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「江戸繁昌記 ニ篇」 1 序1

(「江戸繁昌記 二編」本文)

今朝早く、錦織とナダルの銅メダルを競った一戦を見ていて、終ったのが4時半頃だったか、一日、寝不足であった。ナダルの驚異的な粘りで試合が長くなってしまったからだ。しかし、50年ぶりというテニスのメダルに、これは大変なことだと思った。

さて、次に読む本として、「江戸繁昌記 二編」を選んだ。著者は寺門静軒である。初編は一年前の8月12日から10月26日まで、72回に渡って、当ブログにその読み下したものを掲載した。江戸の下世話な話も、漢文で表すと、何とも魅力的な読み物になるものかと、その時初めて知ったのであるが、2ヶ月半に渡って、未経験な漢文との格闘は大変であった。ずいぶん誤読も多かったのではないかと思うが、その後読み返すこともしていない。

今回はその経験があるので、少しは楽かと思うが、自分では解る言葉でも、ブログに載せる上では、それを読む人のことを考えて、注を付ける必要があるので、作業はあまり変わらない。それでは、さっそく、読み始めることにする。

   江戸繁昌記 ニ篇      静軒居士著

今の太平、開闢以来、未だこれ有らざるなり。江戸の繁昌は、開府以還、未だこれ有らざるなり。太平の時運、繁昌の気数、天、才を尽くし、地、傑し出す。
※ 以還(いかん)- 以降。
※ 時運(じうん)- 時のめぐり合わせ。時の運。
※ 気数(きすう)- 運命。


すなわち、民の聡明、儒人と称して、国の師表と為る。民の矜式斗筲の者と概する。聖経、その徴を析(と)き、賢伝その妙を提げて、諸子百家、異を校し、偽りを正し、事これを記し、言これを纂(あつ)む。備(そなわ)れりと謂うべし。何ぞ、その儒人の盛んなるか。
※ 儒人(じゅじん)- 儒者。
※ 師表(しひょう)- 世の人の模範・手本となること。
※ 矜式(きょうしょく)- つつしんで手本にすること。
※ 斗筲(とそう)の者 - 度量のせまい人。つまらない人物。小人物。
※ 聖経(せいきょう)- 聖人の述作した書物。
※ 賢伝(けんでん)- 聖経に基づいて賢人の書き伝えた書物。


居士が誕生、幸いに文運盛昌の時に遭い、幼くて書を読む事を知り、長じて文を為(す)ることを識る。但し恨む。生資昏愚、好みて書を読むも、未だ一行のこれを、身に修むること能わざるなり。
※ 居士(こじ)- 仕官せず野にある男子の読書人。ここでは、自分のこと。
※ 生資(せいし)- 生まれ備わった資質。
※ 昏愚(あんぐ)- 暗愚。物事の是非を判断する力がなく、愚かなこと。
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