蒼穹のぺうげおっと

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ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破 感想

2009-07-05 22:35:19 | アニメ 感想
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」観て来ました。

仕事が死ぬほど忙しいけれども、それでもこの誘惑には勝てませんでした。
#そしてやっぱり観にいって後悔は無し。

以下、ネタばれを含む感想となりますので、僕個人としては未見の方は(他サイトを含む)ネタばれ感想は絶対に読まずに劇場へ足を運ぶことをお勧めします。
特に、これから劇場版を観にいこうと思っている方は、ちょっと我慢して何も情報をいれずに行った方が楽しめると思います。

劇場版のパンフレットですら厳重に封をされている状態。
つまり劇場に足を運んだ人ですら、開封しないでね、というくらいの状態ですから。
#でもあのシールはもうちょっと簡単にはがれるものにして欲しいな・・・。


さて、以下感想です。












Q!?



満員の劇場で、僕らが次回予告を見終わった瞬間、全員の頭の中に、あるいは声に出して呟いたあのどよめきの殆どはこの「Q」という文字によるものだったんじゃないでしょうか。
ほぼ全員が「Q!?」って感じでしたよ。

もちろん僕自身も頭の中は「Q!?」だったわけだけれども。

これは序・破ときて、次が急であることの表れなんだけれども、次回予告には色々あってそして最後に「Q」だったので、全部持ってかれた感じが無きにしも非ず(笑)。
#鶴巻監督もインタビューで、次回予告に全部持ってかれるんだろうな、と呟いていた予想通りなのかも。



とはいえ、「破」自体もとんでもないインパクトがあって、これはまさに新生ヱヴァンゲリヲンであり、全くの新作と考えて良いと思うし、既存のヱヴァンゲリヲンを破壊した、まさに「破」だったのではないかと思います。

密度が濃くて、90分間ずっと肩に力が入ったような状態で、緊張しながら?観てしまいました。


見終わってすぐの感想は全部「Q」に持っていかれてしまったのだけど(笑)、観ている最中の僕の大きな感想としては「序」から感じていたことだったんだけれども、既存のエヴァがハリネズミのジレンマそのものだったと僕は考えていて、淋しくて淋しくて仕方が無い、分かって欲しいけれども上手く接することができなくて、最後に突き放して終わっていった、というのに対して、新劇場版ではエキセントリックな部分は残しつつも(いやむしろ増幅しながら)、大きな意味での優しさというか、作品としてきちんとキャラクターを突き放すだけで終わらない方向性を感じる部分が結構あるんですよね。

その最たる部分はエヴァパイロットであるシンジ、レイ、アスカの扱い方がTV版とは大きく異なっているところだと思います。

映画という尺の制限があるがゆえなのかもしれませんが、主人公であるエヴァパイロットたち3人をどうやって物語の中で扱っていくか、物語に絡めていくかというのは、短い尺の中で描ききっていくのは結構難しいことだと思うんですよね。

この新劇場版では、その短い尺ゆえに、エヴァパイロットたちの扱いが非常に大胆にフォーカスされていると感じます。

「序」ではシンジとゲンドウの親子の関係性だけじゃなく、一番フォーカスされていたのは綾波レイの心の動きでした。
#もちろんシンジにもヤシマ作戦をクライマックスとしてしっかりとフォーカスが当たっていました。

「破」では?

というと、間違いなくアスカ。

そしてまたしてもレイ。
というか、「序」自体がそれこそ序盤で、「破」ではやはりダブルヒロインにきっちりスポットが当たった形になったと思います。
#実はマリもいるのでトリプルヒロインなんだけど。

ここから先の解釈は人によって違うと思うけれども、僕は今回の「破」でのアスカの描き方、上手いなと思いながら観てました。

当然、アスカがエヴァ3号機に乗る、そして死亡フラグ的な台詞を仰る、そしてトウジの役割をそのまま引き継いでしまった映像には超・衝撃を受けました。

しなしながら、アスカってこの先、TV版だとどんどん壊れていって、最後はシンジに「気持ち悪い」と呟いて終わってしまう、というか、TV版は最後には全キャラ突き放しエンドになっていたけれども、そういう意味ではこの劇場版という尺を考えて、アスカがどうやって心を開いて、そしてどうやって物語りに絡んでいくのか?というのは、結構興味津々というよりも心配ごとに近い部分でした。

