ロッコさんの散歩

街を歩く。近くの山に登る。店に入って安くておいしいものを食べる。掘り出し物を見つける。それが散歩の醍醐味。

21世紀の資本

2020年06月27日 | 映画

何年か前にフランスの経済学者トマ・ピケティが書いて話題になった「21世紀の資本」。興味はあったものの私の頭では無理かと読まなかったが、今回映画で分かりやすく説明してくれそうだったので観に行った。

これまでの歴史も語られ、何人もの学者が出てきて解説してくれたのはよかったが、それでも途中睡魔に襲われること2度ばかり。

睡魔の間にかろうじてわかったのは資本収益率は経済成長率より大きいということ。不労所得の方が汗水たらして働いた所得より大きいらしい。お金は豊富にあるところにより集まってきて大多数の労働者のところにはやってこないようだ。

ならば富裕層への累進課税を強化すればよさそうだが、その辺りの話は睡魔の間に終わってしまったのかよくわからなかった。

資本主義の国なら富の偏在は当たり前かもしれないが、共産主義や社会主義を標榜している国がそうでないとは決して言えないし、ユートピアでもなさそうだ。

お金があれば幸せかといえばそうとは言えないが、少なくても最低限の衣食住が保証されなければ幸せとは言えない気がする。

だからといって富裕層から累進課税で徴収し、その分ををベーシックインカムとして配分すればいいんじゃないという簡単な話でもなさそうだ。

普段ぼうっと生きているのでたまには回らない頭で考えるきっかけにはなったことはよかったが、頭が痛くなりそうなのでほどほどにしておこう。

下手の考え休むに似たり

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鉄分補給

2020年06月24日 | 

今年は春から初夏にかけて遠出できず、長距離の鉄道移動もしていなかったのでそろそろ鉄分補給したくなってきた。そこで在来線の特急列車で乗ったことのない「やくも」と「スーパーおき」に乗ることにした。

途中下車して街を歩くことも考えたが、行先の鳥取、島根はコロナ感染者のほとんど出ていない地域なのであまり動き回らず鉄道の移動だけを楽しむ旅にすることにした。

岡山駅発の「やくも」に乗るが座席の選択を間違え日の当たる方へ座ってしまったのがまずかった。強烈な西日に抵抗できずブラインドを下すことになり景色が堪能できなかった。それでも久しぶりの電車の振動が心地よい。

特急やくも

 

米子から境線を走るゲゲゲの鬼太郎のねずみ男号

 

翌日は「スーパーおき」に乗車。益田までは日本海沿いを走るのでしっかり日本海側の席を確保。

山陰線は以前青春18切符でも乗ったことがあるが、石州瓦を載せた家並みと海岸線の眺めが素晴らしくて飽きることのない景色を楽しめる

 

 

 

こんな小さな入り江がたくさんありそれぞれに小さな集落がある

 

益田駅からは方向を南へ変え山間を走り中国地方を横断する

こちらも瓦屋根の家々が並んでいる

 

人口の少ない地域を走るので家以外はほとんど緑の世界。鉄分に加えて葉緑素も補充できる

 

空が青い

 

日原駅。特急は停まるが乗降者なし。山口県の最高峰の登山口とある。機会があれば登ってみたい

 

終点の新山口駅まで乗って終了。

人口の少ない地方を走る在来線には新幹線にはない魅力がある。しかし採算が合わないということで年々廃止になっていくところが増えて寂しい限り。揺れに身を任せ都会のゴミゴミした路線とは違うのんびりした風景を堪能できる貴重な路線がこれ以上減らないよう願うばかりだ。

 

 

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ヒルにひるまず霊仙山

2020年06月21日 | ちょっと遠出の山

久しぶりに県を跨いだ山登りに出かける。以前から行きたかった鈴鹿山系の北の端の霊仙山に行ってみることに。鈴鹿山系はヒルの生息域なのでヒルの出ない気温の低い時期に行きたかったのだが、今年はそうもいかず今の時期になってしまった。

