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リタイアーのよもやま話

1万時間

2009-07-15 23:28:58 | 定年
病院から帰ってくる。家にはいると、熱気が充満している。

少しでも、涼しくしようと、コンピュータをおいてある部屋の窓を開ける。

すると、なんとなく風が涼しげだ。

今日は、なんとか我慢できそうなので、コンピュータのある部屋で、コンピュータをさわることにした。

不思議なので、温度計を確かめる。29.5度である。

昨日が、30度で、この部屋に居れなかったのに、今日は、なんとかなりそうだ。

風が、涼しいのである。不思議である。

ところで、今日、帰宅の途中、近くの同級生の父親が、こんな暑いのに、大通りに向かって、イスをだして座っている。この方のこのような姿は、はじめて見る。

いつもは、その道の反対側の家のお年寄りが、やはり、ボーッと道路に向かい、座っている。

この道の反対側の家のお年寄りは、かなり高齢になっている。しかし、もうちょっと若い頃は、軽トラックで、空き缶を拾ったり、ダンボールを拾ったりして、頑張っていた。

もっとも、このような仕事を、軽トラックでやるのは、経費のほうがかかりすぎて、採算がとれるものではない。

今では、道路を行き交う車をジーット見つめて、座っている。

(それを、見ているわたしは、複雑な気持になる。)

今日は、ふと思った。こんなに高齢になっても、何かやれるものを探しておかなければならない。

体力を必要とせず、さして金もかけず、何か自分のアイデンティティーをぶつけられるものを。

歳をとっても、若い者に臆することなく、取りくめるもの。

ゆっくと時間をかければ、自分なりに満足できる何かを。

さあて、何ができる。

今まで、パズル作りを20年近くやってきた。マスクプレイのBGM・効果音作りも20年近くやってきた。
放送機器について、やりは、職場で、20年ほどやってきた。

が、これらのものは、これ以上、自分の周囲から期待される機会は、二度とこないだろうし、体力的に厳しい。

勝間和代が訳した「天才! 成功する人々の法則」で、1間時間の法則について書かれている。
(この話しを10代の時に、読んでおれば自分の人生が変わっていたはずだが)

今まで拘ってきた先ほどの件は、20年という年月を続けられたということについては、自分なりに満足しているが、1万時間の視点では、まったく考えたことがない。

今更ながら、非常に残念でならない。

1万時間の視点に耐えられるものについては、一つだけだ。

それは、本も読み続けてきたことだ。21歳くらいの時から、本にはまり出したので、40年近くの読書歴ということだから。

読書歴だけは、1万時間をカウントすることができるだろう。

しかし、これは、何かをするために、読書をしてきたわけではないから、中身のある1万時間ではない。
そう意味では、先ほどあげた本でいう1万時間にはならない。

結局、「天才! 成功する人々の法則」で、説かれた1万時間の物差しに、耐えうるものは、自分の人生ではなかったということになる。

まぁ、そうだから、凡俗な今の自分があるのだろう。

しかし、この視点は、わたしたちが受けてきた学校教育の中では、また、大方の職場では、許容されないだろう。

特に、学校教育の中では、非常に特殊の価値観になるので、このような特殊な経験をできる人は、少数の限られた人間だけだろう。

いずれにせよ、この本に若い頃、出会えなかったのは、非常に残念でならない。

とはいえ、5000時間ほどでも、素人なりに、打ち込めるものを探さなくては。