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「江戸繁昌記 ニ篇」 7 混堂(ゆや)5

(今日の夕焼け)

午前中、大賑わいであった我が家も、名古屋のかなくん一家が帰り、掛川のまーくんたちも帰り、孫たちの夏休みも終わったようなものである。夕方、久し振りにきれいな夕焼けを見た。しかし、明日は台風9号がやってくるようで、雨模様だという。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

且つ、短製犢鼻(ふんどし)の、越中と称するもの、古来これ有りて、然し世誤りて、公の意に出ると為す。要するに、また徳に帰するのみ。倹なるかな徳やなり。然り、而(しこう)して、無知の細民、これを長くするに止まらず、或は皺紗絹帛、紫を結んで紅を紆(あしら)うに至る。陰嚢は一身の命脈、陽茎は一生の要用かなといえども、これを襲するに、これを用いる。居士、私に恐るる。嚢裂け、茎折れしことを。
※ 倹なる(けんなる)- 安っぽい。
※ 細民(さいみん)- 下層階級の人々。貧しい人たち。
※ 皺紗(しゅうしゃ)- ちぢみ織り。
※ 絹帛(けんぱく)- 絹の布。絹織物。
※ 命脈(めいみゃく)- いのち。生命のつながり。
※ 要用(ようよう)- 必要なこと。
※ 襲する(しゅうする)- 覆う。
※ 私に(わたしに)- 私的に。個人的に。


姉、妹が(たぶさ)を仰ぎて曰う、誠に佳し。誰をしてこれを為さしむる。曰う、那(な)んぞ、阿清のみ。少く頭を顫(ふる)って曰う、彼が手、僻を成し髻根緊急、言い終らず、偶々男湯裏に向いて、耳朶を傾着して曰う、また例して源太を聞く。誠、厭(いと)う。何ぞ(誰)一人して、河東一中を唱うる無き。
※ 髻(たぶさ)- 髪の毛を頭の頂に集めてたばねたところ。もとどり。
※ 阿清(あきよ)- 清さん。(「阿」は、氏名等の前につけ、愛称をあらわす。~ちゃん。)
※ 僻を成し(へきをなし)- 癖がある。
※ 髻根緊急(たぶさねきんきゅう)- たぶさの根元をしっかり縛る。(「根合する」とルビあり)
※ 耳朶(じだ)- みみたぶ。みみ。
※ 源太(げんた)-「曲名」と注がある。常磐津に「源太」という曲名あり。
※ 河東(かとう)- 河東節。浄瑠璃の一種。(「河東」と「一中」合せて「並び曲名」と注有り。)
※ 一中(いっちゅう)- 一中節。浄瑠璃の一種。


隔壁声有り。詞に曰う、悦ぶべきも初見を奈(いか)ん。翠被、君に伴なう。遅々す、宜しく。他(の女)の明朝の弄(ろう)に、従(ま)かす。一味の野情嘉期を促す。却って枕辺に向いて、玉臂を引く。
※ 初見(しょけん)- 初対面。初めて合うこと。
※ 翠被(すいひ)- カワセミの羽でつくった着物。緑色のふとん。
※ 遅々(ちち)- 物事がすらすらと進まず、時間がかかること。
※ 一味の野情(れい)- 野暮。野暮な男。
※ 嘉期(かき)- よい時。
※ 玉臂(ぎょくひ)- 美しいひじ。玉のように美しいうで。


最後の部分は、聞こえてくる音曲を漢文に直したものだが、解読に大変苦労した。妓が一見の客をあしらっている内容だと思うが、理解して貰えたであろうか。
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「江戸繁昌記 ニ篇」 6 混堂(ゆや)4

(散歩道のタマスダレ)

午後、金谷宿大学、「古文書に親しむ」へ出かける。五輪のテレビ観戦で、皆、お疲れの様子。その五輪、男子400メートルリレーの銀メダルは感動的であった。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

