私的図書館

本好き人の365日

東野圭吾 『さまよう刃』

2012-08-12 23:58:23 | 日々の出来事

世間ではお盆休みのようですが、私はちょっと忙しくて、今年は田舎に帰れそうもありません。

いちおう実家は本家なので、それなりに人は集まるでしょうが、まぁ仕事だらか仕方ありません。

両親に妹、甥っ子たち、叔父さん、叔母さん×2、おばあちゃんのお姉さん夫婦、いとこ(男6人女1人)とその家族、おばあちゃんのもう一人のお姉さんの旦那さんの実家の人たち、その旦那さんが再婚して養子に入った家の人たち(何て呼べばいいのかわからない)、あと関係はわからないけれど、子供の頃から知っているおじさんおばさん数人。

父方の親戚でパッと顔の浮かぶのはこのくらい。

母親は6人兄弟なので、母方の親戚となるともっと多いです。

多分、田舎ではこれでも少ない方だとは思いますが、親類縁者というのは考えると不思議なものですね。

父親や母親の子供の頃のことばかりか、お墓の中の人たちのことまでまあよく話してくれます。

「あの人は幼くて亡くなったけれど頭がよかった」とか、「あの人はすごい美人だった」なんてことまで♪

お墓しか残っていないのに、親近感を感じてしまいます。

もちろん、自分のことも何年経っても昨日の事のように言われるんですけどね(苦笑)

 

職業も多様で、警察官、自衛官、美容師、看護婦、公務員、左官、農家、記者、サラリーマン、OL、剣道の師範代、工員、団体職員、などなど。

こういうのにも、一族の特徴とかが出るのかな?(笑)

 

先日TVで見た、東野圭吾さん原作の映画、『さまよう刃』

あれを見ていて、人間って群れで生きる生き物なんだなぁ、とちょっと飛躍しますが、そんな感想を持ちました。

父親が娘の敵を討つ。

一人の人間には、当たり前だけれど、その親がいて、親戚がいて、その一族がいる。

映画では犯人を追い詰めるのは父親一人でしたが(それと警察も)、もし、殺された女の子の一族全員が敵に回ることがわかっていたら、果たしてあの少年たちは手を出したろうか…

 

血縁者の結束が個人を守る抑止力になっている?

まぁ、一族や家が力を持つっていうのは、そういうことなんでしょうね。

それが現代になって、社会そのものが個人を守ってくれると思い込み、人間関係が希薄になったことで、個人がたった一人で弱肉強食の世界に放っぽり出されてる。

それは犯罪の場合だけじゃなくて、後ろ盾のない人間を軽く見るのは企業も同じ。

一人一人の人間の背後に、その人を愛するたくさんの人間のいることが忘れ去られているか、あるいは無視されてしまっている。

だから、人間性より利益や経済活動が優先されてしまっている。

もし、人間一人一人が腰に刀をさしていたら、政治家や企業家はそうした人々と接する時ははもっと真剣にならざるえないのでは?

 

なぁんて、どんどん想像がふくらんでいきました♪

 

我ながら、何を考えているんでしょうね(苦笑)

いまさら刀をさして歩くわけにもいかないですしね。

刀はただの比喩ですけどね。

誰かを利用して自分が利益を得ちゃいけません。

さぁ、明日も仕事だ、頑張ろう!