5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

鯨のほゆる海

2012-01-31 23:37:59 | 環境
数少ない捕鯨国のプライドをかけた日本の調査捕鯨船と、反捕鯨団体「シーシェパード」との南氷洋上(この言葉も旧いかな)の戦いも、すでに長期戦となり、最近では新味も薄れたせいか、関連ニュースを気にすることもなくなった。

それでも、「調査捕鯨」や「シーシェパード」という言葉は、マスコミ報道には繰り返し現れているようで、WEBをざっと覗くだけでも、1月8日の産経には「捕鯨監視船乗り込みSS支持者、身柄処遇どうする?」、21日の共同通信の「捕鯨船に酪酸入りの瓶発射し妨害 シー・シェパード」、さらに27日の産経の「シー・シェパード支援者初公判 和歌山県警と地裁が厳重警戒」というものなどが読める。

グローバルキャンペーンを展開する「シーシェパード」は各地から寄付金を募って収入を増やし、「乗り込み作戦」から「法廷闘争」に持ち込む作戦で、アピールチャンスを増やしているようだ。

鯨が突然の大量増殖でもして漁業に悪い影響でも与えない限りは、鯨肉も鯨油ももはや必需品とはいえなくなった現在、日本やアイスランドの調査捕鯨もうまみのあるビジネスにはならないだろう。子供の頃に憶えた鯨ステーキやベーコンの癖のある味は、自分たちの世代までのものだろう。

さて、金田一春彦の「ことばの歳時記」、1月30日の項は「クジラ」である。

「暁や鯨のほゆる霜の海」

江戸中期の俳人暁台の句を先ず引いて、俳句では冬の景物とされているクジラは、漢字だと魚偏に京と書くが、昔は魚の一種と考えられていたのかもしれない。人間同様に賢い哺乳類であるクジラを「魚」としたり、爬虫類や両棲類のヘビやカエルも「虫」だと書くのは、漢字が時代おくれであることを示しているという人もいるが、気にすることでもないと云う。こちらは、そんな人がいるとは知らないから、云われずとも気になぞすることはないのだが。

気にすることはないという理由に、金田一先生は、ヨーロッパの似たような例を探してきて、たとえば、英語でイカはcuttle-fish、ザリガニが crawfishで、ともに「魚」扱い、スゥエーデン語ではクジラを valfiskというが、fiskは英語のfishにあたる言葉だから、やはり「魚」であるとし、ついでにと、チョウチョウを、デンマーク語で sommerfugl と云うのは「鳥」扱いだし、英語で テントウ虫を lady-bird と呼んで、やはり「鳥」に見立てているではないかと結んでいる。

偏はわかったが、クジラの旁に「京」をあてるのはどうしてだろう。残念ながら、金田一先生はこれについては書いていない。

WIKIを読んでみると、京には、都や首都という意味がまずある。大きな中枢都市というわけだ。次に数字の単位で、兆の1万倍の巨大数字。それに日本の次世代スパコンの名前と、いずれも「スケールの大きさ」に関係する。クジラの形状の大きさを考えてつけられた旁だと云ってもよかろう。

万葉集にある「イサナ」がクジラのことだろう。古事記には「区施羅」、日本書紀には「久治良」という表記も見られるとWIKIにはある。奈良時代には、クジラ獲りが行われていたということだ。巨体のクジラは漁業神や漂着神として神格化され、恵比寿さんの化身として信仰されたともある。

「大きさも知らず鯨の二三寸」 子規













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