ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

タワ尾根の下段歩道が廃道化。初日は結局フォーストビバーク 1/4

2014年11月01日 | ハイキング/奥多摩

2014/10/25  僕は一ヶ月以上も山歩きをしていませんでしたから、少しはトレーニングも兼ねた山歩きをと、次のように計画しました。タワ尾根下段歩道で三又へ行き、そこで幕営。翌日は骨谷右岸尾根を歩いて、テント撤収後は小川谷林道で下山する。予定では、とっても楽な山行計画です。今年はまだ一度も実行していない焚火を三又でやるのも楽しみにしていたのです。

せめて歩荷トレーニングでもしなければと、荷を重くすることに。S子と二人分の全重量が24kg。通常ならば14:10とか15:9くらいに分担するのですが、ちょっと頑張って18:6に。
若いころは25kgくらいまではあまり重さを感じなかったのです。
実際、夏の北アルプス、北鎌尾根~槍ヶ岳~北穂~奥穂~西穂~焼岳のコースを25kgを背負って幕営縦走したのですが、その程度では重さを感じなかったものです。
それが今では、15kgくらいを越えると、重い! 重い!


▲いつもの土日なら、青梅線の電車内の登山者は御嶽駅辺りから少しはすくのですが、今日は結局、終点の奥多摩駅まで立ったままでした。
当然、奥多摩駅前の鴨沢・奥多摩湖方面のバス乗り場は長蛇の列! 最後尾が手前の道路にまではみ出して、さらには町役場の前まで続くというのは、見たことがありません! 上の写真の左の見えない回り込んだところにバス停があるのですが、その見えていない場所でも1回蛇行して大勢の登山者が並んでいますから、これは本当にスゴイ! 8:29ころ。
もちろん、僕が乗る東日原行も大勢並んでいます。普段なら臨時バスが1台出るようなことはあるのですが、今日は2台出ました。


▲3台目のバスに乗って座ることができ、東日原終点下車。バス停には大勢の登山者がいましたから、すぐに歩き始めます。
今日は実に快適な雲ひとつない青空が広がっています。中央の稲村岩の右にその影があるのを初めて気付きました。あって当たり前なんですけれどね。それほど今日は光溢れていて、影の部分が目立つのです。9:10ころ。


▲途中の清潔な公衆トイレに寄り、日原鍾乳洞の前を通過すると、厳重に通行止めの柵が行く手を阻みました。車はもちろん、人も通れません。横のガードレイルを乗り越えて、小川谷の流れに落ちないように、柵を通過。その際、いちばん端っこが人一人分だけ開くようになっていることに気付き、S子はそちらから通過。9:43ころ。
こんなに厳重なことはなかったことですから、この先がどうなっているのか、ちょっと不安になりました。


▲日原鍾乳洞の一番奥の駐車場で朝食を済ませ、小川谷林道を行きます。
途中、林道脇に山道が出て来ますが、これがタワ尾根の下段歩道や上段歩道の入口なのです。10:18ころ。


▲奥から手前に歩いて来ました。右上へ登って行く山道がありますが、これが上段歩道へ続く道です。今日は下段歩道を歩きます。10:29ころ。


▲上段歩道も下段歩道も一般登山道ではありません。20年ほど前から時々歩いていましたけれど、荒廃している時期があったかと思うと、びっくりするほど歩き易く山道が整備されている時もあったのです。どうやら、山仕事が入り、この道を仕事で使う時期には整備されるのだと思いますね。
今回はどういう時期かというと、荒廃しているようです。写真のようなザレ場ガレ場が出て来ます。整備はまったくされていません。10:43ころ。


▲ここも嫌なトラバース。こんな箇所が連続します。10:52ころ。


▲九右衛門窪だと思います。人形山付近に出る小さな沢。まだ遡行したことはありません。11:26ころ。


▲こんなところだらけです。山道の路肩を踏み外すと、どこまでズルズル落ちていくのか見当もつきません。11:39ころ。


▲伏木窪です。11:42ころ。
この沢は3回遡行したことがあります。
初回は1999年11月。まずまずの沢だとの印象でした。
2回目は2008年8月。当時所属していた山岳会での会山行の下見に行きました。ところが、中流域が大崩壊していたのです。
3回目は同年10月の会山行ですが、上段歩道をアプローチとして、上流域だけを実行。ところが、アプローチにおいて、山道が直前で大崩壊! 懸垂下降をして通過した記憶があります。


▲カエデの紅葉です。青空に映えて綺麗でした。11:50ころ。


▲鈴(篶)坂窪だと思います。遡行したことはありません。地形図上ではそれなりの沢ですが、水が流れていませんね。どうしてなんでしょう? 12:03ころ。


▲心地よい山道が続きます。12:32ころ。


▲犬麦谷出合の小川谷を渡る橋へと続く山道がここから降りています。それを示す道標。12:45ころ。
それはともかく、道標に付けられているロープは何を意味しているのでしょう。「この先へ入るな」ということなのでしょうか? それとも「向こう側からこちらに入るな」なのでしょうか? まあ、常識的には前者でしょうけれど、ゲートやロープを乗り越えるような山行ばかりしていますから、とりあえずは前進です。


▲古い木橋が出て来ました。12:49ころ。


▲どうやらワサビ田の跡だと思うのですが・・・・ 12:54ころ。


▲昔の大崩壊地を土留めし、落石止めネットなんでしょうか、張り巡らしています。でも、おそらくは今年の大雪のせいでしょう。ネットが倒れていました。13:01ころ。


▲どうやら、新しい木橋が外れて落下し、古い木橋が出て来たようですね。ベリッと折れないか心配しながら渡りました。13:10ころ。


▲鳥居谷です。13:11ころ。
この沢も遡行したことがあります。ずいぶん昔1993年に、S子とM田さんとだったと思います。犬麦谷出合から小川谷本流を歩いて鳥居谷出合へ至り、遡行しました。右俣の四軒小屋窪へ入り、ウトウノ頭に登り、反対側のウトウ沢を下降しました。この写真付近にあった滝の高巻きだけが嫌らしかったように記憶しています。

この先、先ほどの13:01の写真のような土留めをした箇所が現われました。そこを越え、右上したところで、道を失いました。これまで続いていた下段歩道の道形が消えたのです。すごく浅いルンゼ上のザレ場が広がっていましたから、道形が消えるのも仕方がありません。

でも、そのザレ場を強引に横切って行くのも少々ためらわれるくらいの傾斜ですし、渡り切った先の地形にもあまり安全な印象が持てません。

S子と自分のザックを置いて、下方の偵察に行きました。下段歩道がそちらに続いているかもしれないから。偵察の結果は、下段歩道は発見できず。S子の元へ戻りました。


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