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2024.3茨城 古河桃まつり

2024年05月01日 | 旅行

日本を歩く>  2024.3茨城 古河桃まつりを歩く

 天気予報で古河公方公園の桃の花が紹介された。ずいぶん前に古河桃まつりを訪ねたが、記憶は薄れているので再訪した。会場の古河公方公園はJR古河駅から遠く、バスの本数が少ない。右足の石灰沈着性腱炎はだいぶ痛みは治まったがまだ遠出には不安があるので、マイカーで出かけた。
 県道3号栗橋線を北に走る。渋滞が続く。利根川を渡り、国道4号を走ると、古河桃まつり会場の案内が現れる。案内に従い、古河公方公園の東に設けられた駐車場に車を止める。ナビでは1時間ほどだったが、渋滞で1時間半ほどかかった。駐車場は混んでいたが、駐車場北の桃色に華やいだ樹林が歓迎してくれた。
 まずは腹ごしらえ、駐車場の西に管理棟、メインゲートがあり、その先に星湖と名づけられた池が延びていて(写真)、星湖の際に軽食のジェラテリアがあったが、席は空いてなかった。星湖の先の芝生広場にテント屋台が並んでいる。創業明治23年・手打ちそば・やなぎやが目についたのでそばを食べた。

 古河公方を調べる。足利将軍家による室町時代、関東10ヶ国を統治する鎌倉公方が鎌倉に置かれ、初代将軍足利尊氏の4男・基氏の子孫が鎌倉公方を世襲した。幕府は公方の補佐役に関東管領を置いた。
 1455年、8代将軍足利義政のとき、5代鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を暗殺する。背景に鎌倉公方と室町幕府との対立、関東各地の豪族と関東管領山内上杉家・扇谷上杉家との対立があったようだ。
 足利将軍家は山内上杉家・扇谷上杉家と手を結び、鎌倉公方・足利成氏を討伐しようとする。形勢不利になった足利成氏は鎌倉から現茨城県の古河城に本居を移し、古河公方と呼ばれ、古河公方初代になる(享徳の乱~1483年)。
 古河公方はその後5代128年続くが、長尾景虎(=上杉謙信)の侵攻、北条早雲を祖とする後北条家による関東支配のなかで力を失い、自然消滅する。古河公方の末裔は豊臣秀吉から下野国喜連川に所領を与えられ、喜連川氏となったようだ。

 古河城は渡良瀬川の東岸に位置する。渡良瀬川の上流は現栃木県群馬県境を流れ、下流は現千葉県埼玉県境を流れて東京湾に注ぎ、古河城は河川交通の要衝だった。

 関東公方の古河城主が続いたのち、後北条家の関東支配下で古河城は後北条家に管理された。豊臣秀吉が後北条家を滅ぼし、徳川家康が関東に移封される。家康は配下の小笠原秀政を古河城に入部させる。以後、大老の土井利勝、堀田正俊、老中の永井尚政、松平信之、本多忠良、土井利厚、土井利位などが城主となり、東北に対する江戸防衛、日光街道の宿場、将軍の宿城として重視された。
 1873年の廃城令で古河城の建物はすべて破却されたうえ、度重なる渡良瀬川の洪水対策で城跡のほとんどが消滅したらしい。「古河てくてく観光マップ」には、国道354号の北、渡良瀬川沿いに古河城跡、その北に百間堀跡、追っ手門跡、土塁などが記されている。

 古河公方公園=古河総合公園は、古河城南の台地に築かれた古河公方鴻巣館の跡地と御所沼を活用した市民公園で、1974年から桃林、花菖蒲田づくりが始められ、1975年に一部が開園し、1977年に第1回桃まつりが開催された。1990年に富士見塚が完成、1997年に御所沼が復元され、その後も整備が進められ、市民活動が展開されている。
 芝生広場でそばを食べた後、天神橋を渡り、古河公方館跡石碑を過ぎ、旧中山家、旧飛田家を見学し、御所沼をぐるりと回り、相の谷橋を渡り、芝生広場に戻る。富士見塚に上って桃林を一望し、花桃を目指した。

 古河藩主となった土井利勝は、古河では燃料となる薪が乏しいので、成長が早く、果実が食糧になる桃に目をつけ、江戸の家臣の子どもたちに桃の種を拾い集めさせたて古河藩に送り、農民に育てさせたという古事があるらしい。

 古河公方公園開園にあわせ、古河藩主土居利勝の古事に倣い、1974年から花桃の植樹が進められ、現在は6種類1700本の花桃が来場者を楽しませている。
 代表的なのは矢口(やぐち)で園内の8割を占める。花は八重咲き、花つき、花もちがよく、ひなまつりの切り花に使われ、見ごろは3月中旬である。訪ねたのは3月下旬で、まだまだ目と香りが楽しめる(上写真)。
 菜の花畑も満開で、桃色と黄色の風景は絶妙である(中写真)。
 桃林北西側に源平(げんぺい)が植えられている。一本の木に紅白の花が咲くことから源平の旗色にちなんで名前がけられたそうだ。見ごろは4月初旬で、源平は咲き始めだった(下写真web転載)。
 桃林北に、菊桃(きくもも)、寒白(かんぱく)が植えられている。菊桃の花は菊の花に似ていて、見ごろは4月中旬(次頁上写真web転載)、寒白は白色の八重咲きで見ごろは3月下旬(次頁下写真web転載)、菊桃は分からなかったが、寒白は咲いていた。

 桃林東に寿星桃(じゅせいとう)が植えられていて、樹高が低く、花が節々に密につくのが特徴、見ごろは4月初旬だそうだが、東には行かなかった。ほかに照手(てるて)という品種も植えられているらしいが、見ていない。

  桃花+菜の花で目と香りを楽しんだあと車に戻る。桃まつりは無料、駐車場は有料だが、花桃を鑑賞したのに安価だった。  (2024.4)

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