久しぶりの映画、太宰治の七里ガ浜心中を題材にした作品を観る。wowwowで上映されたものの劇場版。
時代を超えて心中の場面にタイムスリップするという設定でワンシーンワンカットで撮られていて、三谷幸喜の前回作品「スオミの話をしよう」よりはずっとおもしろかった。
青森出身の太宰を同じ青森出身の松山ケンイチが青森弁で演じていたり、梶原善が演じる狂言回しの役も笑える。今なお太宰治にはファンも多いのでファンから見たら、いろいろ突っ込みどころがあってたまらないかもしれない
久しぶりの映画、太宰治の七里ガ浜心中を題材にした作品を観る。wowwowで上映されたものの劇場版。
時代を超えて心中の場面にタイムスリップするという設定でワンシーンワンカットで撮られていて、三谷幸喜の前回作品「スオミの話をしよう」よりはずっとおもしろかった。
青森出身の太宰を同じ青森出身の松山ケンイチが青森弁で演じていたり、梶原善が演じる狂言回しの役も笑える。今なお太宰治にはファンも多いのでファンから見たら、いろいろ突っ込みどころがあってたまらないかもしれない
久しぶりに映画を観る。日本映画「敵」
大学を退職し、妻を亡くした仏文学者の日常が淡々と描かれる。時折は講演を引き受けたり、友人と飲みに行ったりもするが、ルーティン化した日常生活はやもめ暮らしとしては丁寧で、観ていると心地よい。この辺り、以前観た「パーフェクトデイズ」にも似ているが後半、学者がふと見たネットでの情報により妄想を抱くようになりその淡々とした日常が壊れていくところが大きく違う。敵が襲ってくる妄想は恐ろしいがそれだけではなくセクシーなものもあって、その甘美な妄想には少々笑える。
もし妄想に襲われるなら恐ろしい妄想はごめんだが、甘美な妄想ならちょっと見てみたい。巨大なあんことアイスクリームと生クリームに追いかけまわされるとか.....
観終わって街に出ると今年もルミナリエが始まっていた
まだ完全に日暮れていないが暗くなれば美しいのだろう。これでもかと電球を点けまくれば美しくないはずはない。そういう人口の光が少々苦手な私は早々に退散したのだった
ラブラドール・レトリーバーが主人公のインド映画「チャーリー」を観てきた。
悪徳ブリーダーの下から逃げてきたチャーリーが偏屈者で孤独な男ダルマと出会って一緒に暮らす物語。
一緒に暮らすうちにそれまで人と交わることのなかったダルマが変わっていくという、動物との出会いが人生を変えてしまうというよくあるストーリーだが、チャーリーの演技、というよりは調教師の訓練の見事さなのだろうが、よくできた芸に感心しつつ観てしまった。インド映画ということでダンスがあるかと思ったがさすがにこの映画には馴染まないのかそれはなし。最後は感情移入して泣けるかと思ったが、そこまでは行かなかった。
ラブラドール・レトリーバーが好きな人にとってはたまらない映画だったが、泣けるかという点では最近知った絵本「もうじき食べられるぼく」の方が上である。
ビートルズ結成時の内幕を当時のマネージャーなどが語るドキュメンタリー映画。リヴァプールでの結成からドイツハンブルグでの成功を経てメジャーデビューするビートルズはその後大成功しあっという間に世界中を席巻していく。
しかし4人での華々しい活動は、実質10年ほどしかなかったのが意外だ。その現役の10年間、私は特に興味もなかったのだが、のちにCDなどで改めて聴いてその音楽の素晴らしさに気づいた。特にハモリの美しさが素晴らしいと思うようになった。
最近のアイドルグループも踊ってないでもう少しきちんとハモってほしいと思うのだが。
ところでこの映画を観たシネ・リーブル神戸の椅子が快適なものになっていた。まだ全部ではないそうだがスクリーン1の椅子はひとつずつが大きくゆったり、しかもリクライニング付きで快適。次回もぜひこのスクリーンで観てみたい。
先日の「宗方姉妹」に続いて小津安二郎監督の映画、「小早川家の秋」を観る。
1961年製作で関西を舞台にして当時の宝塚映画製作所が作った異例の作品。俳優陣もいつもの松竹の俳優以外の東宝の俳優が多く出ているが演出は小津色満載。カラーなのでその独特の書き割りのような画面構成や監督好みの赤色が効果的に用いられている。原節子、新珠美千代、司葉子の三大美人競演もため息のでる美しさ。
独特の小津ワールドには魅せられているのだが、ただこれでもかというくらいの相似形のシンクロの動きを見せられると少しばかり食傷気味という気もしてくる。
監督の作品では「東京物語」や「お早う」といった作品が好きなのだが、最初は独特の演出方法に気づかず、無意識で観ていた気がする。ところが独特の演出に気づくとその部分が気になって本来のストーリーに没入できなくなってくる。何も意識せず単純にストーリーを楽しんでいたころが逆に新鮮で懐かしい気もしてくるのだった。