でも、あえてトウジとヒカリの出番をああいう形でオミットすることによって、そこにアスカの出番を初号機に本当の意味で喰わせる、シンジの心を一度凍結させる、という役割を与えることで、この先のアスカの関わり方を僕らTV版を知っている視聴者としても全く想像できないものにしてしまった。

そしてあの予告編の片目仕様ですよ。

そして「Q」ですよ。

そりゃー、予告編に全部持っていかれるってモンですよ。

僕の後ろの席の人なんか、あのまま予告にアスカが登場しなかったら激怒してましたよ、と仰ってましたよ。
#分かるよ、その気持ち。

やっぱりアスカのキャラは偉大だな、と改めて思いましたね。

エヴァって当時、出足は低調だったと記憶してますが、人気が出てきたのはやっぱりアスカが登場してからだったような気がしたし、僕も実際、アスカが出てきてから綾波とのダブルヒロインで面白くなったなー、という印象が残ってますからね。

コアなファンからしたら、あのままぶっ壊れていくアスカが良い、という方もいらっしゃるかもしれないけど、あのまま行くと結局破滅しかないからなぁ、個人的にはそういう意味で今回の「破」でのアスカが「他人と話すことが楽しい」と言ったのは結構救われた気持ちになりましたよ。

この辺がキャラを大事にしていると感じた大きなところかな。


大事にしているという部分では実は結構シンジくんも大分丁寧に描かれたような気がします。

シンジが使徒に飲み込まれた綾波を救い出すシーンっていうのは、赤城リツコさんじゃないけど、神掛かっていたように思うんですよね。

TV版ではシンジくんの心の成長って、結局してるんだかしてないんだか分からない部分って多かったんだけど(笑)、新劇場版ではその辺が非常に分かりやすく演出されているような気がして、綾波を救い出すために、自分の殻を破っていくシーンというのはまさに「破」という勢いがあって鳥肌が立つ感じでした。

シンジくんは、思春期の少年をそのまま投影した部分が多くあって、自分の世界と他人と生きていく社会との違い・摩擦や、親からの自立であり認めて欲しい気持ちなんかが一気に押し寄せてくる世代でもあると思うんです。

でも、そういう社会とか親とか関係ない、自分の気持ちに正直になった部分というのが、綾波を使徒の中から救い出す、自分の殻を破って突破していくシーンとして描かれたようにも思えたんですよね。

これって何か新鮮でした。


綾波なんかはもうどうしちゃったの、というくらいの衝撃。

シンジとゲンドウに仲良くして欲しいから、食事会を開こうとするまでに。

もうこれは僕の中のセカンドインパクトくらいインパクトありました。

でもこれって、結構綾波の変化していく心情と、ゲンドウが実は碇ユイとの約束でシンジを(何気に)大事にしているところとか、この食事会にフォーカスがあたって、非常に面白い演出だったと思うんですよね。

もう何か言語化不可能です、僕は。


食事会といえば、この「破」では食事に非常にスポットが当たっていて、食事を中心に人の輪がつながっていく、お互いの気持ちを確認しようとする行動へと導いていく効果があったと思うんですよ。

けれども、その食事に関するクライマックスであるシンジ・綾波・ゲンドウの食事会の開催間近をまさにピークとして舞台はそこから暗転していく。

エヴァ3号機が使徒のウィルスに感染して、さらにはアスカまでもが犠牲になっていく。

食事という意味ではそれこそ、初号機が3号機を文字通り喰ってしまう。
#その後、逆に使徒に零号機が食われてしまう。

食事を中心としてこんな暗転の仕方ってすさまじくないか?

と一人思って観てました。


こういう中で、新ヒロインである真希波・マリ・イラストリアスってまだまだ謎だらけ。
キャラの方向性としてもまだ僕は掴めていないけど、今までのエヴァキャラにはいなかったタイプであることは間違いないと思います。

異質。

「破」が全く新しいエヴァになっている理由はいくつもあると思うけれども、やっぱりマリは異質で、だからこそ「破」なのかもしれない、と思いました。

つまりこの「破」で、僕らTV版視聴者はこの新劇場版がこの先どこに行くのか?TV版の焼き直しなんかでは全く無い、全く新しいエヴァとしてどんな未来になっていくのか、このマリの登場を含めて全く分からなくなってしまった、という感じがしたんですよね。