既にして女湯もまた発す。屐音班々、金振るい、玉砕く。横坊の声、妓、左(ひだり)に紫を褰(から)げ、新道の外妾、斜めに碧帯を垂れる。紅姉粉妹爨婢を連れて並び、伴公に就いて糠袋を買う。
※ 屐音(げきおん)- 下駄の音。
※ 班々(はんはん)- あざやかではっきりしているさま。(正しくは王偏に將、何とよむのか?)
※ 横坊(よこぼう)-「坊」は、方形にくぎられた町の区域。市街。まち。「横坊」は、横丁の意。
※ 裳(も)- 平安時代以後の女房の装束で、腰部から下の後方だけにまとった服。
※ 外妾(がいしょう)- 自宅以外に住まわせているめかけ。
※ 紅姉粉妹(こうしふんまい)- 紅と白粉の姉妹。
※ 爨婢(さんぴ)-「オサンドン」とルビあり。
※ 伴公(ばんこう)-(「公」は、人名の略称などに付いて、親愛の情、または軽い軽蔑の意を表す。)「伴公」で、「番頭」を指す。
※ 糠袋(ぬかぶくろ)- 糠を入れた布袋。肌を洗うのに用いる。


笑語喧鬨、湯中、一派の波を湧(わ)かす。一浴して出て、皆な外板上に在りて澡(あら)う。鶏卵の皮を脱するは、皓顔の紅を拭(ぬぐ)うなり。白蓮の漣󠄁(さざなみ)に濯(あら)うは、玉臂、粉を剔(えぐりと)るなり。惜むべし、瑠璃の露、江戸の水、(並匳漿)一洗して余香を滴(したた)らす。
※ 笑語喧鬨(しょうごけんこう)- 笑い声や喧しい声。
※ 皓顔(こうがん)- 白く汚れなく輝いている顔。
※ 玉臂(ぎょくひ)- 美しいひじ。玉のように美しいうで。美人のひじの形容として用いる。
※ 江戸の水(えどのみず)- 文化8年(1811)、式亭三馬が売り出した化粧水。
※ 並匳漿(なみれんしょう)-(「匳」は「くしげ」、櫛や化粧道具を入れておく箱。「漿」は濃い汗。)「いずれも、化粧水」の意。


思う、渭水(あぶらあか)の漲(みなぎ)らん。真に是れ一面の温泉宮。聞く、往時は男女同浴、混雑、別け無し。賢執越公に及びて、停止、別けならしむと。仰(あお)ぐべし。今、人の別湯に浴する者は、公の余沢に浴するなり。
※ 渭水(いすい)- 黄河支流の一つ。陝西省中央部を流れる川。流域の渭水盆地は中国古代文明の中心の一つで、秦・漢以来は「関中」とよばれ、歴代王朝の都となった長安(西安)がある。
※ 膩(あぶらあか)- 油じみてべたつく垢(あか)。
※ 温泉宮(おんせんぐう)- 中国陝西省西安の南東の驪山(りざん)にあった離宮、華清宮のことか。唐初に太宗が造営した温泉宮。玄宗が楊貴妃を連れてしばしば訪れた。
※ 混雑(こんざつ)- 物事が無秩序に入りまじること。
※ 余沢(よたく)- 先人が残してくれた恩恵。
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「江戸繁昌記 ニ篇」 5 混堂(ゆや)3

(新東名を帰る)

午後、駿河古文書会で、静岡へ出かけた。今日の課題は大変難しく、オリンピックのテレビ観戦に時間を取られて、後半2ページほど、予習を諦めて出席した。当番も、なかなか判断が難しい所が幾つかあって、解読に苦労があったようだ。

古文書会からの帰りに、松坂屋へ寄って、デパ地下で、日曜日に帰る、かなくん達に御馳走するために、お寿司を買って帰った。支払いは、手元にあった商品券を使った。

帰る途中、東名の事故で、東名を降りた車が国一バイパスに集中して、渋滞が起きていた。夕食に間に合わなくてはと思い、藤枝で新東名に乗り換えて帰った。新東名は空いていて、思いの外、早く帰宅出来た。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