小津安二郎監督の戦後の作品はほとんど観ているが、宗方姉妹は未鑑賞。懐かしの名画特集で観られるということで観てきた。
1950年製作、田中絹代と高峰秀子が姉妹を演じ、男性陣は上原謙、山村総、笠智衆など、昭和の懐かしい俳優たちが揃う。夫婦、家族関係を一貫して描いた小津監督だが、今回も姉の結婚生活を巡る話になっている。このテーマは70年以上経っても今とあまり変わりようがない普遍のテーマのようだ。
戦後5年しか経っていないが、京都、神戸、東京を舞台に描かれる世界にこの時期の世相のようなものはあまり感じられず、監督独特のローポジション、人物の相似形、整った構図、調度品等、小津ワールドが楽しめる。小津作品は初観たときはなんとなく違和感があるのだが、続けて観ていくとその不思議なリズムが心地よく感じられてくる。その世界になじめない人もいるとは思うのだが私は嫌いではない。
観終わってからJR神戸駅の旧貴賓室を利用したスタバに行ってみた。
映画でも古い調度品でも残すべきものは残さないとね
ポーランド映画「関心領域」を観てきた。
アウシュビッツ収容所の所長ルドルフ・ヘスは塀一枚で収容所と隣接する敷地に住んでいる。ヘスはユダヤ人の殺害、死体の処理に日々心を砕く有能な男として塀の中へ出勤。妻は丹精込めて手入れした庭がお気に入り、ユダヤ人から剥ぎ取った服や宝石を身につけることを躊躇しない。毎日塀の中からは死体を焼く煙が上がるが、中のことには興味も関心もなく平穏な日々を送る家族たち。
オープニングの長い暗い画面にも不安を覚えるが、エンドロールのこれまで耳にしたことのない気味の悪い不快な音楽も気が滅入る。もはや音楽というより音苦だった。
いま世界で起こっていることもあなたにとっては関心領域の外でしょと突き付けられている居心地の悪さも感じるのだった。
派手な特撮映画やアニメ映画などにはあまり興味がなく、人間のドラマを描いた作品が好きなのでそれにぴったりの映画だ。
役所広司がカンヌ映画祭で主演男優賞を取ったということもあり、人気は上々、客席は満席だった。
渋谷区の公衆トイレ掃除をしている主人公の淡々とした日常生活が描かれ大きな変化もなく日々が過ぎていく。それでも後半には少し波風が立つがまたいつもの日常に戻っていく。そんな生活を丹念に描き飽きさせない。
誠実に生きる人の話を観ると、最近規範耳にする政治家の規範意識の低さ、順法精神のなさ、平気でうそもつくといった話にはうんざりしてしまう。あるいはそうでもしないと政治家にはなれないのかと暗澹たる思いがしてくる。
今年は、普通に働き、寝る場所があって食事もできるというあたりまえの生活がいかに難しくありがたいかということを考えさせられる年だった気がする。そんなときに観るといっそう心に染みる作品だった。
それにしても渋谷区の公衆トイレはすごいことになっていて驚くばかり。年末でもあるので少し念入りにトイレの掃除でもするか。
81歳のハリソン・フォード主演の映画を観る。前作からは15年ぶりの新作になる。
いつもならではのテンポのいい時空を超えたアクションシーンといつものお約束のシーンが満載。撮影当時80歳のハリソン・フォードの大奮闘も応援したくなってしまう。冷房のよく効いた映画館で観ると真夏の暑気払いにはぴったりだった。
どうでもいいことながら映画の最後にインディの奥さんが登場するのだが、なんだか倍賞千恵子に似ている気がしたのは私だけだろうか。
客席は意外に空いていて若者がほとんどいない。考えてみればこのシリーズの最初の作品は40年以上前に作られているのだから、今の若い人にはなじみが少ないのかもしれない。それにしてもエンドロールを最後まで観ているとものすごい数のスタッフの名前が流される。この人たちの人件費だけで一体いくらかかっているのかと貧乏人は要らぬ心配をしてしまう。
特にファンというわけではないがなんとなくエリック・クラプトンのコンサートフィルムを観てきた。
30年以上前に行われたいろいろな編成で演奏されたコンサートからいいとこどりをした作品なので、特にファンでもない私が観てもの十分楽しめた。とくにオーケストラとの共演などは誰がどうやって編曲してまとめ上げたのか、そのすばらしい演奏に魅了された。
観終わってから新装なった東遊園地辺りを散歩
芝生広場も広々
花時計は子ども本の森図書館前に移動
市役所ロビーを通りかかるとなかに面白いもの発見
プラスチックごみでできた恐竜
最近神戸の街もずいぶん明るく変わった気がするのはうれしいが、人口は減少が続いているのが残念だ