インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

車の荒木鬼の33回忌

2012-03-21 22:38:54 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
今日三月二十一日は、亡父の33回忌だった。
僭越ながら、故荒木重男の経歴をここに簡略に述べさせていただくと、戦後福井の自動車整備界の草創期を築き上げた、成功した実業家である。
亡父をモデルにした伝記小説を昨春、上梓したので、興味のある方は以下の、アマゾンページからご購入いただきたい。

「車の荒木鬼」(モハンティ三智江、ブイツーソリューション刊、1260円)

すでに昨夜の零時過ぎ、父の顔写真が掲載された単行本カバーに向かって合掌したが、本日は日の落ちた浜に、ベランダの観葉植物から摘み取った薔薇色の小花を手に、繰り出し、暗い波間に放った。
昨春、一年早い32回忌の法事を記念出版に併せて、家族で執り行っていたが、本式には33回忌が筋なので、郷里でもお経をあげてもらっていたことと思う。

夜空を見上げると、星がたくさん瞬いており、この星のどれかひとつに父はなったのだなと、思いを馳せ、少ししんみりした気分になった。
西の中空に、ひときわ麗しいこんじきに瞬いているのは宵の明星。
もし生まれ変わってないとしたら、金星辺りにいるかもしれないと、瞑目して、黙祷した。
お彼岸に亡くなった父は、生前信心深く、大歳には七社参りを欠かさなかったため、きっと天国に行っただろう。

もし生きていれば、83歳の高齢だ。
娘としては、よぼよぼのじいさんになってもいいから、生きていてほしかった。
父がいたら、時代の波に押されて往年ほでないにしろ、自動車販売整備業、福井モータースはもっと繁栄していたことろう。

返す返すも惜しまれる夭折、だった。
五十という男盛りで亡くなった、父の偉業を偲んで、夜空の星を仰ぎ続けた。


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