浴室は今も昔も声が響いて上手に聞こえるのであろう。ついつい喉自慢も出ようというものである。

室内声高く有り、唱えて曰う、君を候(待)ち、君を候(待)ちて、蚊帳の外に在り。丁鐘、暁を報ずるも、妾(わらわ)が心、豈(あ)に悔(くや)まんや。
※ 君を候(待)ち、君を候(待)ちて -「おまえをまちまち」とルビあり。江戸時代天保二年頃流行した「はねだ節」に、「おまえをまちまち蚊帳の外」という歌詞がある。「蚊に食はれ 七つの鐘のなる迄は こちやかまやせぬ かまやせぬ」と続く。「こちゃえ節」といい、曲は「お江戸日本橋七つ立ち」と同じ。
※ 丁鐘(ちょうしょう) - 町の鐘。時の鐘のことであろう。


清声更に高し。曰う、竹、雪に碎(くだ)けり。雀、飢えに苦しむ。暁寒、骨を侵(おか)す。如奈(いか)んぞ遣(や)り帰さん。
※ 竹、雪に碎(くだ)けり。雀 -「ゆきおれささにむらすずめ(雪折れ笹に群雀)」とルビあり。端唄「雪折れ笹」に、「雪折れ笹に群雀、今朝の寒さに帰らりょか、たとえ年季の増せばとて」という歌詞がある。

暁、湯沸し易く、熱を訴えて児啼く。便(すなわ)ち、板壁を鳴らして水を呼び、送り瀉(そそ)がしむ。熱を好む者、憤(いきどお)り出で、曰う、(しっ)、敗せり。好湯、頓(にわか)曝潦と成り。
※ 叱(しっ)、敗せり -「いまへましい(いまいましい)」とルビあり。
※ 曝潦(れい)-「ヒナタミズ(日向水)」とルビあり。「潦」は「にわたずみ」雨が降って地上にたまったり流れたりする水のこと。


混雑、朝を崇(お)え、飄風漸く止む。暫時、客罕(まれ)なり。伴頭始めて朝食に就く。
※ 飄風(ひょうふう)- 急に激しく吹く風。つむじかぜ。はやて。
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「江戸繁昌記 ニ篇」 4 混堂(ゆや)2

(雨雲が降りて来る)

昨日、太陽が沈んだ同じところに、今日は雨雲が降りてきた。オリンピックテレビ観戦疲れである。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

湯屋の戸が、いよいよ開いた。

一人、左右を顧みれば、則ち驚いて曰う、闢(ひら)けたり。二人相與(とも)に、験(ため)して、衝き入る魚鱗雑襲。欲客、武を接す
※ 雑襲(ざっしゅう)- 多くのものが入り乱れて重なる。
※ 武を接す -(「接武」はすり足のこと)すり足で歩く。


睡気未だ除かれず。欠(あくび)し、かつ撫する者。頂きに手巾を安(やす)んじ、浴衣を挟み抱く者。口吻を裂きて、楊枝を使う者。寝衣(ねまき)にして束帯せざる者。燭炬に鼻薫する者は、蓋(けだ)し、事有りて徹夜するなり。(懐中、僅か湯銭を余す)
※ 眶(まぶち)- 目のふち。また、まぶた。
※ 撫する(ぶする)- なでる。
※ 手巾(しゅきん)- 手ぬぐい。
※ 口吻(こうふん)- 口さき。口もと。
※ 束帯(そくたい)- 男子の正式の朝服。ここでは、「昼間の衣服」の意。
※ 燭炬(しょくきょ)- かがり火。
※ 事有りて徹夜 - 徹夜したのは博奕であろう。すってんてんで、湯銭しか残らなかった。


頭額、重きが若き者は、なお宿醒を帯るなり。(喉中、未だ一粒米を下す)肩を翕(あ)わせ、を上下する者、瘡癢を爪するなり。懐抱を摸索する者、蚤児(のみ)捫する。児を擕(たずさえ)て往き、爺を扶(たす)けて至る。
※ 臂(ひ)- うで。
※ 瘡癢(そうよう)- できものと、皮膚のむずがゆい病気。
※ 懐抱(かいほう)- ふところ。
※ 摸索(もさく)- 手さぐりで探し求めること。
※ 捫する(もんする)- ひねる。


