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ロッコさんの散歩

街を歩く。近くの山に登る。店に入って安くておいしいものを食べる。掘り出し物を見つける。それが散歩の醍醐味。

東北お手伝いちょっと観光ツアー その4

2011年05月19日 | 

  登米に来て1週間が経った。ここには短期、長期、入れ替わり立ち代わり様々な年代の人が来てい

る。ほとんどの人は単独で参加し、ここで様々なグループを組んで活動していている。海岸部での清掃

活動、避難所以外の被災者へ物資配送、避難所の人と「お茶っこ」や足湯で話を聞く、入浴施設への送

迎、子どもの遊び相手、等々、力のある人もない人も、特別な能力がある人もいれば、私のような無芸な

者まで実に様々。特に外で活動する人たちは実際見てきた惨状を夜のミーティングで、涙ながらに語り、

なんとか助けになりたいと熱く語る。少々暑苦しいくらいだが、不快なものではなく、その懸命さは普段

何気なく暮らしているなかでは忘れていたもののような気がする。そんななかにもう少しいたい気もする

が、体育館での寝泊りは熟睡できず少々疲れてきたので仙台へ移ることにする。ずっと避難所暮らしで

十分眠れない人もいるというのになんと軟弱なことと思いつつ・・・。

 

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東北お手伝いちょっと観光ツアー その3

2011年05月18日 | 

  体育館の中で炊事をしているだけではのんびりしてしまい、地震の被害も感じられないので今日は

外の作業に行かせてもらうことにする。

  これにゴム手袋が泥かき、清掃の正装だが、実際は暑くて全部は着けていられない

 

  所属するボランティア団体は海岸部にも3箇所拠点を置いて活動している。そのうちの南三陸町の歌  

津地区の沢の清掃に参加する。ここは津波到達の終着点で、水産会社の魚を入れる発泡スチロールの

箱が大量に流れ着いて当初は道をふさいでいたので、自衛隊が沢に落とす形で道を確保。その沢に落

とされた箱を回収するのだが、私が行ったときはすでにあらかた片付けられていて残りを処理。箱をまと

めて大きな袋に入れて沢から道路上の車に積むのだが、中身が発泡スチロールなので嵩は大きいが

軽いので、女性でも軽々持ち上げられる。

 

  箱が回収されたあとの山肌には大量の漂着物が残っているが、魚網やら衣類やらが複雑に絡み、木の枝などに絡みついているので、この撤去には時間がかかりそうである。

 

この地域のマンホール。地震さえなかったら海辺の静かな町なのに・・・

 

海岸部の惨状は想像以上。映像で見慣れていたはずだが実際に見ると涙がでそうになる。写真を撮るのも申し訳ない気がするが、車中から1枚だけ撮らしてもらった

 

 

 

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東北お手伝いちょっと観光ツアー その2

2011年05月14日 | 

  参加した以上は与えられた仕事は何でもするつもりでいたが、着いた日は担当が決まってなかった

ので、ボランティアの食事を作るキッチン担当をなんとなく手伝っていたら、欠員が出来るとのことで、そ

のままキッチン担当に配属。基本的にはご飯と汁物を提供することになっているが、地域の人から野菜

や山菜などの差し入れがあり、それらを使って副菜も作る。ただ場所が体育館なのでキッチンなどはなく

洗い場は外の足洗い場である。

 

ある日のメニュー

 

 

キッチン担当は朝5時起きだが昼間は少し休めるので、周囲を歩いてみる。緯度が高い分東北は今、八重桜が満開。里山ののんびりした風景が広がっている

 

 

 

 

 

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東北お手伝いちょっと観光ツアー その1

2011年05月13日 | 

  東北に2週間ほど行っていた。震災後新聞やテレビでいろいろなボランティア活動を目にする度なん

となく気持ちが落ち着かず、連休前からあるボランティア団体に登録して要請を待っていたがなかなか

お呼びがかからなかった。連休後さすがに人手が減ったようで要請が入った。当初のテンションは少し

下がっていたが、出かけることにした。まずは仙台に夜行バスで向かう。途中なにか地震の痕跡がある 

ものと思っていたが拍子抜けするほど見えない。ひとくちに仙台市内といっても中央部と津波があった若

林、宮城野区などの沿岸部では全く被害の状況が違うようだ。

   JR仙台駅はかなり被害があったようだが一部を除いて復旧、街も人やものが溢れ、見た目は通常と変わらない。

 

 