ヒル対策のためスパッツ、長袖着用、念のため塩水スプレーもかける。0940時醒ヶ井養鱒場から歩き出すがしばらくはダラダラ上りの林道歩きだ。

車が10台ほど停まっているところで道が2つに分かれていて右は通行止めになっていたので左に進むと道が下り始める。これまで上ってきた分が帳消しになるほど下るのでさすがにおかしいと引き返す。

分岐へ戻ってよく見ると霊仙山へは右という看板があったのだが、停まっていた車の陰で見えなかった。通行止めは車のためのもので、歩行者は脇をすり抜ければよかったのだ。私の後からきた4人組も間違えていたので他にも間違えた人がいるに違いない。これで50分ほどロスをしてしまう。暑いのに大汗かいてまったくやれやれだ。

気を取り直して歩き出すが林道歩きが長い。やっと榑ヶ畑という廃村から登山道に入る。汗拭き峠を過ぎ五合目の見晴らし台に出る

 

霊仙山の特徴である石灰岩が出初めた斜面をジグザクに登っていくと眺望が開け広いカルスト地形の台地に出る。

 

七合目お猿石とあるがどれが猿なのかよくわからない

 

台地に出た途端、風が強くなり汗でぐっしょり濡れていたシャツがあっという間に乾き心地よい

 

カルスト地形といえば秋吉台が有名だが関西にもこんなところがあったのだ。独特の地形の眺めがすばらしい。

水が流れる道にある石はいい具合に磨かれ優美な曲線美を見せている

 

 

こんな鋭角に削れた石も

 

穴の開いたのも

 

1340時霊仙山(1084M)到着

 

久しぶりの本格的な山行で、道間違いのロスのおまけまでついてしまったがお天気がよく、いつもとは違う珍しい地形を堪能できたのでよしとしよう。心配したヒルは対策が功を奏したのか、何らかの理由でお出ましにならなかったのか、吸われることもなく無事生還。

 

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初めての単独行 ③

2020年06月07日 | 山旅

平日は仕事、休日もせいぜい水泳をするぐらいでほとんど歩いてないのだからいきなり岩場で大きく足を上げ下げして歩けば筋肉痛になるのは当たり前である。

帰宅してからもしばらくは階段の下りがつらくて痛勤が続いた。今から考えるとよく無事で帰れたものだと冷や汗が出る。飛騨側、信州側、どちらに落ちてもまず命はないような岩尾根の上り下りの連続するルートをヘルメットも被らず歩いていたのだから呆れるほかない。

それまで本格的な岩稜帯歩きの経験もない初心者が一人で行くようなルートではないのだ。それでもその当時は筋肉痛の記憶ばかりが鮮明で無謀なことをしたという自覚はなかった。

この後、剱岳、鹿島槍への八峰キレット、不帰嶮など岩山を歩くようになってから、初めてこのときの西穂から奥穂へのルートがかなり難易度の高いルートだったと気づいた。

それでも特に岩山を歩くことをそれほど怖いとは思わず、淡々と歩いていたのだが、2014年7月に塩見岳の岩場を下りているとき、足の置き方が悪かったのかバランスを崩して転倒、そのまま何回転かしてしまった。幸い少し平らなところで止まることができたのだが、頭部が岩に当たらなかったのが奇跡のように思えた。特にケガもなくその後の行動にも問題はなかった。しかしこの滑落を経験してからはさすがに怖くなりその後はヘルメットも被るようになった。

その後南八が岳の岩場なども歩いたがそれまでとは違う怖さと緊張感があり、その後はあえて行こうとは思わなくなってしまった。

というわけで奥穂高岳から南岳へ続く大キレットは結局これからも歩くことはないと思うが、恐れを知らない間に行っておけばよかったと少しだけ後悔するのだった。

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いつの間にか

2020年06月04日 | 散歩

梅雨前線は南に下がり、ここしばらく好天が続き気温も高くなってきた。マスクを着けたり外したりしながらの散歩になってしまう。

少し間を開けて通ると、もうヒナというよりかなり親鳥に近い風貌になっていた。

 

