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ヒロイック・エイジ 第16話「幾つの定めを超えて」 感想

2007-07-27 00:48:00 | ヒロイックエイジ
第1部がエイジとの出会いとアルゴノートの苦難の逃避行、第2部が地球への道のりと孤独の英雄の救出であるとするならば、この第16話からは第3部と捉えても良いのかもしれない、と個人的に思っているんですが、第3部はこれまで契約に縛られてきた者たちが、その契約の真の意味とは、そも契約とは?という部分に踏み込んでいくところなのかもしれないなぁ。

その一つ目の動きとして、メヒタカ。
彼も戦うことが嫌いであったにも関わらず、(自ら課した?)契約に縛られ、戦いを続けてきたけれども、エイジ、そしてディアネイラとの出会いの中で、自らの意思で初めて誰かのために戦おう、と決意したわけです。

契約っていうのは、本作品においては自らを戒め、縛るものという側面のほかに、その逆として、その契約と言う束縛があるがゆえに考えなくてはならない、何故そうなのか?という点を、というところを登場人物はじめ、種族単位で考え続けないといけない、という重みを持たせていると思うんです。

ディアネイラにしても、自分の能力であったりとか、自分の立場であったりとか、いろんなものに縛られていて、最初はそれでも良し、と甘んじていたんですよね。
それがエイジとの出会い、エイジの窮地を経て、今回素直に、そして笑顔で「普通に」接することができているわけで、そういう束縛を自分で考えて、悩んで行動して打ち破っていっている、というところがこの物語の面白さなんじゃないかと思います。

逆に銀の種族。
これは安定を求めすぎた結果、感情を希薄にしてしまった。
最も英雄的とは遠い存在になってしまった。
安定を好む、好みすぎることで、何故?どうして?という感情の原点を忘れてしまっているのではないか?とも思える台詞が今回登場しています。
それが契約なら仕方ない、とか。
それがすなわち種の反映に繋がるか?というと全肯定もできないが全否定もできない。

ただ言えることは、このまま安定期が続けば、感情を放棄した種族は安定の後に衰退し、宇宙の緩慢な滅びに繋がる、という感じじゃないでしょうか。

よくSFの設定でもありますが、そういう安定期に対して、こんかいの鉄の種族のような不安定ながらも欲望も感動も持ち合わせている種族が登場して、活性化させるという設定がありますが、やはりこれもそういったところを踏襲しているんじゃないかと思いますよ。

ゆえに、黄金の種族は鉄の種族が宇宙に出てくるまで待っていたのかもしれない。
その行く末を、最も脆弱な種族に、最も強大な力を持つノドスを与え、銀の種族の安定と、鉄の種族の探求のバランスに賭けたのかもしれないな、と。

「皆が誰かの星になる」

というキャッチコピーからも、メヒタカの自分の意思で星になろうと決意した想い、こういうところが今後銀の種族でも、鉄の種族でも現われてくると面白いですよね。
#個人的にはメヒタカとレクティの対決があっても良いと思っているし。

今後はこの辺の何故?何故?が加速していくと思われ、その答えを登場人物たちが体現していく、という展開だと更に面白いかと思います。

でも今回疑問に思ったのは、何故ディアネイラたちまで青銅の種族の原星を攻撃に行くのか?というところですね。
人類軍が行こうとするのは、その自分達の体験に基づき、そうするんだという解説が銀の種族からなされましたが、その辺に対するアルゴノートクルーの反応ってどうなんだろう?と。
必ずしも良案とは思えないけどなぁ…。
その辺は次週で、ということなのかな。

ヒロイック・エイジ DVD1


ヒロイック・エイジ オリジナル・サウンドトラック