徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ーバンコクからヤンゴンー12月27日ー

2011年12月31日 | タイ
  新年あけましたおめでとうございます。
  今年も、つたないブログを書き綴りますので、
  ストレス解消のために、お楽しみください。

  ミャンマーの旅からバンコクに戻りましたので、ブログを再開いたします。

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  12月27日、タイ航空の早朝便(午前8時発)で
  ミャンマーのヤンゴンに向かった。

 ミャンマーにはどうしても行きたかった。

 それには、ある理由があった。

 もう10数年前の事だ。

 ワタシの家族、家族と言っても「家主」(妻)だけだが・・・・、の
 友人で「露ちゃん」という女性がいた。

 彼女はワタシよりも10歳くらい年下だったと思う。

 ランニングを通じて知り合った仲で、住まいも同じ区内だったので
 なにかにつけて、自宅で「飲み会」をやったり、一緒に走りに行ったり
 サクラの季節には、ダウンコートを着て寒さに耐えながら「お花見」などもした。

 知り合った頃、行きつけの「スーパー」で彼女にばったり会ったことがあった。
 彼女は、「いやだ~~~!私どうしましょ、こんなスピンの顔をみられて!」と
 狼狽した。

 「何言ってんのよ。走る時、いつもスッピンじゃんか~~」
 「それもそうよね~~~!」

  と大笑いした思い出がある。

  そんな「露ちゃん」が「癌の宣告」を受けたのだ。

  手術は成功し、転移さえしなければという状況だった。

  「家主」(妻)と2人で彼女のマンションを訪れると

  彼女は持ち前の明るさで、「大丈夫、なんとか頑張るよ」と言った。
  テーブルには癌に関する本が高く積まれていた。

  それから数カ月がたち、癌の転移が見つかり、再入院したまま
  彼女は帰らぬ人となった。

  若い時の「癌」は進行が早いと言われるが、その顕著な例かもしれない。

  走り仲間は、彼女の入院している病院の近くのビジネスホテルに泊まりこんで
  見舞いに行ったりしたそうだ。

  「家主」も何度も見舞いに行った。

  その度に、「露ちゃん、きっとあなたに会いたいとおもってるわよ。
        見舞いに行ったら?」と何度も言われた。

  だが、ワタシは一度も見舞いには行かなかった。
  いや、行けなかった。

  抗癌治療でやせ衰え、余命数日の彼女の姿をワタシには見ることが
  できなかったのだ。

  元気で溌剌とした姿の「露ちゃん」のイメージを崩したくなかった。

  ある日、「家主」(妻)が見舞いの病院から戻ると
  「明日あたりがヤマだって。それでも行かないの?
   最期に声を掛けてあげたら」

  その夜、ワタシは生れて初めて「金縛り」にあった。

   「露ちゃん」が現れたのだ。

  元気な頃の姿で笑顔で「○○さん、ごめんネ」と何度も言うのだ。
  
  ワタシは「俺の方こそお見舞いにも行かずに、ゴメン」と言おうとするが
  声は出ないし、体が金縛り状態なのでどうすることもできなかった。

  隣のベッドに寝ている「家主」に声を掛けようとするがどうにもならない。

  やがて金縛りも解け、「露ちゃん」も消えた。

  いや、これはワタシが見舞いにも行かないという罪悪感からの
  夢だったかもしれない。

  その翌日、「露ちゃん」が亡くなったと言う訃報が届いた。

  こんな事があり、「露ちゃん」のことは忘れない。

  でも、命日も覚えていない。
  まあ、ワタシはいい加減なものだ。

  ところで、彼女は幼少の頃、御両親の関係で、マンダレイに住んでいた。

  ワタシがインドに住んでいたと言うと、
  「一緒にミャンマーとインドに行こうよ」と言ったものだ。

  その約束を果たすために、ミャンマーに来たかったのだ。

  話が長くなりスミマセン。

  で、飛行機は1時間ほどでヤンゴンに到着した。

  
  

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