ちなみにマリのプラグスーツについては仮設5号機に乗っていたときの方が好きです(感想の流れをブレイクする感想だ)。

あとチェックのスカートはグッド。

裏コマンド、ビーストっていうのも新鮮だったなぁ。
あの制御棒が抜けていく演出ってのはかっこよかった。


そこから初号機が覚醒していくところは見もので、あのポスター(オレンジ色で初号機と思われるシルエットが咆哮しているような図)の意味が分かった感じ。


そしてその直後に、カヲルくん登場で、ロンギヌスの槍に貫かれる初号機。

もう全く予想不可能領域。

そして次回予告の「Q」。

もう全部持ってかれたような感じ。
#そして感想も冒頭へ戻り、以下エンドレスループ。


いやー、

超・濃厚。
超・濃密。

宇多田ヒカルのエンディングも、アコースティック風と見せかけて、実はギターが結構いい感じに使われてて激しさすら感じるんですよね。
これって、透明度の高かった「序」の「Beautiful Wold」よりも「破」ではこっちのアレンジの方がばっちり合うな、という感じでした。


正直、現時点で僕の頭は飽和状態なので、あと2回くらい観たい感じです。

全く頭の整理が出来てないファーストインプレッションに近い感じの感想になっちゃったけど、でも実際それが一番僕の生の感想に近いところなんだろうな、と半ば整理を諦めてしまいました(笑)。

いやー、でもやっぱりエヴァって凄いわ。

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blu-ray版も早く予約が出来るようになればいいのに。

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5 コメント

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Q! (ごんべえ)
2009-07-14 01:57:44
Qってまんま「急」じゃないかとも思ったんですが、
う~ん果たしてどうでしょう……。
返信する
やべー、何このベッタベタな日本アニメ (ひれん)
2009-07-14 02:54:05
お久しぶりです。引っ越しやらなんやらでゴタゴタしてるんですが、気分転換にちょうどヱヴァ見てきたので感想をば。

いやーエウレカはべたべたなディズニーアニメなんですが、こっちはベタな日本アニメのまんまというか、そして色んなとこで庵野監督、好きだなぁ、わたしも好きだけどと。いう感じでした。

包丁で指を切る描写を真面目にやった作品なんて久々見ましたよ。なんて分かり易さ・・・
戦闘描写もタツノコ的なカッコイイアングルと無駄にかっこいい動きとギミック。鴉以来久々に魅せて頂きました。イナヅマキック(ですよね?)のオマージュと全力疾走する初号機が好み。
食事自体は師匠(?)の宮崎監督から頂きましたって感じなのかな、と思いながら見てました。
「序」にあった戦闘中に痛みを感じる描写、テレビ版だと初期の頃はあったんですが中盤なくなったりするんですよね。そういうとこでも映画版では一つのシリーズとして通してるんだなー、って感じました。
365歩のマーチに始まる昭和臭が・・・
それと映画版はテレビと違って日常風景、生活の営みや使途出現時の避難状況が導入されてたこともあって、テレビ版よりも臨場感がアップしてた気はします。そしてここでも・・・BGMが太陽を盗んだ男じゃないですか。昭和臭ムンムンですね。
そして童謡が流れてきた瞬間あぁ、いつもの庵野監督だなぁ、と。

アスカ・・・今回は加持さんとの絡みをなくした分、シンジをよりチラ見する方向に。甘えられる対象がなくなった分ワンダースワン持ちながらシンジ君チラ見しまくり、レイと同じ弁当に嫉妬もちまくり・・・恋に恋する青春スーツですなぁ。描写の薄さは庵野監督ならでは、でしょうが。もっとオレにニヤニヤさせて下さい、監督。
加持さんとの絡みがなくなった分、ミサトさんに家族ゴッコも悪くないと打ち明けるのが自然にみえました。なんだかんだ言って劇場版の保護者はミサトさんしかいないですからね。
次回作で眼帯付けてましたが・・・眼帯取ったら使途が目に?そして石化の魔眼?もしくは初号機に対抗してビーム発射とか?

