さて、博論の修正を・・・。
いつも思うのですが、論文を書くときに、何か考えるのが苦手というか、
修正するときに、例えば誤字脱字のようなものなら、
頭を使わなくてもできるのですが、
そういうものは少なくて、
調べて考えて・・・みたいなものは、
億劫になってしまうなぁ・・・と。
これが楽しい!という感じになると良いのですが・・・。
昨日も修正作業をしていたのですが、
ほとんど進みませんでした。かなり時間をかけたのですが・・・。
サクサクっと進めたいのですが、
やっぱりそうもいきませんね・・・。
ほんの数行を書くために2時間かかるのですから、
時には途方に暮れます・・・。
私の場合、博論執筆はやはり自分との闘いという感じがします。
論文でわからないことが出てくると、それを調べる。
でも、思うようにたどり着かないと、逃げ出したくなるんですよね。
それで、音楽を聞いたり、軽く体操をしたり。
それで多少回復して、執筆に戻るのですが、
「う~ん」とうなって、手が止まってしまうこともしばしば。
今、まさにそんな感じです。
博論執筆は私にとっては、まさにマラソン。
自分との闘い。
「何のためにやっているのか?」
「社会のため」
という大きな、そして遠い目標では
なかなか動かない。
結果的には、そんな風になればよいと思いますが、
今目の前の博論を仕上げるためには、
それでは、動かない。
「とりあえず、目の前にあるものを一つずつ埋めていきましょう・・・」
という感じです。
社会人になって、こうやって論文を書ける機会があるのは
本当にありがたいことだと思います。
書いている最中は、忘れてしまうけど(苦笑)。
「こんな私でも書けるんだ」
「こんな」という言葉はネガティブな響きですが、
本当にそう思っているので、仕方がありません。
「こんな私だから、書けない」
と思ったら、もう書ける気がしません。
だから、
「こんな私でも書ける」
と言い聞かせています。
いつも思うのですが、論文を書くときに、何か考えるのが苦手というか、
修正するときに、例えば誤字脱字のようなものなら、
頭を使わなくてもできるのですが、
そういうものは少なくて、
調べて考えて・・・みたいなものは、
億劫になってしまうなぁ・・・と。
これが楽しい!という感じになると良いのですが・・・。
昨日も修正作業をしていたのですが、
ほとんど進みませんでした。かなり時間をかけたのですが・・・。
サクサクっと進めたいのですが、
やっぱりそうもいきませんね・・・。
ほんの数行を書くために2時間かかるのですから、
時には途方に暮れます・・・。
私の場合、博論執筆はやはり自分との闘いという感じがします。
論文でわからないことが出てくると、それを調べる。
でも、思うようにたどり着かないと、逃げ出したくなるんですよね。
それで、音楽を聞いたり、軽く体操をしたり。
それで多少回復して、執筆に戻るのですが、
「う~ん」とうなって、手が止まってしまうこともしばしば。
今、まさにそんな感じです。
博論執筆は私にとっては、まさにマラソン。
自分との闘い。
「何のためにやっているのか?」
「社会のため」
という大きな、そして遠い目標では
なかなか動かない。
結果的には、そんな風になればよいと思いますが、
今目の前の博論を仕上げるためには、
それでは、動かない。
「とりあえず、目の前にあるものを一つずつ埋めていきましょう・・・」
という感じです。
社会人になって、こうやって論文を書ける機会があるのは
本当にありがたいことだと思います。
書いている最中は、忘れてしまうけど(苦笑)。
「こんな私でも書けるんだ」
「こんな」という言葉はネガティブな響きですが、
本当にそう思っているので、仕方がありません。
「こんな私だから、書けない」
と思ったら、もう書ける気がしません。
だから、
「こんな私でも書ける」
と言い聞かせています。