昔のことだ。30代手前だったかもしれない。
職場で、たまたま、ハイ・ファイ・セットの卒業
写真が聞こえてきた。
当時、仕事に行き詰まり、職種を換えようとして
いた時期で、この卒業写真の歌詞に引き込まれた。
そのCDを買うことになり、卒業写真を繰り返し聴き、
そして、自分でもギターで伴奏をつけ歌っていた。
そのCDに、一緒に入っていた曲が、「海を見ていた
午後」であった。
わたしは、高台から海を見ながら下って、小・中校に
通ったから、この歌詞のシーンは好きである。
ただし、この歌詞には、ハイカラな喫茶店があるが、
わたしの通った学校は、「陸の孤島」と揶揄されて
いたので、風景がまったくオーパーラップするわけ
ではない。
久しぶりに、この曲を聴くことになった。
失恋の歌であるが、良い曲だ。
歌詞、メロディーも好ましい。
勿論、ハイ・ファイ・セットのボーカルも好演だ。
伴奏もシンプルで、けっこう広い空間を感じさせる
響きは、気持ちよくて堪らない。
コードの進行については、
「忘れないでって やっと書いた
遠いあの日」
のメロディーについたコード進行は、目眩がする
ほど、気持ちいい。
演奏の終り、フルートがアドリブを繰り返し、
フェイドアウトしていき、余韻が残るのは、
えも言われぬ妙味を感ずる。
何か所か、好きな歌詞を拾うと。
「あなたを思い出す この店に来るたび」
これは、心当たりがある。誰しも、この
ような場所があるのでは。
しかし、歌詞にできるのは、センスであり
才能だ。
「晴れた午後には 遠く三浦岬も見える」
この風景を見ながら、学校に通っていた。
だから、この歌詞には、何かしら、感ずる
ものがある。
「ソーダ水の中を 貨物船がとおる」
このようなシーンは、けっこう心あたりが
あるのではないか。
これを歌詞にしたセンスに、脱帽である。
「あのとき目の前で 思い切り泣けたら
今頃二人 ここで海を見ていたはず」
男女関係において、ある一線を超えて、
恋愛関係になる。微妙な瞬間だが、
かけがえのない人になるかならないか
の瞬間がある。
この手前までくるのも、なかなかある
ことではないが、ここまできて、一歩
踏み出せなかった悔恨は、なんもと言い
ようがないことだ。
「そんなあなたが 今も見える
テーブルごしに」
「紙ナプキンには インクがにじむから
忘れないでって やっと書いた
遠いあの日」
が、共感してやまない。
どうして、あんなに好きだったのに、一緒に
なれなかったのだろう。
詮無き事とわかっていても、どうしても、
思い返す。
そして、生まれ変わったら、なんて。
これまた、詮無き事を繰り返す。
戻ることのできない「遠いあの日」
懐かしい一曲、
海を見ていた午後 ハイ・ファイ・セット
でした。
海を見ていた午後 ハイ・ファイ・セット
あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って 今日もひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも 恋のように
消えていった
あのとき目の前で 思い切り泣けたら
今頃二人 ここで海を見ていたはず
窓にほほをよせて カモメを追いかける
そんなあなたが 今も見える
テーブルごしに
紙ナプキンには インクがにじむから
忘れないでって やっと書いた
遠いあの日