法哲学って、むずかしいよね。どんなテキストを読めば、分かるようになるのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『法哲学入門』――法の根源にあるもの(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。
戦後七十年の日本は、「立憲主義」に呪縛されてきた歴史であったといっても過言ではない。占領軍GHQ本部主導で、二十代女性も含めた数名の法律の専門家ともいえないアメリカ人たちが、一週間ばかりで作成した英文の日本国憲法(とその翻訳)が、神から降ろされたモーセの十戒の如く厳守された時代でもある。
立憲主義とは、憲法を最高法規として、公務員を縛り、各種法令や政策にも制約をかけてゆく考え方であるが、根本には神の首をハネたカント的な理性万能主義があると思う。
これに対し私は、法の根源にあるものとは何かを、本書で縦横無尽に説いた。はっきり言えば、人間の創った法が、神の法や仏の法を超えてはならないのだ。神仏の法を根源としつつ、変動していく社会に適した実定法が定められていくべきだと思う。国民のその時代の「空気」が、必ずしも神意や仏意でもないことを深く肝に銘ずるべきであろう。
(1~2ページ)
戦後の日本は、憲法を最高法規とし、神の首をハネた理性万能主義が根本にある「立憲主義」に呪縛されてきた歴史であった。
しかし、人間の創った法が、神の法や仏の法を超えてはならない。神仏の法を根源としつつ、変動していく社会に適した実定法が定められていくべきだ。
国民のその時代の「空気」は、必ずしも神意や仏意でもない――。
単純に、憲法は一字一句いじってはいけない、と考えているような方もいますが、大川隆法先生は、それは「立憲主義」の「呪縛」だと考えられるわけです。
世論調査で数字が出てくる民意はぜったいだ、というように考えている方もいますが、大川隆法先生は、それは国民によるその時代の「空気」にすぎないのであって、必ずしも「神意」でなければ「仏意」でもない、と考えられているのだと思います。
さまざまな事例を取り上げることで、法律というのを勉強したことがない人にも理解できるように、法の根源にあるものとは何かを、まさに縦横無尽に説いて下さっています。
本書は、「新・日本国憲法試案」をはじめとするこれまでの法律関係の著書では十分に説かれていなかった、「法律」がどういう方向で創られていくべきか、その根本理念を示された重要書籍ではないかと私は思うのです。
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『法哲学入門』大川隆法著
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