ぶらぶら人生

心の呟き

街への散歩

2017-05-22 | 散歩道
5月22日
バスで、街に出た。

バス停からの眺め。
河畔に黄色い花が増えている。

初めて、<コメダ珈琲店>に入ってみた。
以下、外観と私の席から眺めた店内の様子。










コーヒーとケーキを注文し、ひととき本を読む。
朝から読み始めた大岡信著『折々のうたー春夏秋冬ー』の<春>を読了。
かなりの来店者があったが、話し声が気にならなかった。
久しぶりに、コーヒーをいただきながらの読書。
昔から、私の好んだ生活のパターンである。

睡眠不足の割には元気があり、
雪舟橋公園にも行ってみた。
もう花期は過ぎていると思いつつ、
栴檀の大樹の姿が見たくなって。

緑は、ずいぶん深くなっていた。
想像どおり、花は色あせていたけれど。

ツバメが10数羽、大樹の上を飛び交っていた。
そこに集まるのには、何らかの意味があるのだろうけれど…。







M川に沿って、葉桜の木蔭を歩く。
今日も、ヨシキリが鳴いていた。
葦の茂みに潜んでいるのだろうか?
姿は見えない。

イオンで、パジャマや飲み物などの買い物をし、タクシーで部屋へ戻る。
4000歩の散歩となった。


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浅い眠りのままに

2017-05-22 | 身辺雑記
5月22日
久しぶりに浅い眠りのまま、朝を迎えた。
昨夜は、少し暑苦しい夜だったのだろう。
2時過ぎ目覚めたときには、首にびっしょり汗をかいていた。

就寝前、熱中症が怖くなり、暫時クーラーを入れた。
が、クーラーの冷えは、
私の体には、合わない。
(暑さにも弱いので、全く使用しないわけにはゆかないけれど…。)
就寝時には、クーラーを消した。

暑苦しさは、その後も続いたのだろう。
4時過ぎに、また目が覚めた。
カーテンの隙間に、薄明がある。
窓の外をのぞいてみると、
東南の空に、下弦の鋭い月があった。
お月さんの東側には、輝く星(明けの明星?)があり、
山際には、ほのかな夜明けの気配があった。


(月は小さな点になり、星はまるで見えない写真となった。)

またうとうとして、目覚めると、二重のカーテン越しに、
朝の光が射し込んでいた。
<しまった! 寝過ごした!>
と、素早く起き出して、テレビをつけた。
Eテレの放送に合わせ、朝の体操をするために。
しかし、開始時間を過ぎているのに、異なる番組が放映されている。

おかしいな、と思いつつ、時間を確認すると、
まだ5時半であった。

昇る朝日に、時間感覚が狂わされたのだった。
かくして、昨夜は、細切れの睡眠になってしまったのだ。


5時半の朝日。
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さらぬ別れ

2017-05-21 | 身辺雑記
大岡信著『折々のうたー春夏秋冬ー』の【夏(なつ)】を読了。


<有原業平の母>の、

老いぬれば
さらぬ別れのありといへば
いよいよ見まくほしき君かな


という古歌が、載っていた。

「さらぬ別れ」(避けられぬ別れ、つまり死別)のあることを自覚した業平の母は、息子・業平に会っておきたいという気持ちを、<急用あり>と、上記の歌で届けたという。

老いの身の私も、「去らぬ別れ」は常日頃、心においている。
80歳を過ぎてからは、ひとりでに、人と<会う>ことの裏に、<別れ>を意識するようになった。
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海辺の散歩

2017-05-21 | 散歩道
5月21日
午後は、気温が上がるだろう、
少しでも楽なうちにと、昼前の散歩を試みる。

時間にして30分。
歩数にして2200余歩。

大塚神社から海岸へ。
渚沿いの道を歩き、部屋へ戻る。
周遊(一周り)の散歩。

昨日に比べ、晴れやかさの足りない空模様であった。
が、風はなく、ゆったり歩くことができた。
帽子が風に煽られることもなく…。

凪いだ海や高島の島影、磯釣りの人などを眺め、
足元の磯に咲く初夏の花を眺めて歩く。

波穏やかな、今日の海原。
静かな波音を聞きながらの散歩となった。














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空気は澄んで

2017-05-20 | 身辺雑記
5月20日
河口の部屋に帰る。
<光化学スモッグに要注意>との予報が出ていたが、
空気は澄んで、比較的爽やかな好天である。
気温は、5月にしては高い。
が、老いのせいか、今のところ、暑さはあまりこたえない。

部屋に落ち着くと、
双眼鏡で、窓に広がる風景を眺める。
木々の緑が美しい。
が、花のある木は見つからない。

双眼鏡で風景の細部を覗きながら、
ふと、国会での<共謀罪>法案に関する法相の
答弁を思い出した。

噴飯ものとしか言えない。
深まらない議論。
ついには、強行採決。
もの悲しくなる。

黙っていられない人たちが集結し、
国会周辺や各地で、抗議活動をする姿をテレビで見て、
せめてもの救いを感じる。

しかし、安倍総理のもと、
物言えぬ戦前戦中の時代に、逆戻りまっしぐらの感じだ。

どうなってゆくのだろう?