  仙台から1時間半、高速バスで登米市役所に入る。その後市バスに乗り継ぐのだが、本数が少ない

のでタクシーで、団体の本部のある廃校になった小学校に行く。その道中も特に地震の痕跡は見当たら

ず、ほんとうに地震があったのかと思うほどだった。タクシーの運転手さんに聞くと、登米では人的な被

害はなくいくつか建物に損害があったもののそれほどひどい被害ではなかったとのこと。ただ地震直後

停電してしまったので、周りの状況がよくわからず翌日ラジオで「仙台の浜に何百体も遺体が」というニ

ュースを聞いて初めてその被害の甚大さを知ったとのこと。関西など遠くで津波の生中継を見ていた

我々の方が状況を把握していたことになる。情報の伝わり方は距離とは関係ないということをあらため

て実感する。

  廃校になった小学校の校舎は南三陸町からの被災者の避難所になっている。

 

隣の体育館がボランティア団体の拠点

 

中は救援物資の置き場とボランティアの生活空間になっている

 

 

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オアフ島にて 花と木

2009年01月25日 | 

今回もいくつかの植物園で、南国の珍しい花や木を見て回った。

まずKoko craterの中にあるKoko crater botanical garden。入場料無料で、いくつかのゾーンごとに植えられた植物を気軽に楽しめる。

サボテンのゾーンにあったいくつか。

 

 

 

プルメリアもきれい

 

次はFoster botanical garden

その名もずばりCannonball tree

 

砲丸の木にはこんな花が

 

 

こちらもその形から、Sausage tree フランクフルトソーセージより大きな実がなっている

 

これはいったい何だろうか。アルマジロみたいにも見える

 

これは落ちてきたら痛そう

 

Baobabの木はさすがに大きい

  

他にもいろいろなところで美しい花に出会った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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オアフ島にて バスが来ない!

2009年01月24日 | 

前回と今回併せて40日ほどオアフ島にいた。その間、友人の車で移動していた期間もあったが、バスもよく利用した。車の免許のない私にとって、車に乗せてもらえるのは便利だし、ありがたいが、自分の意思で移動できないもどかしさがある。公共交通機関を自分の足として使えるというのが旅行のプランを立てるときの第1条件なので、オアフ島のようにバスの便があるというのはありがたい。ネットでthe busと入れて検索すると一番に出てくる有名なバスである。最近はgoogle mapの縮尺を最大にするとバス停の位置もわかるし、ホームページで時刻表も検索できる。現地でもいろいろなところで路線別のきちんとした時刻表をもらうことができる。ところがである。このバスがなかなか来ないのだ。滞在していたKo Olinaは島の西部でワイキキとはずいぶん離れており、利用しているのも観光客ではなくて地元の住民の人たちである。ここを走っている40番の路線は時刻表でみると30分に1本はあることになっているのに、バス停で待てどくらせど来ない。朝夕のラッシュアワーなら遅れることも承知だが真昼間でも平気で1時間ぐらい待たされるのには閉口した。運転手が勝手に間引いてどこかで昼寝でもしたいるのでは、と思いたくなる。今回の旅の終盤、Ko OlinaからWaikikiのホテルへの移動には途中、急行への乗り換えポイントでの待ち時間を含めて4時間を要した。待ち時間2時間、乗車時間2時間である。新幹線ならとっくに大阪から東京に着いているのにとぼやきたくなる。バス停では乗客が皆バスの来る方向を文字通り首を長くして待っているところを見ると、慣れっこになっていて、しかたないさと諦めてばかりいるようにも思えないが、もう少し文句言ってくれないかな・・・。

バスの1ヶ月定期と時刻表。1ヶ月で40ドル。1回が2ドルなのでかなりお得。

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オアフ島にて 街を歩く

2009年01月22日 | 

オアフ島でもずいぶん街を歩いた。そんななか見つけたものをいくつか。 

辛そうな看板。迫力では道頓堀のカニにはかなわないけど

 

肉球がかわいい

 

郵便ポスト 配達があったら目印を立てておくようになっている

 

こんなかわいいのも

 

こちらは集配用のポスト なぜかおそろいの青いオウムが

 

ワイキキの歩道にはこんな表示も シーラカンス?

