5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

日本人忌避症

2020-02-21 21:42:52 | 歴史

「日系人強制収容を謝罪」という今日の中日夕刊、総合面の見出しを読んで「マンザナール」という地名を頭に浮かべた。カリフォルニアの中部、ネバダとの州境にも近いシェラネバダ山脈の麓にある場所だ。いったことはないのだが、その名前を憶えているのは、山崎豊子の小説、はたまた山田太一のテレビドラマからだろうか。

第二次大戦で急性の日本人忌避症を患ったアメリカという国が、同国民である日系アメリカ人を隔離収容した「マンザナー・リロケーション・センター」のあったところ。75年後の今は跡地が整備され史跡として残されているばかりだ。

「2月20日、カリフォルニア州議会の下院本会議は、第二次大戦中に同州など西海岸を中心として、日系人の公民権と自由を守れなかったことを謝罪する決議案を満場一致で可決した」と記事にはある。

1941年12月、真珠湾が端緒になった日米開戦の翌年2月、当時のルーズベルト大統領による大統領令9066号を根拠に日系人の強制収容は開始され、それから3年半、太平洋戦争の終わるまで続いた。その間、住み慣れた土地や家を追われた日系人たちは、山間の荒れ地に移住させられ、砂漠の中の収容所暮らしを強いられた。

強制収容に対する謝罪や賠償を求める動きが強まったのは1970年代後半になってから。その甲斐あってか、1988年にレーガン大統領が強制収容に対する補償ルールを定めた「市民の自由法」に署名、アメリカ政府として過ちを認め謝罪している。

強制収容開始から78年が経った今、州議会があらためて公式の謝罪を行うのには、白人優位主義的なトランプ政権の「アメリカ第一主義」の主張や、それに関連した「不寛容な移民政策」の展開に対する公然たる批判がある。

中南米からの移民の子弟が施設に入れられるのも、イスラム教徒が入国禁止の対象にされているのも、太平洋戦争時の日系人の扱いと同じことだからというわけである。

「過去の過ちから学び、アメリカのいかなる社会にも、このような自由に対する攻撃が二度と起こらないよう保証することが重要である。すべての日系人に対し、第二次大戦中に不当な排斥や立ち退き、投獄を支持し、公民権や市民の自由を擁護できなかったことを謝罪する」と決議文にはあるそうだ。

ことある毎にワシントンの大統領府に対抗姿勢を見せるカリフォルニア議会だが、この決議案可決も反トランプのメッセージだというのが良くわかる。

同じ太平洋戦争で当時の日本と軍が行った周辺各国に対する侵略行為とその結果に対して、戦後の日本はこれまでどれほどの謝罪をしてきたのだろうか。カリフォルニア議会の決議文の主体と相手を変えてみれば、今の日本がやらねばならないことが見えてきそうだ。経済的な弁済と謝罪とは別のはなしなのである。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