yoosanよしなしごとを綴る

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「大坂侍」斜め読み1/2

2023年12月02日 | 斜読
斜読・日本の作家一覧>  book559 大坂侍 司馬遼太郎 講談社文庫 2005 1/2

 2023年11月、10数年ぶり?に大阪を訪ね、大阪天満宮、住吉大社、四天王寺、大阪市中央公会堂、通天閣、あべのハルカスなどの名所旧跡、新名所を歩いた。予習復習に、天王寺をキーワードに検索し「左近 浪華の事件帳」「幻阪」「浮世奉行と三悪人」を読んだが、いずれも好みでは無かったので途中で読み通すのは止めた。
 次に読んだのが「大坂侍」である。司馬遼太郎氏の筆裁きは卓越していて、司馬氏の視点には教えられることが多い。
 「大坂侍」には「和州長者」「難波村の仇討ち」「法駕籠のご寮人さん」「盗賊と間者」「泥棒名人」「大坂侍」の6編が収められていた。展開、結末が気になる短編もあったが、幕末前後の大坂商人の生き方が詳らかにされていた。身にしみ込んだ大坂商人の考え方、ものの見方が江戸侍と異なることがよく理解できた。
 いまでも大阪人、京都人、東京人・・・・たちは、歴史に培われた見方の異なる生き方を引きずっているように思う。


和州長者 

 旗本寄合席二千石青江采女の弟・欣吾が14歳のとき、采女に田村家から佐絵が嫁入りする。佐絵を見た欣吾はあまりの美しさに観音様と思う。旗本の次男坊は養子にでも行かないかぎり兄の寄食人(かかりゆうど)で、兄、佐絵と同じ家に暮らす。
 采女は、観音様ぶった佐絵に子ができないことを口実に侍女を町方に囲い、何日も家を空けていた。そのため家計が逼迫したが、やりくりは用人・讃岐にすべて任せていた。田村家に奉公していた団平が、佐絵の嫁入りとともに青江家の中間になっていた。登場人物が出そろう。
 20歳になっていた欣吾は、欲情が爆発し、兄・采女がいない間に佐絵の部屋に忍び込み、佐絵を力尽くで抱く。その後は佐絵が欣吾の部屋に忍んでくるようになる。ある日、佐絵が欣吾の部屋から戻って3時間ほどした暁方、采女が佐絵が死んでいるのを見つける。
 佐絵の部屋には男の臭いが残り、佐絵が男と寝た痕跡があった。欣吾は、ほかにも佐絵と寝た男がいて、その男が犯人に違いないと思うが自分の行状がバレてしまうので口にできない。采女は旗本寄合の世間体を気にして病死に見せかける。
 初七日の夜、団平の脅しで采女、欣吾、讃岐が集められる。団平は、上方・大和の育ちで東国の人間とは生き方が違う、上方では主従も忠義も無く男女はまことで生きる、采女は佐絵を捨て、欣吾は力尽くで佐絵を犯し、讃岐は借財で脅して佐絵をもてあそんだ、自分は田村家に奉公したときから佐絵にあこがれていて、佐絵を死に追いやった采女、欣吾、讃岐を許せないと、毒杯を飲めと迫る。
 司馬氏は、旗本の落ちぶれた生き方を語ろうとしたのか?。奔放に生きようとする大坂女を描こうとしたのか、佐絵は心の病で旅立ち、真実は闇のなか。


難波村の仇討ち
 大坂では氏素性より甲斐性、弁口、愛嬌が重んじられ、金でけじめをつけるのが当たり前だった。
 堂島川に面した屋敷に住む東軍流達人・奴留湯佐平次も弁口がたち愛嬌があり、鴻池、住友、田辺屋、紀伊、備前、南部、津軽、松前藩に出入し商いを手広く行っていた。あるとき、佐平次が備前岡山藩勘定方250石・佐伯重右衛門に用立てるが、行きちがいで重右衛門は激昂して斬りかかってきたので、やむを得ず重右衛門を斬ってしまい、佐伯家は断絶となる。
 弟・佐伯主税は仇討ちのため大坂に出てきて、偶然にも佐平次の妹・妙と道頓堀の芝居小屋で会う。妙は主税を気に入り、その日のうちに出会茶屋で主税に体を許す・・大坂の女は思ったこと、感じたことをすぐ行動に移すということだろうか・・。
 佐平次は、番頭・長吉に50両で主税の仇討ち許し状を買いに行かせる・・仇討ちも金できじめがつけられるのが大坂のようだ(book548「銀二貫」も大坂で仇討ちを二貫で買う物語である)・・。
 主税は武士の忠義を通そうと50両の話しを断る。その後、長吉は100両、200両、300両と値を上げるが、そのたび主税は断る。
 妙が訪ねてきて、主税が大好きなので覚悟のうえで体を許した、生涯、主税に操を立てると迫るが、主税は激昂し、佐平次に果たし合いを申し出る。立会の役人は佐平次が金で手を打ったので立会人のいないなかで主税は刀を抜くが、佐平次に峰打ちを入れられ悶絶する。
 話は飛んで、明治に時代が転換する。佐平次は横浜に出かけメリケン相手の商いを見通して大坂に戻ってくる。主税は依然、仇討ちといきり立つが、佐平次に時代が変わった、これからは商人の世界、主水を手代に使ってやるがまずは妙と米国にでも行ってこいと言われて、幕になる。
 武士にこだわり続ける主税と、大阪人らしく商いを見通した佐平次の掛け合いが、司馬流筆裁きで描かれている。


法駕籠のご寮人さん
 天満で駕籠と口入れを稼業とする法駕籠は、法隆寺の精進料理を祖とする法隆寺料理が旨い。店主は江戸から7年前に嫁入りし、1年前に夫が死んだお婦以で、先代から奉公する番頭・松じじいと手代・庄吉が切り盛りしている。
 福井藩士で勤王派、維新後に由利公正と改めた三岡八郎は法駕籠に泊まり、天満や船場の豪商を回り、いま幕府に納めている運上金は倒幕後に安くなる、天朝の時代になれば相場は上がる、いまこそ買い時と豪商から金を工面していた。
 新撰組副長助勤・山崎努は北進一刀流の腕だが、法駕籠で精進料理を食べながら富商の景気を聞き、隊費を調達する役目もあった。松じじいの計らいで、勤王派三岡と討幕派山崎は法隆寺料理を食べながら、大坂の商いの情報を交換しあった。
 松じじいはお婦以に三岡か山崎どちらかを婿になって欲しいと画策していた。ある日お婦以が生国魂神社のそばの出会茶屋で誰かと会っているのを知る・・三岡か山崎か、お婦以に詰め寄るがはぐらかされる。
 慶応3年 慶喜は政権を朝廷に奉還、ほどなく鳥羽伏見街道で官軍と新撰組を始めとする幕兵が戦になる。官軍のスナイドル銃、アームストロング砲で幕軍は大敗し、山崎も撃たれて命を落とす。
 その夜、悪夢で目が覚めた松じじいが厠へいくとき、お婦以の部屋から男女の抱き合う声を聞く。山崎は死んだから三岡か?。維新政府の開化方針で法駕籠は廃業になり財産を整理すると5000両になった。お婦以は松じじいに3000両を渡し、私は庄吉と暮らすという。
 松じじいの裏をかいたお婦以のしたたかさが描かれている。お婦以は江戸の出だが、7年のあいだに大坂商人のたくましい生き方を身につけたようだ。
  続く(2023.11)
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