 

無粋な花泥棒はどこにでも

 

誰かと思えば曙です

 

ワイキキの街のど真ん中にこんなものも。U.S.A.アーミーミュージアム 入場無料。オアフ島は島中に軍の基地ある。観光の島の別の一面を見る思いだった。

 

赤と青のコントラストがきれい

 

ここでも売られている製品のほとんどは中国製だが、数少ないmade in U.S.A.の文字がある

石鹸

 

日本では見かけない三輪スクーター レンタル用

 

 

 

 

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オアフ島にて トレイルを歩く

2009年01月19日 | 

滞在中、いくつかのトレイルを歩くのを楽しみにしていた。まず島東部のMakapuu trailとKoko craterに上る。22番のバスに乗って、Hawaii kai golf courseで降りて、まずMakapuu pointを歩く。

道の途中からこの後上る予定のKoko craterの全貌がよく見える。 

 

海側にはかわいい灯台が見える

 

道沿いのサボテン こんなところにも落書きが

 

同じ22番のバスでKoko marina shopping centerまで戻り、クレーターの麓の公園へ歩く。途中の住宅地から

見た登り道

 

公園からのトレイルへの入り口がよくわからないが、いかにも今下りてきましたという感じの人々を見かけたので訊いて、ようやくたどり着く。

遠目では階段に見えたが、正確には線路の枕木を上る。

 

出だしは緩やかだが途中、谷が切れて下が透けて見えるところを過ぎると急に傾斜がきつくなる。30分ほどで頂上に出る。頂上には鉄道関係の残骸が残っている。有名なダイアモンドヘッドもそうだが、これも軍事用の

施設の名残か 

 

頂上からの眺めはすばらしいのひとこと

ダイアモンドヘッド方面

 

わかりにくいが左の盛り上がりがクレーターの淵。内部は植物園になっている。

 

海側のKoko head。ここにもトレイルがあるが現在は閉鎖されているようだ

 

見飽きることのないすばらしい眺めを30分ほど楽しみ、来た道を慎重に下りる。

他にもJudd memorial trail、Kaena point trailなどを歩く。

Judd memorial trailの入り口付近の小さな滝

 

島のもっとも西に位置するKaena point trail(北海岸)ではひどいスコールに遭い、岬の突端にたどり着く直前で断念して引き返す。雨がやんでから、残念ながら写真には写らなかったが沖のクジラが何度もその尾を見せ、

潮を吹いて見せてくれた。 

 

 

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オアフ島にて 鉄道に乗る

2009年01月11日 | 

ハワイのオアフ島に行ってきた。定番の観光コースや買い物にはまったく興味がないので、もっぱら歩いてあまり人の行かないところを中心に回った。

まず念願のHwaiian railway societyに行く。オアフ島にはかって、さとうきぴ産業や軍事用に使われていた鉄道があり、現在もかなりの車両が保存されている。毎週日曜には観光用の電車も運転されており、鉄道ファンにとってはなかなか楽しいところである。

 

一番きれいに保存されている1890年製のSL。燃料は石炭ではなく油とのこと

 

これも同年代のSL 燃料は石炭

 

1900年代に入ってからのこんなのも 保存状態がいまいち

 

これは軍で使われていたディーゼル機関車

 

朽ちかけた46人乗りの客車は1910年製 もう少し早く保存してやってればよかったのだが・・・

 

これも客車だが保存状態が悪い 残念

 

現在走っている観光用の展望車 1900年製

 

他にもいろいろ古い車両が残されていて見飽きることがなかった。保存のためにささやかだが寄付もしてきたが、ほとんどが露天のままなので、朽ちてしまうのが惜しい。

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岩村城

2008年09月10日 | 

1枚残った青春18切符で岐阜県恵那の岩村城を見に行く。米原までは新快速で快適だが、米原から名古屋までが結構ホネである。この間はJRとしてはなんとしても新幹線に乗せようという魂胆で、在来線は不便にしてあるとしか思えない。平日はほとんど途中の大垣で乗り継ぎの必要があるが、列車の連結車両は短いし、この時期は特に青春18切符利用者が多いので座っていけないことが多い。それに比べて名古屋からの中央線は本数も多く、セントラルライナーなどもあるので便利で助かる。恵那で下車、明知線に乗り換える。

 

恵那市のマンホール

 

明知線はカーブが多く、のんびりと田舎の風景を楽しめる。岩村城は途中の岩村で降りればいいが、沿線の景色に魅せられて、終点明知まで乗ってみる。途中駅々にはこんなハイキング案内もあって、会社も営業努力しているようだ。

 

岩村駅

 

現在は引退している腕木信号機

 

これがホームにある信号の切替器

 

最近は地方の街の商店街が寂れていることが多いが、城まで続く岩村の町は古い街道筋で、意外に店が多く、皆営業している。地元の住人の必要をしっかり満たしているようだ。街角の消火栓、ポストもレトロ

 

町並み

 

こんなものも

 

都会ではあまり見ない実用的な竹製品を並べる荒物屋さんも

 

こんなコーナーも

 

 

五平餅も美味

 

ついでにうどんも

 

標高700Mにある山城なので登っていくと幾重にも石垣が残っている。平日なので訪れる人も少なく静かに楽しめる

 

羊歯がいい感じに生えている

 

町のマンホールにもお城が

 

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