「スピリチュアリズム」(心霊主義)について、前回、一度お話しました。今日は、その続きは? という疑問にお応えする第二弾です。
幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
第一段階が一通り終わったあたりで、次に、第二段階として、二十世紀の初頭ぐらいから、自動書記や霊言現象というかたちで霊界思想の普及を始めました。「天上界の高級諸霊から通信を降ろし、自動書記のかたちで書いたり、霊能者に語らせて記録したりしたものを、本にして出す」ということをやりはじめたのです。
イギリスでは、古代インディアンの名で、『シルバー・バーチの霊訓』というものを出しました。また、十九世紀の後半に、ラテン系では、アラン・カーデックの『霊の書』という霊言も出しました。これらの淵源は同じものなのです。
そのほかにも、洋の東西を問わず、霊界通信ものをかなりたくさん出しました。
第二段階として、書かれたもののかたちで、霊界の様子や高級霊の考えなどを伝えたわけです。
ちょうど、そのころは、第一次世界大戦と第二次世界大戦という、二つの大きな戦争が起きる時期だったので、「霊界思想の普及」の使命感に燃えていたのです。(中略)
その後の流れのなかで、二十世紀には、科学主義が進み、医学もかなり進歩してきました。これが、宗教や霊界をなかなか信じてくれない一つの牙城のようになってきたので、「これも何とかしなければいけない」という問題も出てきました。(中略)
マルクス、それからダーウィンと来て、完全な唯物論が大きく流れてきたわけです。さらには、科学や医学の進歩、進化というものが、その後、ずっと続いてきたのです。
心霊主義の第一段階では、霊媒等を使って、いろいろな物理現象を起こし、第二段階では、霊界通信を行いましたが、第三段階では、「霊界の力を使って病気を治す。この世では不治と言われた病を心霊治療などで治す」ということが、あちこちで起きるようになりました。
第二次大戦後は、それが特に多くなってきました。「医者が見放して、『もうだめです』と言う病気を、心霊治療で治す」という試みが始まりました。これは唯物主義の医学との戦いなのです。(中略)
こういう大きな三段階の文明実験を行いました。二十世紀の後半になって、真理の普及運動がいよいよ本格化するまでに、いろいろと、下ならし、地ならしを、百年ぐらい行ったのです。
これには当初から私も関係しています。この計画を進めることを決めた十九世紀の半ばぐらいから、実在界にいたときに関係しています。
(175~179ページ)
天上界の計画は、第一段階が一通り終わった20世紀の初頭ぐらいから、第二段階として、天上界の高級諸霊から通信を降ろし、自動書記のかたちで書いたり、霊能者に語らせて記録したりしたものを、本にして出すことで、霊界思想の普及を始めた。
その後、唯物論の流れのなかで、科学主義が進み、医学も進歩したことで、第三段階では、この世では不治と言われた病を、心霊治療などで治す試みが始まった。
これらは、20世紀後半に真理の普及運動が本格化するまでに行なわれた、地ならしであった──。
さて、この天上界の計画は、当初、唯物論運動に対するものとして始められたわけですが、その意図は、それだけだったのでしょうか?
興味は尽きませんが、それはまた次の機会にご紹介したいと思います!
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『神秘の法』
大川隆法著 |
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