 

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初めての単独行 ②

2020年06月02日 | 山旅

前日西穂山荘から奥穂高岳への厳しい岩稜帯を歩いて頂上に立ち、気を良くして朝を迎えたのだが、起きようとすると猛烈に太腿が張って痛い。北穂を越えて槍ヶ岳などといってはいられない。とにかくなんとか下山しなければならない。

穂高岳山荘のテラスから奥穂岳岳へのルート

 

下山はザイテングラードを下り涸沢、横尾を経て上高地へと標高差1500Mほどある。歩き始めたのだがこの筋肉痛は上りより下りの方が痛いのだ。ソロソロとできるだけ痛まないように足の置場を考えるのだが、どう置いても痛いものは痛い。

痛みに耐えてなんとか涸沢まで下りる。そこからは若干斜度も緩むが痛みは容赦してくれない。しかも痛い脚をかばって歩いているうちに膝や足首まで痛くなってくる。もう泣きたくなるほどだ。

本谷橋から横尾に向かって脚を引きずって歩いていると、後ろから来た男性が「荷物、持ってあげましょうか」と声をかけてくれる。そんなことを頼めるわけもなく「ゆっくり行くので大丈夫です」と丁重に断る。「気をつけて」と声をかけ追い抜いていったのだがしばらくすると戻ってきて「よかったらどうぞ」といって湿布薬をくれた。さっそく貼ってみたがあまり効果はない。しかしそのやさしい気持ちがうれしく、世の中には親切な人もいるものだと励まされなんとか横尾に着く。

ここからは殆ど水平道だが距離は10キロ以上ある。それでも何とか歩きとおして上高地のバスセンターに着く。尾籠な話だが当時まだトイレは和式でしゃがむのが一苦労だった。

このあとどうやって自宅までたどり着いたのかは全く記憶にない。

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初めての単独行 ①

2020年06月01日 | 山旅

高校の学校登山から始まった山登りだが、初めは一人でというわけにはいかず人の尻について行っていた。しかしそれでは自分の行きたいところにはなかなか行けない。どうせ行くならやはり槍とか穂高に行かなくちゃと、初めて一人で行こうと思ったのが奥穂高岳だ。

とりあえず昭文社の登山地図を購入して眺めてみた。ルートはいくつかあって上高地から涸沢経由のルートが一般的のようだが新穂高温泉からロープウェイで上がり西穂高岳を経由するルートなら高度も稼げるし、上高地から行くより楽かもと思った。

実際にどんなところなのかまったくイメージもなく、なんとも無知なるが故の能天気な話である。

というわけで1990年8月、無謀な初めての単独行に勇躍出かけた。初日はロープウェイで千石平に上がり西穂高岳山荘に宿泊。ここまでは樹林帯でなんということもない。

翌日天気は上々、すでに樹林帯は抜けて、スカッとした稜線歩きの始まりである。丸山を過ぎ、西穂独標へ。ここからいったん下り本格的な岩稜歩きとなる。そうか穂高岳とはこういうところだったのかとこの時初めてわかったのだが、それほど怖いとも思わなかった。

いくつかのピークを越えて西穂高岳山頂到着。さらに先に進み、ジャンダルムが何たるかも知らずしゃにむに岩にかじりつく。さすがに馬の背と呼ばれるところでは怖くて立って歩けず跨って通過し、とにもかくにも奥穂高岳に登り切ったのだった。

ジャンダルム

 

奥穂高岳頂上にて

 

頂上からコルに下り、この日は穂高岳山荘に泊まる。あわよくば翌日は北穂を越えて南岳、槍ヶ岳へ足を延ばしてもいいかななどと思ったりしたのだが、翌朝泣きたくなるような事態が待っていた。

 

 

 

 

 

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