空はのどかである。


左方に、高島も見えて。


河口の部屋に、7冊の本を持参。
花の本2冊。
『折々のうた』に関する本5冊。


夕食・入浴後に、廊下へ出て落日を眺める。
少しずつ、生活に慣れる。
夜の廊下をのぞいてみることもできた。
人気なく、少々不気味な空間!
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庭の5月

2017-05-19 | 小庭の四季
5月19日
ひととき庭の植物を眺める。
わずかな変化を楽しみながら……。


ジューンベリーの実が、一部赤くなる。
しかし、完熟には、まだまだ時間がかかる。


芍薬の五つ目の花。
蕾も、そばに。


貧弱なユキノシタの花。
なぜかわが家の花は、威勢良く咲いてくれない。
それでも、この花が好き。


椿の新葉が美しい。
その輝きは、生じるものの新鮮な生命力であり、
5月の色の象徴と言ってもいい。
5月にしか見られない色である。
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三木俊治<昔村>展

2017-05-18 | 草花舎の四季
5月17日
草花舎で、三木俊治"昔村"展開催中。
5月17日〜28日まで。

今日は(今日も)、体調は芳しくなく、
迷った挙句、
三木先生にお会いできる日は限られているだろう
と考え、初日なら確実と判断して出かけた。

予想どおり、お会いしてお話することができた。



案内状にも出ていたメインの作品。
説明文のあとに(Yの見た夢)と書いてある。
夢=夢想
と、勝手に思い込んでいたので、
あえて<Y>とある理由が気になった。

先生にお聞きし、身近な人の単なるイニシャルと
分かり、納得すると同時に、
私の夢想夢幻が萎んでしまったのは
残念だった。
作品鑑賞には、説明を求めない方が
いいのかもしれない。

展示された作品の中には、
ブログやフェイスブックには、載せない方がいい作品もあり、
カメラには収めず、鑑賞を楽しませていただいた。


三木俊治先生


私のいただいたコーヒーとケーキ

常連のお客様Sさんと一緒になり、
先生を交えて、さまざまなお話をし、
会話を存分楽しんだ。
頭が活発に思考する時間でもあった。

いつの間にか日暮れてしまい、
Sさんに送っていただいた。

さすがに疲れた。
夕食は惣菜屋さんのお弁当で
と予定していたが、
草花舎に行く前に立ち寄ったところ、
すでに売り切れとなっていて、
あり合わせのもので夕食を済ませ、
早々に休む。
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白い花(草花舎へ)

2017-05-18 | 草花舎の四季
5月17日
白い花との出会いの日


柑橘類の花
(よく通る道の傍にある木。
どんな実がなっていたか、
柑橘類の種類は、思い出せない。)


ピラカンサの花
(草花舎の入り口。)




ノイバラの花
(草花舎の窓辺に、蔓を伸ばして咲いている。)



早朝の目覚め。
午前4時半の、下弦の月。
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練習 2

2017-05-17 | 身辺雑記
5月17日
できていたことが、急にできなくなる不安。
日常的に使う言葉が、急に思い出せない不安。

老いとは厄介なことで、
余生が短いのに、
何か一つのことを思い出すのにも、
やたらと時間がかかる。

昨日は、ドクダミとミズヒキソウの2語を
思い出すのに、苦労した。
頭に映像は浮かんでいるのに、
失語症になったかのように、
ありふれた名詞が出てこない。

困ったことだと思っていうちに、
ふわーと、しかも突如出てくる。

今日は、先刻、以前から10年も行ってきた、
ブログ用に写真を縮小する方法が思い出せず、
暗澹とした思いにかられたが、
できないはずはないと、
あれこれ試みているうちに成功。

デジカメで撮影し、
パソコンの画面で縮小した2枚の写真。


前庭のモミジの花は枯れ、実となっていた。


木斛(モッコク)の若葉。


(今年に入ってからは昨日まで、スマホのカメラで写真を撮り、
スマホで縮小し、ブログに投稿していた。
パソコンを使わずにいると、すぐ使い方が分からなくなるとは、
困った話である。
せめて、家にいるときには、デジカメやパソコンを活用しよう。
その方が、脳のためにもいいだろう。)
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練習 1

2017-05-17 | 散歩道
5月17日
最近、パソコンを使用して、ブログを投稿していない。
久しぶりに試みてみると、 
画像の取り入れ方が分からなくなっていた。

<老いた脳とはこういうことか>と、愕然とする。

画像の縮小の仕方が思い出せず、
スマホと同様のやり方で縮小。

逆に、パソコンでも、
スマホ同様のやり方が可能であるということが、
驚きでもあった。

私が教わったのは、違うやり方であり、
それが、今のところ思い出せないでいる。




5月3日に、中学校・運動場の端に咲いていた。
幾年たっても、アヤメ、イチハツ、カキツバタなどの区別がつかない。
花の本、歳時記、インターネットなどを調べ、
最終的には、YouTubeでの説明を聞いて、アヤメと判断。
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