夢七雑録

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40.終りに

2008-11-01 09:24:13 | 巡見使の旅
(168)享保2年10月15日(1717年11月7日)
 この日、陸奥出羽松前の巡見使、有馬内膳、小笠原三右衛門、高城孫四郎の三名は、将軍吉宗に拝謁し、帰着の報告を行っている(「徳川実紀」)。

 享保の巡見使がどのような報告をしたかは不明だが、ありきたりの報告をした関八州巡視の巡見使が罷免されたという事からすると、時の将軍吉宗の巡見使に対する期待は、少なくはなかったと思われる。実際、御料(幕府の直轄地)を巡視した御料巡見使の報告については、これをもとに、不正な代官を処分したり、機構の見直しを行ったりもしたのである。ただ、各藩の情勢を観察する諸国巡見使の報告については、幕政を進める上で参考となる情報が含まれていたとはいえ、領主権の尊重という建前もあり、藩政にまで立ち入ることは難しかったようである。

 享保以降、将軍の代替わりごとに巡見使の派遣は続けられるが、次第に形式化して単に将軍の威光を知らしめる為だけのものになっていった事は否めない。そして、安政の頃になると、巡見使を受け入れる各藩から、出費が多い事を理由に派遣延期の願が出されるようになり、幕府もこれを認めざるを得なくなってくる。かくて、天保の巡見使派遣を最後に、巡見使の派遣は取りやめという事になった。時は幕末。幕府は崩壊への道をひた走る。

(追記)
 今回をもって、「巡見使の旅」の連載を終了することと致しました。長い間、閲覧いただき、ありがとうございました。本来なら各地の地方史関係資料を詳しく調べ、また現地調査を行った上で、投稿すべきでしたが、今回はそこまで出来ませんでした。誤りなどありましたら、御指摘いただければ幸いに存じます。 夢七。
 

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