5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

レジ袋はナシ袋

2020-07-04 21:24:05 | 社会

45年前のアメリカ、ニューヨーク州のど真ん中の小さな大学町で暮らしたことがある。

学生寮で寝泊まりをし食事はCOOPのお仕着せだったが、時折はキャンパスの外に出て嗜好品などの買い物をしたものだ。外食もスーパーもアメリカが先鞭。パパママストアからナショナルチェーンに変わっていく時代であった。

郊外スーパーのだだ広い駐車場に車で乗りつけ、大きな手押しカートで売り場を廻り、レジを終えた一杯の荷物を駐車場の車までエンヤと運んで帰っていくアメリカ人たち。今では日本でもなじみの光景だ。

そんなドライブインスーパーに布バッグ一つでやってくるのは我々貧乏留学生たちだけだった。店側が準備するプラのレジ袋などはもちろんなく、それが当たり前でもあった。それ以後のアメリカの商品流通にはレジ袋が出現したのだが、自分はそれを知らない。

今月からどこでも有料化が義務付けられたレジ袋、実は日本発だったのだという。

今日の中日夕刊「夕歩道」に教えてもらった。そう考えれば、いかにも日本人主婦の夕食の買い物をイメージする製品だと納得した。スーパーの後に来たコンビニもアメリカ発だが、日本初のレジ袋がアメリカ人たちの買い物スタイルを爆発的に変えたことは間違いなかろう。

夕歩道によれば、日本のナシ園でナシ狩りに使っていた竹のカゴが、女性客のストッキングに引っかかるという苦情続発で、その代替品として考え出されたものだったという。なるほど。日本のナシ園から世界にくまなく広がっていくイメージはすごい。

買い物かごを手に魚屋や八百屋を覗く主婦の姿も今は昔。レジ袋を両手に捧げてコンビニから出て来る老若男女の姿が平成の生活様式になってすでに久しい。

手軽で丈夫でしかもタダ。もちろん、これがレジ袋普及の理由だった。消費者は利便性をよろこび、商人たちの金儲けには大いに貢献したが、過ぎたるは及ばざるがごとし。今になってすべてがアダとなって帰ってきた。

タダだからポイ捨てをされ、丈夫だからいつまでも海を漂う。それをなんとか食い止めようと、頭を捻った結果が一枚5円というのもどこか情けない。

新生活様式が叫ばれているコロナの時代、レジ袋有料化という小手先の方法ではなく、さらに積極的な令和の生活スタイルを提言するすぐれた頭脳や組織が日本にはないのだろうか。

 

 


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