新年あけましたおめでとうございます。
今年も、つたないブログを書き綴りますので、
ストレス解消のために、お楽しみください。
ミャンマーの旅からバンコクに戻りましたので、ブログを再開いたします。
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12月27日、タイ航空の早朝便(午前8時発)で
ミャンマーのヤンゴンに向かった。
ミャンマーにはどうしても行きたかった。
それには、ある理由があった。
もう10数年前の事だ。
ワタシの家族、家族と言っても「家主」(妻)だけだが・・・・、の
友人で「露ちゃん」という女性がいた。
彼女はワタシよりも10歳くらい年下だったと思う。
ランニングを通じて知り合った仲で、住まいも同じ区内だったので
なにかにつけて、自宅で「飲み会」をやったり、一緒に走りに行ったり
サクラの季節には、ダウンコートを着て寒さに耐えながら「お花見」などもした。
知り合った頃、行きつけの「スーパー」で彼女にばったり会ったことがあった。
彼女は、「いやだ~~~!私どうしましょ、こんなスピンの顔をみられて!」と
狼狽した。
「何言ってんのよ。走る時、いつもスッピンじゃんか~~」
「それもそうよね~~~!」
と大笑いした思い出がある。
そんな「露ちゃん」が「癌の宣告」を受けたのだ。
手術は成功し、転移さえしなければという状況だった。
「家主」(妻)と2人で彼女のマンションを訪れると
彼女は持ち前の明るさで、「大丈夫、なんとか頑張るよ」と言った。
テーブルには癌に関する本が高く積まれていた。
それから数カ月がたち、癌の転移が見つかり、再入院したまま
彼女は帰らぬ人となった。
若い時の「癌」は進行が早いと言われるが、その顕著な例かもしれない。
走り仲間は、彼女の入院している病院の近くのビジネスホテルに泊まりこんで
見舞いに行ったりしたそうだ。
「家主」も何度も見舞いに行った。
その度に、「露ちゃん、きっとあなたに会いたいとおもってるわよ。
見舞いに行ったら?」と何度も言われた。
だが、ワタシは一度も見舞いには行かなかった。
いや、行けなかった。
抗癌治療でやせ衰え、余命数日の彼女の姿をワタシには見ることが
できなかったのだ。
元気で溌剌とした姿の「露ちゃん」のイメージを崩したくなかった。
ある日、「家主」(妻)が見舞いの病院から戻ると
「明日あたりがヤマだって。それでも行かないの?
最期に声を掛けてあげたら」
その夜、ワタシは生れて初めて「金縛り」にあった。
「露ちゃん」が現れたのだ。
元気な頃の姿で笑顔で「○○さん、ごめんネ」と何度も言うのだ。
ワタシは「俺の方こそお見舞いにも行かずに、ゴメン」と言おうとするが
声は出ないし、体が金縛り状態なのでどうすることもできなかった。
隣のベッドに寝ている「家主」に声を掛けようとするがどうにもならない。
やがて金縛りも解け、「露ちゃん」も消えた。
いや、これはワタシが見舞いにも行かないという罪悪感からの
夢だったかもしれない。
その翌日、「露ちゃん」が亡くなったと言う訃報が届いた。
こんな事があり、「露ちゃん」のことは忘れない。
でも、命日も覚えていない。
まあ、ワタシはいい加減なものだ。
ところで、彼女は幼少の頃、御両親の関係で、マンダレイに住んでいた。
ワタシがインドに住んでいたと言うと、
「一緒にミャンマーとインドに行こうよ」と言ったものだ。
その約束を果たすために、ミャンマーに来たかったのだ。
話が長くなりスミマセン。
で、飛行機は1時間ほどでヤンゴンに到着した。
今年も、つたないブログを書き綴りますので、
ストレス解消のために、お楽しみください。
ミャンマーの旅からバンコクに戻りましたので、ブログを再開いたします。
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12月27日、タイ航空の早朝便(午前8時発)で
ミャンマーのヤンゴンに向かった。
ミャンマーにはどうしても行きたかった。
それには、ある理由があった。
もう10数年前の事だ。
ワタシの家族、家族と言っても「家主」(妻)だけだが・・・・、の
友人で「露ちゃん」という女性がいた。
彼女はワタシよりも10歳くらい年下だったと思う。
ランニングを通じて知り合った仲で、住まいも同じ区内だったので
なにかにつけて、自宅で「飲み会」をやったり、一緒に走りに行ったり
サクラの季節には、ダウンコートを着て寒さに耐えながら「お花見」などもした。
知り合った頃、行きつけの「スーパー」で彼女にばったり会ったことがあった。
彼女は、「いやだ~~~!私どうしましょ、こんなスピンの顔をみられて!」と
狼狽した。
「何言ってんのよ。走る時、いつもスッピンじゃんか~~」
「それもそうよね~~~!」
と大笑いした思い出がある。
そんな「露ちゃん」が「癌の宣告」を受けたのだ。
手術は成功し、転移さえしなければという状況だった。
「家主」(妻)と2人で彼女のマンションを訪れると
彼女は持ち前の明るさで、「大丈夫、なんとか頑張るよ」と言った。
テーブルには癌に関する本が高く積まれていた。
それから数カ月がたち、癌の転移が見つかり、再入院したまま
彼女は帰らぬ人となった。
若い時の「癌」は進行が早いと言われるが、その顕著な例かもしれない。
走り仲間は、彼女の入院している病院の近くのビジネスホテルに泊まりこんで
見舞いに行ったりしたそうだ。
「家主」も何度も見舞いに行った。
その度に、「露ちゃん、きっとあなたに会いたいとおもってるわよ。
見舞いに行ったら?」と何度も言われた。
だが、ワタシは一度も見舞いには行かなかった。
いや、行けなかった。
抗癌治療でやせ衰え、余命数日の彼女の姿をワタシには見ることが
できなかったのだ。
元気で溌剌とした姿の「露ちゃん」のイメージを崩したくなかった。
ある日、「家主」(妻)が見舞いの病院から戻ると
「明日あたりがヤマだって。それでも行かないの?
最期に声を掛けてあげたら」
その夜、ワタシは生れて初めて「金縛り」にあった。
「露ちゃん」が現れたのだ。
元気な頃の姿で笑顔で「○○さん、ごめんネ」と何度も言うのだ。
ワタシは「俺の方こそお見舞いにも行かずに、ゴメン」と言おうとするが
声は出ないし、体が金縛り状態なのでどうすることもできなかった。
隣のベッドに寝ている「家主」に声を掛けようとするがどうにもならない。
やがて金縛りも解け、「露ちゃん」も消えた。
いや、これはワタシが見舞いにも行かないという罪悪感からの
夢だったかもしれない。
その翌日、「露ちゃん」が亡くなったと言う訃報が届いた。
こんな事があり、「露ちゃん」のことは忘れない。
でも、命日も覚えていない。
まあ、ワタシはいい加減なものだ。
ところで、彼女は幼少の頃、御両親の関係で、マンダレイに住んでいた。
ワタシがインドに住んでいたと言うと、
「一緒にミャンマーとインドに行こうよ」と言ったものだ。
その約束を果たすために、ミャンマーに来たかったのだ。
話が長くなりスミマセン。
で、飛行機は1時間ほどでヤンゴンに到着した。