インドで作家業

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岡本かの子の芥川龍之介観

2015-02-28 18:11:07 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
昨夜、青空文庫で有島武郎や太宰治、岡本かの子を読んだが、岡本かの子の「鶴は病みき」が秀逸だった。

芥川龍之介(作中名は麻川荘之介)との生前の親交、偶然避暑で借りた鎌倉の宿H屋(芥川が昭和2年7月24日に不慮の死を遂げる5年前、岡本かの子姉妹と同宿したのが、鎌倉雪の下の平野屋旅館だった)で大物作家と隣り合わせたときの、かの子と思われる主人公葉子が観察した気鋭作家の風貌だが、後年自殺に至った理由の片鱗をうかがわせるものがあり、作家のつぶさな観察眼が生きた小品(芥川自殺の8年後昭和11年6月に文学界に発表)である。

以下あらすじの一部引用。

大正12年7月、葉子一家は避暑のため鎌倉H屋の別荘の一棟を借りた。偶然にも廊下続きの隣の一棟が高名な麻川荘之助が借りていることを知ってはっと驚く。麻川荘之助と言えば、葉子にとってかなり眩しいような小説道の大家で、はっと胸にこたえるものがあったのは、葉子の内側に稚純な小説崇拝性が内在しているからであった。葉子には、かって習作小説を見て貰おうと氏に出した手紙が黙殺されてしまったことへの恨みがましい気持ちや、X婦人の美貌を激賞する氏の審美眼に不愉快を感じたことなどへのわだかまりがあった。略……

その鎌倉時代から五年の歳月を経て、神経衰弱の病状が進みつつあった芥川と熱海に向かう電車内で再会したときの目を剥く変貌、それを病んだ鶴にたとえているのだが、以下圧巻とも言える箇所をかいつまんで引用しよう。

昭和二年の早春、葉子は、一寸した病後の気持で、熱海の梅林が見度くなり、良人と、新橋駅から汽車に乗った。すると真向いのシートからつと立ち上って「やあ!」と懐しげに声を掛けたのは麻川荘之介氏であった。何という変り方! 葉子の記憶にあるかぎりの鎌倉時代の麻川氏は、何処か齲ばんだ黝(うずくろ)さはあってもまだまだ秀麗だった麻川氏が、今は額が細長く丸く禿げ上り、老婆のように皺んだ頬を硬ばらせた、奇貌を浮かして、それでも服装だけは昔のままの身だしなみで、竹骨の張った凧紙のようにしゃんと上衣を肩に張りつけた様子は、車内の人々の注目をさえひいて居る。葉子は、麻川氏の病弱を絶えず噂には聞いて居たが、斯うまで氏をさいなみ果した病魔の所業に今更ふかく驚ろかされた。病気はやはり支那旅行以来のものが執拗に氏から離れないものらしい。だが、つくづく見れば、今の異形の氏の奥から、歴然と昔の麻川氏の俤(おもかげ)は見えて来る。葉子は、その俤を鎌倉で別れて以来、日がたつにつれどれ程懐しんで居たか知れない。葉子の鎌倉日記に書いた氏との葛藤、氏の病的や異常が却って葉子に氏をなつかしく思わせるのは何と皮肉であろう。だが、人が或る勝景を旅する、その当時は難路のけわしさに旅愁ばかりが身にこたえるが、日を経ればその旅愁は却ってその勝景への追憶を深からしめる陰影となる。これが或る一時期に麻川荘之介氏という優れた文学者に葉子が真実接触した追憶の例証とも云えよう。中略……

氏は立ち際に「あなたが二度目に××誌に書かれた僕の批判はまったく当って居ます有難かった。」と云った。それは鎌倉以後三四年たった時分葉子が××誌から書かされたもので「麻川氏はその本性、稀に見る稚純の士であり乍ながら、作風のみは大人君子の風格を学び備えて居る為めにその二者の間隙や撞着矛盾が接触する者に誤解を与える。」こんな意味のものだった。葉子がより多く氏を理解して来たと自信を持ち出した頃のものだった。
 汽車から降りてはっきりした早春の外光の中に立った氏の姿を葉子は更に傷ましく見た。思わず眼をそむけた。頭半分も後退した髪の毛の生え際から、ふらふらと延び上った弱々しい長髪が、氏の下駄穿ばきの足踏みのリズムに従い一たん空に浮いて、またへたへたと禿げ上った額の半分ばかりを撫なで廻まわす。
「あ、オバ○!」
 不意の声をたてたのは反対側の車窓から氏を見た子供であった。葉子は暗然として息を呑のんだ。
「すっかり、やられたんだな。」
 葉子の良人も独言のように云ったきり黙って居た。

 その日の夕刻、熱海梅林の鶴の金網前に葉子は停って居た。前年、この渓流に添って豊に張られた金網のなかに雌雄並んで豪華な姿を見せて居たのが、今は素立ちのたった一羽、梅花を渡るうすら冷たい夕風に色褪た丹頂の毛をそよがせ蒼冥として昏れる前面の山々を淋しげに見上げて居る。私は果無げな一羽の鶴の様子を観て居るうちに途中の汽車で別れた麻川氏が、しきりに想われるのであった。「この鶴も、病んではかない運命の岸を辿るか。」こんな感傷に葉子は引き入れられて悄然とした。


本作で改めて、かの子の作家としての腕を見直したわけだが、押しも押されぬ文壇の大家をよく見ているというか、的確な観察力には恐れ入る。まさしく見透かされるような鋭さだ。
駆け出しの作家である私には非常に勉強になったし、芥川龍之介をモデルにした作品とのことでいまだに世評の高い旧作をただで読めて重宝した。

「鶴は病みき」岡本かの子

そう長くない作品なので、興味のある方はぜひ全編をご一読いただきたい。

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