混浴雑澡、頭、陰嚢を搶(つ)き、尻、眉額に上り、背が背と軋(きし)り、脚が脚と交わる。冷え物相報じ請う、恕(ゆる)せよ
※ 雑澡(ざっそう)- 入り混じって洗うこと。
※ 冷(ひ)え物相報じ - 冷たい身体の一部が、暖まった相手の身体に触ること。(浴堂内通語)と注がある。
※ 請う、恕(ゆる)せよ -「ごめんなさい」とルビあり。


冷えた身体が温まった体に触る感覚は、混んだ銭湯を経験したものでなければ解らないだろう。そんな些細なことに、謝る所作が、100万都市江戸の平和を守って来た。

互に田舎人(通語)と称す。彼は南無阿弥と唱え、此は妙法蓮華と念ず。南無阿、南無妙。伴頭、甚だ恐れる。人のこれにおいて成仏せんことを。
※ 通語(つうご)- 世間一般に使用されている言葉。


ここで死なれりゃ、番頭さんもたまらない。
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「江戸繁昌記 ニ篇」 3 混堂(ゆや)1

(沈む太陽が丸く見える)

意識しない内に日本列島の東を北へ、台風がいくつか抜けた。大きな台風ではなく、上陸に至らなかったからだが、日本中がリオへ向いているから、ニュースも扱いが小さい。

今日の夕暮れ、太陽は昨日と同じようだが、雲が少しあって、雲を通しての太陽は丸く見える。微妙な違いを写し撮りたくて、デジカメを向けた。

孫たちが、掛川のまーくんの家と行き来に、車を出したので、都合三往復する。一往復に40~50分掛かる。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

    混堂
※ 混堂(こんどう)-「ゆや」とルビあり。風呂屋。浴場。
暁天なお昏(くら)し。早く鴉声に和して、戸を連打し去る。喇々喇々(バタバタ)唖々唖々(カアカア)、喇々(バタバタ)唖々(カアカア)、喇唖(バタカア)喇唖(バタカア)。
※ 鴉声(あせい)- カラスの鳴き声。

朝湯に一番で浸かろうと、気に早い大家さんがやって来て、湯屋の戸を連打する。

高声、急に呼んで曰う。天、明けたり。須(すべから)く起きつべし。伴頭(湯屋の番頭)(はや)く開けろ。伴頭、伴頭、(び)を失するか。伴頭、すでに死せるか。呆伴、屎伴。衆雑嘈、戸未だ発(ひら)かず。
※ 寐(び)を失するか - 「ねぼうしたか」とルビあり。
※ 呆伴、屎伴 -「べらぼう伴」、「くそ伴」、とルビあり。
※ 雑嘈(ざつそう)- ざわざわと騒々しいこと。


一人、一人を揖して曰う、大家爺早起、今日好い天気。曰う、諾(はい)、昨日の葬送、道路殊に遠し。一同疲困す。帰るに臨みて、偶々(たまたま)君等を失す。家に至るまで影無し。想うに、また深川地方に向いて去る。
※ 揖す(ゆうす)- 会釈する。
※ 大家爺 -「おおやさん」とルビあり。
※ 早起 -「おはよう」とルビあり。
※ 疲困(ひこん)- 疲労困憊。
※ 深川地方 - 江戸時代には、深川では辰巳芸者が活躍し、深川八幡宮・永代寺の門前町は岡場所であった。


曰う、何ぞ然らん。霊巌寺の側、外族の在る有り。久しく音信無し。恰(あたか)も好し。少しく迂を取りて、彼方に走る。如何(いかん)ぞ、然らん。決して然らずや。
※ 霊巌寺(れいがんじ)- 東京都江東区にある浄土宗の寺院。
※ 外族(がいぞく)- 母または妻の親族。外戚。
※ 迂を取る(うをとる)- 遠回りする。


曰う、陳ぶることを休めよ。我、吾が黒眼を以って、已(すで)洞見し了せり。伊勢久(伊勢舗久兵衛)、また老人気を欠く年紀に愧(はじ)ず、弱冠を誘引す。真に好からぬ事、真に好からぬ事。
※ 洞見(どうけん)- 事物の本質などを見抜くこと。洞察。
※ 老人気を欠く -「おとなげねい」とルビあり。
※ 年紀(ねんき)-年齢。
※ 弱冠(れい)- 男子二十歳のこと。ここでは「若い者」位の意。
※ 真に好からぬ事 -「よくないこった」とルビあり。


