5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

竹馬の友は今いづこ

2012-11-25 21:55:22 | 社会
3連休最後の日曜日、早朝はだいぶ冷えたが陽が照った午後は風もなく過ごしやすかった。

今日のJRA場外は東京競馬場でのジャパンカップG1。凱旋門賞で首位争いをした日本のオルフェーブルとフランスのソレミアの対決が話題なのだろうと思ったが、オルフェーヴルの1番人気は分っても、ソレミアのそれが7番人気だったのはちょっと意外だった。日本人の競馬ファンにはなじみのない外国馬では予想の立てようもないのかもしれない。

レース結果は5頭の外国参戦馬は上位には入れず、強豪オルフェーヴルを牝3歳馬のジェンティルドンナがハナ差でかわして1着にはいった。ゴール前では2頭がチャージした為、レース後しばらく「審議」が続いた。そんなこともあってか、勝利の岩田騎手のインタビューも嬉しさ一杯というよりは、どこか気不味さを感じさせるものだった。だが勝ちは勝ちだ。

「イタリア語のGentildonnaは貴婦人。ダヴィンチ、ボッティチェリ、カラヴァッジョ、ベルニーニなどイタリアの巨匠は貴婦人を描いた。4連勝の貴婦人が名画を描く。」、英文学者・柳瀬尚樹のジェンティルドンナの馬名プロフィールも、なにかイマイチの感じ。

さて、競馬のマクラが長くなったが、今日の本題は「竹馬」について。大岡信の「折々のうた」、冬のうたの項に久保田万太郎のこの句が載せてある。

「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」

この句がつくられた昭和の初め頃以来、竹馬はこどもたちの冬の遊びだった。自分の子供の頃もそうだったが、今の子供に「竹馬」といっても、ぬいぐるみの馬かなにかを想像するのではないだろうか。竹馬を子供につくってやる立場の父親でさえ、こんな遊具で遊んだ記憶をもってはいないなどというおかしなことになっているのかもしれない。幼友達を「竹馬の友」というのもここから出ているわけだが、近頃はこんな風には云わないだろう。

国語の「いろは」を一緒に習った幼馴染の子供たちも、時が流れれば、ひとりひとりが散り散りに分かれていく。まるで四十七文字の散らばりのように。浅草生まれだった万太郎、竹馬の友との別れはなんとも寂しかったろう。下町少年の感傷はまた万人の感傷でもあると、大岡もそのセンチメンタルを抑えられない。

日暮れが早い冬の午後、路地で遊ぶ子供たちの姿はみかけない。自室でひとり、PCゲームに没頭しているのかもしれない。



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