今回の写真を整理してみた。
今回はフォルダに分けたり,使えない写真をカットしたりするだけ。
もちろんオリジナルは,ハードディスクに入れて「旅たんく」用に幸たんくのデータベースに移してね。
そこで思い出したのが,今回の旅で恐怖を感じたやつ・・・
場所は,鹿児島市南九州市の知覧町西元である。
ここ。昼間はここの左上にある写真のようにかっこいい飛行機がみれただろう。
ここに着いたのが17時52分。
そして雨降りと来ている。
厚い雨雲のせいか,辺りは真っ暗。
車から降り,傘をさしてフラッシュを焚いてこんな感じ・・・
寒いし,怖いし・・・
この写真を撮れば,無蓋掩体壕の取材は終わりだったのである。
この明るさではこれが限界だったとあきらめもついたのである。
とごろが,歩を進めると予想だにしなかったことが起きる。
この上の写真の右の方に小さな立て看板があるのがお分かりになるだろうか・・・
40m行くと,「蛸壷壕跡」だって。
壕とか跡とかいう字にただでさえ弱いゆきたんくである。
まして,それらの組み合わせの中に「蛸壷」なんてぇのは初めての遭遇である。
この掩体壕の裏側に行かねばならない・・・
この場所から40m奥って真っ暗じゃないか。
懐中電灯も持っていない。
ここまで来ていくしかない。
この雨じゃ,変質者もいないだろう。
変質者の様相で,変質者の心配をするゆきたんくである。
ここに行くのかーーーーーーい。
掩体壕の裏に入って,すぐにフラッシュを焚く。通路がありがたいし,看板が見えた(一瞬)。
傘さしてカメラを持っているから,画面で確かめる余裕はなかった。
看板によると,この裏にタコツボ(人員用掩壕)があるという。
少し離れてフラッシュ一発。この奥に入る勇気はなかった。
急いで撤退したかったのだが,この雨である。転んで怪我をしてもつまらない。
得体の知れない,多くの目で送っていただく感覚を背中で受け止めながらその場を後にした。
不謹慎なことを書いているが,ここにも当時の日本を守るために,昼夜問わずに頑張られた方々にいらっしゃったのだ。
一礼をできただけでも良かった。