昨日の新鬼の如き、明大人都俗有為の者を呼んで、明大人と謂う)、現今の家財へ並一生の聚(あつま)る所、千金、地面も已に三所を領せり。然れども平生の為る所、吝嗇と謂うには非ず。真に明大人、君もまた将にならんと、早々地を為せ。
※ 新鬼(しんき)-「ほとけ」とルビあり。
※ 明大人(めいていじん)- 文中に注あり。「都俗、有為の者を呼んで、明大人と謂う」
※ 都俗(とぞく)- 都会の風俗・習慣。みやこぶり。
※ 有為(ゆうい)- 能力があること。役に立つこと。
※ 壮(そう)- 意気が盛んで勇ましいこと。
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「江戸繁昌記 ニ篇」 2 序2

(猛暑を戻した太陽が沈む)

去ったと思った猛暑が戻って来た。夕方の散歩に、猛暑の太陽が沈んで行った。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

好みて文を為(す)るも、未だ隻言のこれを、道に合すること能わざるなり。則ち、何の而(しこうして)か、また儒と称し、なおこれを售(う)りて、生を愉しむ者は、口を糊すること無きを以って、故爾(ゆえに)も、豈にその素志たれや。
※ 隻言(せきげん)- ちょっとしたわずかな言葉。ひとこと。
※ 口を糊する(くちをのりする)- やっと暮らしをたてる。
※ 素志(そし)- 平素から抱いている志。以前からもっている希望。


客歳病窓の暇(ひま)、繁昌記を記し、数本一噱、これを朋友に頒(わか)つ。早くすでに、人間(じんかん)伝播せんとは、意はなかりき。
※ 客歳(かくさい)- 去年。昨年。
※ 一噱(いっきゃく)- 一笑。一つの笑いぐさにすること。
※ 朋友(ほうゆう)- ともだち。友人。
※ 伝播(でんぱ)- 伝わり広まること。広く伝わること。


友人来たり、告げて曰う。世、人を責むるに已むこと無き。且つ、子(し)が儒に非ざるを知らざるやなり。咸(みな)言う。これ豈に儒人の口気ならんと。然れども、居士なる者は、飄然たる一浪人、固(もと)より儒者には非ざるなり。師表なる者に非ず。矜式なる者に非ずして、且つその世に求め無き。
※ 口気(こうき)- ものの言い方。くちぶり。
※ 飄然(ひょうぜん)- 世事を気にせず、のんきなさま。
※ 師表(しひょう)- 世の人の模範・手本となること。
※ 矜式(きょうしょく)- つつしんで手本にすること。


世、子(し)を呼びて牛と為さんも、また可なり。馬と為すも、また可なり。犬と為さんも可なり。曷(いずくん)ぞ、それ数々せん。且つ、経史百家、世、聰明に有り。子のには非ざるなり。
※ 経史(けいし)- 経書と史書。「経書」は、中国、儒教の基本的古典。
※ 聰明(そうめい)- 理解力・判断力がすぐれていること。かしこいこと。
※ 分(ぶん)- 立場や身分。


弟々その、これを続け、後にこれを覧る者、開府来の繁昌に因って、開闢来の太平を見、開闢来の文を読んで、開闢来の人を知らん。また可ならずや。居士、哂(わら)いて曰う。、これを記して二編と為す。
※ 弟々(だいだい)- 第々。(一編、二編と続けることを示すか)
※ 不亦可乎 - また可ならずや。「結構なことだと思う。」の意。
※ 諾(だく)- よろしいと承知する。
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「江戸繁昌記 ニ篇」 1 序1

(「江戸繁昌記 二編」本文)

今朝早く、錦織とナダルの銅メダルを競った一戦を見ていて、終ったのが4時半頃だったか、一日、寝不足であった。ナダルの驚異的な粘りで試合が長くなってしまったからだ。しかし、50年ぶりというテニスのメダルに、これは大変なことだと思った。

