Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

9年目の制覇

2013-09-27 21:43:56 | 日記

楽天悲願のリーグ優勝
日本製紙クリネックススタジアム宮城

優勝を目前に星野監督が、一点差の9回裏、1イニングの演出、エース田中将大を
マウンドへ送った。2アウト2-3塁とした、打たれれば逆転負けの勝負どころ、
見せた渾身のストレートは、悲願の勝利玉で三振に仕留めて雄叫び。


見せた楽天の大投手、田中将大のガッツポーズ、どれほど東北の被災者がこの優勝で
勇気づけられたか、ありがとう東北の星:楽天イーグルスの選手たち。

平成23年3月11日14時46分に起きた東日本大震災

地震の規模を示すマグネチュードは、日本観測史上最大の(2011)Mw9.0を記録、
岩手県沖から茨城県おきにかけ広範囲に亘った。大正関東地震(1923)7.9、
昭和三陸地震(1933)8.4をはるかに上回り、2004年のスマトラ島沖地震以来の
規模で、1900年代にはいってから、超巨大地震に襲われた過酷な環境の中で、
選手は変わった。

楽天選手を戦う集団に変えた、震災後、初の本拠地開催。

4月29日当時のチーム選手会長だった嶋基宏は、被災者に闘う覚悟を、この言葉込め
「絶対に見せましょう、東北の底力を」その後『がんばろう東北』を合言葉から2年半、
球団創設9年目に成し遂げた悲願の初制覇。

球界再編(オリックスと近鉄の合併構想)に端を発し、2004年球界再編は、半世紀ぶりに
新球団として楽天が参入した。

1年目の初代監督に就任した田尾安志氏、戦力となる選手は、球団合併に伴う、分配ドラ
フトや、他野団からの無償トレードで獲得した“寄せ集め”急造チームを率いた成績は、
目も当てられない程の「屈辱」の、38勝97敗、首位と51.5差

あまりにも他球団との戦力差は歴然で、翌2005年監督は野村克也氏が就任した。
この年の高校生ドラフトの1順目で見事、田中将大を指名獲得、ここから楽天は
着実に力をつけ球団発足3年目(2007)で最下位を脱出、2009年には2位に浮上した。

このころの野村語録から、勝てば、「マー君、神の子、不思議な子」 が、
負ければ 「マー君、親の子、普通の子」になっちゃったよ 
ところが突然の野村監督の解任劇、翌年ブラウン監督に変わったが再び最下位に転落。


ここで星野仙一にバトンタッチしてから3年目、順調に開幕からの躍進劇そんな中で
田中将大が、神業を見せた昨年のシーズから続く26連勝記録、そしてついに、1957年に
剛腕稲尾(西鉄)が記録した、シーズン内で、20連勝のプロ野球記録に並んだ。
前監督の野村克也氏は、今年の開幕から稲尾に並んだ20連勝を成し遂げた時は、
「神様、仏様、田中様」とうれしいボヤキ、成長著しい大記録を成し遂げた教え子に、
「もぅマー君と呼べないよ」、遠くから見つめようと語った。うれしさの中で、
寂しげな鬼の顔。
そしてようやく星野仙一監督就任3年目、球団創設から9年目で成し遂げた、
楽天悲願の初制覇。
選手の質も問われるが監督の手綱捌きと、選手の「信念と絆」で成しえた優勝だろう。

優勝請負人と言われた球界の侍

3球団で優勝したのは、三原脩(巨人、西鉄,大洋)西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)

両リーグ制覇した監督では、王貞治(巨人、ダイエー)野村克也(南海、ヤクルト)
星野仙一(中日、阪神)は、2011年から楽天の指揮を執り、3年目で成し遂げた。
次に表われる請負人は誰だろう。またどのチームなのか?

 

 

 

HP みやざきに「きやらんか」



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