夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

15.出羽越後国境の見分

2008-06-16 22:13:47 | 巡見使の旅
(35)享保2年5月1日(1717年6月9日)、曇。
 綱木から戻り米沢で休憩。鬼面川を船で渡り、成島、小菅、時田を経て小松で泊まる。途中、小菅の手前に安倍貞任の古城跡、上小松に原田甲斐守の城跡ありと記す。この日の行程は七里半ほどであった。米沢から小松を経て越後に向う街道を、米沢では越後街道と呼び、また峠の数から十三峠とも称した。この先、巡見使一行はこの街道を辿って、越後出羽国境の大里峠に向かっている。
(注)旧暦で、享保2年4月は29日で終わりなので、その翌日は5月1日になる。
  

(36)同年5月2日、晴。
 松原を経て白子橋を渡り手の子で休憩。柳清水を過ぎ、うつう峠(宇津峠)を越え、沼沢を経て白子沢で泊まる。この日の行程は五里半ほどである。途中、手の子に遠藤上野の城内館、また同村高峰に八幡太郎義家が安倍貞任を攻める際に使用した八幡舘、手の子沢に安倍貞任の館跡、うつう峠の先に永井殿(長井氏?)の古館ありと記す。天明の巡見使に随行した古川古松軒によると、普段は通る人も稀な山路を、巡見使をはじめ夥しい人数が通行したため、宿の亭主から村役人に至るまで、あきれ果てて正体なし、といった有様であったという。

(37)同年5月3日、朝小雨、昼より晴。
 桜峠を越えて市の野に出て、黒沢峠を越え黒沢に出る。その先、小国に出て泊まる。この日の行程は五里。途中で休憩はとらなかったようである。天明の巡見の時は、6月11日に小国に泊まっているが、山中を行くほど寒冷強くなり、人びとの中に病多くありという状況だったという。

(38)同年5月4日。
 朴峠を越えて足水に出る。戸板を立てたような戸板かけ山や、龍が住んでいたという龍ガ岳を眺め、かやの木峠(萱の峠)を越えて玉川で休憩。ここから大里峠に上がり、越後と出羽の国境を見分する。玉川が海に流入する辺りが見えたという。大里峠の辺りには、蛇が多く棲むため、蛇骨が出ると言う話を聞く。また、山を七巻きしたという大蛇の話も聞いている。古川古松軒はさすがに石についての知見があったようで、蛇骨は石なりと述べているが、享保の巡見使は、聞いた事をそのまま記している。この日は、小国に戻って宿泊。七里の行程であった。

(39)同年5月5日。
 小国から、来た道を戻り、沼沢で休憩、手の子に泊まる。行程は八里。

(40)同年5月6日。
 手の子を出て小松で休憩し、米沢に戻って泊る。行程は五里半余。


コメント    この記事についてブログを書く
« 14.米沢と出羽陸奥国境の見聞 | トップ | 16.米沢から山形へ »

巡見使の旅」カテゴリの最新記事