さて、次に読む本として、「江戸繁昌記 二編」を選んだ。著者は寺門静軒である。初編は一年前の8月12日から10月26日まで、72回に渡って、当ブログにその読み下したものを掲載した。江戸の下世話な話も、漢文で表すと、何とも魅力的な読み物になるものかと、その時初めて知ったのであるが、2ヶ月半に渡って、未経験な漢文との格闘は大変であった。ずいぶん誤読も多かったのではないかと思うが、その後読み返すこともしていない。

今回はその経験があるので、少しは楽かと思うが、自分では解る言葉でも、ブログに載せる上では、それを読む人のことを考えて、注を付ける必要があるので、作業はあまり変わらない。それでは、さっそく、読み始めることにする。

   江戸繁昌記 ニ篇      静軒居士著

今の太平、開闢以来、未だこれ有らざるなり。江戸の繁昌は、開府以還、未だこれ有らざるなり。太平の時運、繁昌の気数、天、才を尽くし、地、傑し出す。
※ 以還(いかん)- 以降。
※ 時運(じうん)- 時のめぐり合わせ。時の運。
※ 気数(きすう)- 運命。


すなわち、民の聡明、儒人と称して、国の師表と為る。民の矜式斗筲の者と概する。聖経、その徴を析(と)き、賢伝その妙を提げて、諸子百家、異を校し、偽りを正し、事これを記し、言これを纂(あつ)む。備(そなわ)れりと謂うべし。何ぞ、その儒人の盛んなるか。
※ 儒人(じゅじん)- 儒者。
※ 師表(しひょう)- 世の人の模範・手本となること。
※ 矜式(きょうしょく)- つつしんで手本にすること。
※ 斗筲(とそう)の者 - 度量のせまい人。つまらない人物。小人物。
※ 聖経(せいきょう)- 聖人の述作した書物。
※ 賢伝(けんでん)- 聖経に基づいて賢人の書き伝えた書物。


居士が誕生、幸いに文運盛昌の時に遭い、幼くて書を読む事を知り、長じて文を為(す)ることを識る。但し恨む。生資昏愚、好みて書を読むも、未だ一行のこれを、身に修むること能わざるなり。
※ 居士(こじ)- 仕官せず野にある男子の読書人。ここでは、自分のこと。
※ 生資(せいし)- 生まれ備わった資質。
※ 昏愚(あんぐ)- 暗愚。物事の是非を判断する力がなく、愚かなこと。
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「家忠日記 六」を読む 35

(流れが戻った大代川)

昨夜から少し雨が降り、大代川に流れが戻った。雨の降りそうな空に、気温が一気に下がり、酷暑の続く西日本よりも、8~10度ほど低い。まるで避暑地にいるような天気である。午前中、女房の在所に墓参り。といっても車で5分も走れば着く。

「家忠日記 六」の解読を続ける。今日で「家忠日記 六」も読み終える。残るは「家忠日記 七」一冊であるが、家忠日記もいささか飽きた。気分を変えて、他のものを読もうと思う。「家忠日記 七」は、しばらく間を置いてから読もう。

 天正廿年(1592)辰六月
六日 甲午 雨降り。鵜殿八郎三郎、煩い大事に候由、申し来り候。
      また堀川より、早々越し候て見舞い候への由候。
七日 乙未 鵜殿八郎三郎、夕、死去候由、申し来り候。
      初ぶり、八日市場候。
※ 鵜殿八郎三郎 - 家忠妹、おさちの夫。
八日 丙申 八郎三郎弔いて、堀川へ越し候。村雨降る。
九日 丁酉 雨降り。
十日 戊戌 雨降り。

十一日己亥 朝、雨降る。子供部屋作る。
      鵜八郎三、形見、金貝(あぶみ)、杉たての袴、越し候。
※ 金貝(かながい)-金、銀、錫、鉛など金属薄片を漆面にはりつけた蒔絵。ここでは鐙。
十二日庚子 会下へ参り候。雨降り。三里やい火(灸)候。
      鵜八郎三、跡職の儀に、内記江戸へ遣し候。
※ 三里(さんり)- 足三里。膝の皿の下のくぼみから指4本分下の向うずねの外側。灸のツボで、胃腸障害、足の障害、歯痛などに効き、夏バテ防止などにも効果がある。
十三日辛丑 雨降り。土用に入る。上総知行より、年貢越し候。
十四日壬寅 初さゝげ、修理孫左衛門。
十五日癸卯 教伝にて、持ち寄り連歌候。十郎左衛門。
      発句             家忠
      山遠く 見てさえ涼し 滝津波

