い能。経政が一の谷の合戦で討ち死にした後、仁和寺では琵琶「青山」を手向け管弦講の法事を催して経政を弔う。そこへ経政の霊が現れ、修羅の妄執に責められて苦患に悩む姿を見せる。よく仕舞でも舞われる「クセ」や「キリ」の部分が、謡の言葉も美しく、お囃子、舞が見どころとなる。

 作・世阿弥元清
 シテ(平経政):広島克栄  ワキ(僧都行慶)平木豊男
 大鼓:飯嶋六之佐  小鼓:住駒幸英   笛:瀬賀尚義
 地謡:大坪喜美雄 他

 終演が早かったので、その後なはさん、姫さん、SE子さん、SUさんと一緒に「トワイス」でコーヒーにケーキで一休みしてから帰宅した。


三派合同能楽鑑賞大会 ’19~①

2019-10-05 | 能楽
 
三派能楽鑑賞大会~能「弱法師(よろぼし)」&能楽ちびっこ教室
  👇は、昨年の「三派合同能楽鑑賞大会」の様子です。表紙のお能は「三輪」です。 三派能楽大会’17~能「三輪」  9月17日(日)、今年も高岡文化ホールで、宝生......
 


 👆は、昨年の「三派合同能楽鑑賞大会」の私のブログです。例年は9月に開催されるのだが、今年は高岡文化ホールの他の行事の関係で、10/5(土)に開かれた。午前中は私たち、能楽会会員の発表会、午後はプロの先生方の仕舞、舞囃子、狂言、能が演じられる。

 私たち「蒼山会」は無本で「藤戸」を謡った。お役はシテがSIさん、ワキがMEちゃんです。お二人ともしっかり覚えて、良い声で朗々と謡われた。YAさんが動画を録ってくださりラインで送ってくださったが、このPCには送れないのでいつか取り込めたらアップします。

 👇は、高岡市生涯学習センターの「能楽教室」の子どもたちの発表からです。連調連管「早笛・舞働」、仕舞「紅葉狩」・「羽衣」・「経政」・「半蔀」・「籠太鼓」と、舞囃子「鞍馬天狗」が演じられた。小鼓、大皷、地頭や後見に先生方の助けはあるものの、これだけ多彩に演じられるのは並大抵のことではない。小さい頃から通い続け、先生方の根気強い指導を受け、家族の助けもあって、ここまで立派に演じられる姿をご覧ください。

 👇 舞囃子「鞍馬天狗」。立ち方(シテ)は鞍馬山の大天狗です。

  「一部」と「二部」の間に昼食時間があるのが嬉しい。お弁当を食べた後、「藤戸」の動画を撮ってくださったYAさんが蒼山会の女性メンバーにコーヒーをふるまってくださり、「和庵」でワイワイとお喋りをした。