レイ・・・あの包丁傷は・・・超ベタベタなのに不覚にも萌えてしまった(アスカもだけど)。そりゃポカポカもするってもんですよ。庵野監督の赤面が目に見えるようでした。
料理で家族をつなげるって部分は母親のイメージなんですよね。ゲンドウが幻見てるの見て三丁目の夕日が浮かんでしまったのは私だけ・・・ですよね。今作ってしょっぱなから昭和のイメージだったもので。ラストの特攻付近も母親的な感じじゃないでしょうか。
ただ、「ポカポカ」発言とシンジやアスカへの「・・・ありがとう」発言は芽生える恋心ですよね。シンジ君はゲンドウの息子なんでゲンドウしか意識になかった最初はただの息子的な目線だったけど、ヤシマ作戦を境に対等に見えてきてる、ということなのかな。それがラストのシンジ君の手を取る行動につながってるんですね。餌付と「綾波、来いっ!」のセリフ、ここでレイの中でシンジ君は親父を超えたんでしょうね。
そういえばポカポカ発言の場面でのセリフがテレビ版と変わっているのですね。何というか違和感がありつつ、今作のレイの心変りの描写を垣間見た気もしました。テレビ版ではエヴァしか見えてなかったキャラですが、周りが見えてるというか、自分を取り巻く環境をを含めて考えられるキャラになってるんだな、と。

シンジくん・・・君は熱かった、だけどそれは・・・正しい熱さなんだ!だってテレビと違うんだもん!もう呼び捨てにはできないですね。「シンジさん」と呼ばせてもらっていいですか。ってくらい最後は熱かったですね。本当にレイのことが好きというよりは、アスカ再起不能という事態を繰り返したくなかっただけのような気もしなくはないけどね。やっぱりそこはシンジ君、かな。だけどあれだけ本気で叫んでくれれば熱くなるってものさ。
レイとしては母親な感覚なのかもしれないけど、シンジ君としては一人の女の子なわけで、好きかどうかは別として、やっぱり女の子は自分の手で助けて、そして勢いで合体までいっちゃうのが健全な男の子の在り方ってわけで・・・(チガウ?)
ここらへん、アスカに手を出せなかったのは相手から飛び込んできたから心の整理がついてなくて紳士ぶるしかなかったんだけど、レイの場合は自分で助けたから自分のものになったと思えたということで、アスカは完全に空回りキャラになっててかわいそうというか・・・せっかく加持さんとの絡みがないというのに、ね。
そういや、テレビ版の時は加持さんがなだめすかして乗せてて、心情変化が急激過ぎたのはご愛敬、だったんですが、今回はマリのおかげで幾分ましになったように思います。きっかけが加持さんじゃなかったからか、ゲンドウをびくっとさせる程の強い意志だったし・・・しかし、こうなると加持さんの存在意義がどんどん低くなっていくなぁ。「あっーーー!」だけ?いや、まぁシンジくんを取り巻く環境や世界観を語るためのキャラクターではあるんですが。今作では必ずしも要るキャラクター・・・ではないかなぁ。
まぁ、何にしても映画では周りの人々がシンジ君に優しくなってたり、マリとの運命的な出会いのようにシンジ君中心に動いてたり、ヱヴァ初号機もシンジ君を陰ながら見守るようになってたり、テレビ版と違って全てがシンジ君を育てるために動いているのですから、マッチョになってくれないと困るわけですが。キャラクターのベースは変わってないので今後どう変化するかってとこですよね。新劇場版「破」では悪魔じゃなくて天使になりましたが、はたして・・・。
気を抜くと背中にカヲル君が目を光らせてますからね。「あっーーーー!」

マリ・・・異物であると同時に昭和的雰囲気を出す為のキャラ・・・なんでしょうね。君のおかげで三丁目の夕日がなぜか浮かんじゃうんだよぅ。
謎は、まぁまだ続きがあるからいま語ってもしょうがないかなって思ってます、特にヱヴァと言う作品の場合。そういう意味では今の立ち位置は(あんなに活躍したにもかかわらず)カヲルくんと変わらない気もします。謎です、謎々のキャラです。

ちなみに「Q」はウルトラシリーズからでしょうね。最初にカラーのエンブレムが出るとこが複線、でしょうね。
ミサトの携帯の着音とか他にもウルトラはいっぱい入ってましたね。庵野監督お好きだなぁ。私も好きなのでニヤニヤさせてもらいました。

いつも通り取りとめもなく書いちゃいました、すいません。
ではでは~
返信する
今回のヱヴァってジュヴナイル的な気がします (ひれん)
2009-07-16 02:33:32
何度も投稿申し訳ないです。