十六日甲辰 会下へ参り候。竹谷松平久弥助、死去候由候。
      初‥‥喜平所より越し候。江戸より内記帰り候。下殿跡職の儀‥‥
十七日乙巳 
十八日丙午 教伝所にて、持寄連歌候。半左衛門。
      夕立。
      発句             家忠
      空に近き 秋や川上 飛びほたか
十九日丁未 外屋敷に竹植えさせ候。
廿日 戊申 中間、矢作領にて人をかどへ売り候を、張りに掛け候。

廿一日己酉 教伝にて、持ち寄り連歌候。九七。
      発句             定広
      また宵の 月が明け行く 夏の空
廿二日庚戌 会下へ参り候。下鵜殿八郎三郎衆、知行分け候。
      十三郎煩い候由、申し来り候。
廿三日辛亥 十三郎煩い見舞に、六左衛門越し候。
      下衆知行分け済み候て帰り候。
廿四日壬子 教傳、十三郎見舞に越し候。
廿五日癸丑 当社(やしろ)にて、連歌候。神領田壱反付け候。
      発句
      神や植えし 清く涼しき 庭の松  正作
      夕たつ風になびく しらゆう    家忠
※ しらゆう(白木綿)- 白色のもめん。

廿六日甲寅 
廿七日乙卯 
廿八日丙辰 ‥‥ 渡り候。
廿九日丁巳 十三郎煩い能く候由、六左衛門帰り候。
      江戸より来月五日に普請始め候て、越し候えの由、文参り候。
晦日 戊午 家中女房衆、振る舞い候。


以上で、「家忠日記 六」終り。
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「家忠日記 六」を読む 34

(かなや会館のセイヨウアサガオ)

午後、かなや会館に行き、「駿遠の考古学と歴史」講座へ出席した。今日のテーマは「島田山王前遺跡と浅羽十二所遺跡 ー 中世前期の寺院と居館をめぐって ー」全国が庄園支配であった中世、地方の支配の様子は、資料が少なくてほとんどわかっていないのが現状であるが、現在にも残る字名が大きなヒントになる。字名が地図に落されている資料があると、色々なことが分ってくる。そんな趣旨の話であった。また、遺跡名の「山王前」は天台宗と関わりが深いことを示し、「十二所」は熊野権現との関わりを示している。いずれも字名で付けられた遺跡名だが、それだけで解ってくることもある。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正廿年(1592)辰五月
六日 乙丑 雨降り。
七日 丙寅 雨降り。玄佐死去成られ候。
※ 玄佐(げんざ)- 松平康定(勘解由左衛門)。家忠の大叔父。
八日 丁卯 
九日 戊辰 
十日 己巳 夜、南風、雨。

十一日庚午 祈祷候。当所薬師坊主、会下へ参り候。留守中に作り候家葺き候。
十二日辛未 雨降り。
十三日壬申 雨降り。
十四日癸酉 
十五日甲戌 雨降り。

十六日乙亥 雨降り。
十七日丙子 朝まで雨降る。
十八日丁丑 雨降り。持ち寄り連歌、教伝所にて候。
      発句              家忠
      五月雨は 雲重なりて 空もなし
十九日戊寅 
廿日 己卯 雨降り。

廿一日庚辰 東堂様、時儀にて越され、会下参り候えば、振る舞い候。
      上総(かずさ)はつ殿より音信候。
廿二日辛巳 晩に夕立、神鳴り。
廿三日壬午 
廿四日癸未 雨降り。
廿五日甲申 雨降り。持ち寄り連歌候。教伝所にて。
      発句           正佐
      橋に番 越し合わするや 梅の雨

廿六日乙酉 江戸へ酒(井)平右衛門越し候。
廿七日丙戌 雨降り。知行振り分け候。
廿八日丁亥 雨降り。
廿九日戊子 


 天正廿年(1592)辰六月
 六月大
一日 己丑 会下へ参り候。平右衛門江戸より帰り候。
      高麗国絵図越し候。大方納め候由候。
※ 高麗国絵図 - 朝鮮に攻め渡ろうとする秀吉。随軍している家康。それと関係のある絵図なのであろうか。
二日 庚寅 
三日 辛卯 教伝所、持ち寄り連歌候。与五左衛門。
      発句              家忠
      夏の夜は ただ三日月の 入る差かな
四日 壬辰 
五日 癸巳 雨降り。飯沼、松平外記所より、鮑、海草越され候。
      新二郎、廿五日に教伝だん忌候。
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「家忠日記 六」を読む 33

(散歩道のススキの穂)

今日は暑さも一休みなのか、曇って、やや凌ぎやすい。散歩道で薄の穂が出ているのを見つけた。酷暑の中でも秋が確実に近づいている。

リオ五輪では、連日の日本人選手のメダルラッシュに、テレビにくぎ付けで、古文書解読もさぼり勝ちで、ブログの継続も苦しくなっている。出来るだけテレビを消して、パソコンに向かうようにはしているが。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正廿年(1592)辰四月
 四月小
一日 辛卯 夜、雨降る。
二日 壬辰 御二方様より、普請場へ御鷹ほがい給り候。
※ ほがい(寿がい)- 祝い。
三日 癸巳 上総(かずさ)知行分にて、身(親)類衆へ渡し候。
四日 甲午 雨降り。屋敷家建て候。
五日 乙未 雨降り。宰相様、白鳥の御振る舞い成され候。

六日 丙申 
七日 丁酉 殿様、京都を、筑紫へ、去る十七日に御出馬候由候。
      伊達、南部、景勝、佐竹、御に付き候由候。
※ 景勝(けいしょう)- 上杉景勝。
※ 手(て)- 支配下にあって思い通りに使える人や軍勢。

八日 戊戌 朝より雨降る。原田さ佐右衛門所に、夢想の連歌にて越し候。
九日 己亥 大雨、北風。
十日 庚子 雨降り。

十一日辛丑 雨降り。
十二日壬寅 朝雨降る。御二方様に、今度唐入り御陣、御祈念の連歌にて越し候。
十三日癸卯 夜より雨降る。
十四日甲辰 雨降り。形原衆ふる舞い候。
十五日乙巳 雨降り。

十六日丙午 平岩主計所にふる舞いにて越し候。夕飯、酒宮内所に候。
十七日丁未 
十八日戊申 跡部大炊助伯父、民部所に連歌にて越し候。正月の連歌延びて。
      発句            家忠
      花々の 中にも桜の 立ち枝かな
      上代より、玄佐煩い候由、申し来り候。
十九日己酉 雨降り。
廿日 庚戌 

廿一日辛亥 
廿二日壬子 雨降り。戸田左門所にふる舞いにて越し候。
廿三日癸丑 
廿四日甲寅 晩より雨降る。
廿五日乙卯 夜、雨降る。新二郎煩い帰られ候。
      玄佐煩いもよくも候いて、九七帰り候。

廿六日丙辰 龍花院に、夕飯のふる舞い候。
廿七日丁巳 
廿八日戊午 
廿九日己未 水野藤次所に、ふる舞いにて越し候。


 天正廿年(1592)辰五月
 五月小
一日 庚申 雨降り。跡部大炊助所に、連歌にて越し候。
二日 辛酉 雨降り。新二郎煩い、以外候由、申し来り候。
※ 以外(いがい)- 意外。考えていた状態と非常に違っていること。
三日 壬戌 普請出来候。但し、奉行衆、天気上がり次第、普請場受取り
      越し候へ候由、申し候。三浦右衛門八、残し候て帰り候。
      舟橋近所にて、新二郎昨日二日に果て候由、申し来り候。
      舟橋に留り候。
※ 舟橋(ふなばし)- 現、千葉県船橋市。
※ 新二郎 - 松平新次郎。家忠の弟。

四日 癸亥 上代まで越し候。
五日 甲子 西郷左衛門助、新二郎弔い候て、御越し候。
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