テレビ版のエヴァが純文学的なのに対して新劇場版ヱヴァはジュヴナイルなかほりがします。

テレビ版は何もない自分に何かよって立つポリシーや信念的なものを見つけよう、守ろうと葛藤してもがき悩むも、結局見付けきれなかった、捨てざるを得なかったっていう形なんですよね。というか登場人物や世界設定がみんなそうですしね。シンジとアスカは変われない、もしくは諦めた自分を受け入れて生き残り、世界はそんな自分に悲観して自殺するという。まぁ奈須きのこ氏の作品的な、もっと言えば「人間失格」とか「こころ」とか最近なら「蹴りたい背中」とか。そんな感じだと思ってます。
それじゃ新劇場版はどうかというと、かなりご都合主義ではありますが(というか庵野監督が照れて葛藤の末に信念を掴み獲るなんて書けないんじゃと邪推してみる)、レイのために、という形で自分のポリシーを掴み取ろうとするジュヴナイル的な話に見えます。
新劇場版ヱヴァは後2部あるらしいですが、生きなければならない理由を何も持ってないシンジ君(根本はテレビ版と変わってないので)が、自分が生きる理由、つまり何らかのポリシーとか信念的なものを掴み獲って、それを貫いていくならジュヴナイルだし、やっぱり純文学っていうのならせっかく掴みかけたポリシーやら信念を掴むのを諦める、または掴んだのに捨てることになるんだろうな、って気はします。
まぁ純文学になっても、第2部の「破」でその名の通りテレビ版エヴァの常識を打ち破ってくれたので、あれこれ批判はあっても一応同じことはしていない、と言えるかもしれません。けど、私としてはジュヴナイルなヱヴァでテレビ版との完全な差別化を図ってほしいな、と勝手に期待してたり。
まぁ、結局庵野監督次第なんですけどね。

もし新劇場版ヱヴァがジュヴナイルであれば、今のところエウレカテレビ版でいう第26話的な感じでしょうか。テレビ版エヴァでは素直に手を出せなかったシンジとレイですが、映画ではレントンとエウレカよろしく硬く手を握り合えたのは結構グッとくるものがありました。アスカファンには噴飯ものかもしれませんが。
でもこれはテレビ版エヴァがあったからこそ余計に感動したのかな、と素直になれない自分もいるわけで・・・あぁ、天の邪鬼って損ね。
返信する
 (燕。@NY)
2009-09-03 02:56:00
■ごんべえさんへ
仰るとおり!まんま「急」です。
ただ、そこを敢えて「Q」です。
#庵野監督、ウルトラマン大好きだからなぁ。
そこに死んじゃったの?大丈夫なの?もう出ないの?と思わせたアスカが眼帯で登場!というインパクト。
これは「Q!?」って感じ、でした。
返信する
僕らの期待 (燕。@NY)
2009-09-03 04:45:04
■ひれんさんへ
どうも大変ご無沙汰しております。
庵野さん、いつも斬新なようでいて、どこか昭和のにおいをさせている人ですよね。
つか、やっぱり何か原初体験みたいなのを大事にしてるのかなぁーって思わせます。
#ウルトラマンとか仮面ライダー大好きだし。
庵野さんも結婚して、方向性とかマイルドに変化してるんじゃなかろうか、という気はしますけどね。
でも、なんで童謡(笑)。

使いまわすはずの原画がまるまる紛失していたことによって、殆ど書き直された「破」ですが、そのおかげで、ぶった切るところをぶった切って、シンプルにして、凄く新鮮でした。
普通、続き物の2番目ってトーンダウンするんだけど、これは全くそんなことなく、完全新作って感じでした。
満足。

レイの扱いなんかも凄いな、と。
もうポカポカだけでも十分ノックアウトなんですが。
マリに関しては全く僕の中では分かってないですね(笑)。
位置付けも意味付けも分かりません。ただ異質。
でもこれが本質なのかも。

ちなみに僕の感想の中心はアスカでした(笑)。

あと、庵野さんがジュブナイルというか、ボーイミーツガールを素直にやってくれるかは懐疑的だなぁ、僕は。
でも、最初のTV版というか、オリジナルのような、ブン投げエンドは無いと確信してますが。
尺を劇場版にしてるから、余計な描写ができない、シンプルにせざるを得ない、だからこそ、シンジの成長や心情にスポットを当てていくことになるんでしょうね。
これがまた良いって感じで。

膨大なバックグラウンドがあって、視聴者の前提条件もそろってるからこそ出来る思い切りなのかもしれませんが、それをまた我々も期待しているのかもしれません。

日本に帰ったらもう1回観ることにします。
#つか、まだやってるかな。
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