yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2010.10安曇野を行く2 ちひろ美術館 ワサビ園

2022年04月03日 | 旅行

長野を歩く>  2010.10 安曇野を行く2 安曇野ちひろ美術館・ワサビ園

 3日目、緑に包まれたさわやかな朝、ホテルの広大な敷地に整備されたおよそ1時間ほどの散策路を歩く。木立のあいだから山並みがみえる。常念岳2857mを中心とした山並みのようだ。すがすがしい気分になる。
 一息してから、安曇野ちひろ美術館に向かう。道の途中には○○美術館、△△アートミュージアムなどの案内が多くみられる。あとで調べたら、20ほどの美術館、博物館が安曇野アートラインとして連携し、活動しているそうだ。豊かな自然での文化芸術も期待したいし、アートラインのような連携活動も賛成であるが、入館料の高いのが玉にきずである。期待はずれの施設も少なくない。比べて安曇野ちひろ美術館は立地環境がいい。建物のデザインは飛び抜けているし、展示も十分に見応えがあり、カフェでゆったりでき、入館料は800円だから申し分ない。今回は2度目だが、さらに展示が充実していた。

 いわさきちひろ=岩崎知弘は1918年福井県武生で生まれ、東京で育った。子どものころから絵が得意だったようだが、最初から画家や絵本作家を目指したのではない。
 1939年、20才の時に親のすすめで結婚し中国・大連に渡るが、夫が自殺したため帰国して絵画や書道を学び直し、自立の道を探ろうとする。1944年、25才の時に満州に渡るが戦況悪化で帰国、間もなく東京の実家が空襲で消失し、母の実家である長野県松本に疎開する。
 やがて敗戦=終戦となり、両親とともに長野県松川村に居を移し、開拓を始める。ここが現安曇野ちひろ美術館(1997年開館)の場所であり、美術館のはずれにはその後、ちひろがアトリエとして建てた小住宅が復元されている。
 再び上京したちひろは戦争反対の思いから共産党へ入党するとともに、埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館で知られる丸木俊(1912-2000)にデッサンを習う。反戦・平和への思いは丸木氏からの影響も強いと思う。
 1949年、30才の時、紙芝居『お母さんの話』を出版、翌年文部大臣賞を受賞し、絵本作家の道を歩み出す。1950年、31才で松本善明(後に衆議院議員)と結婚、長男が生まれる。
 1952年、33才の時に、東京都下石神井の妹の家の隣に家を建て、創作活動に専念する。ここが現ちひろ美術館・東京(1977年開館)の場所になる。
 その後のちひろの活動はめざましく、多くの人に親しまれてきた。ちひろの描く子ども達は何ともいえないほのぼのとした暖かさに包まれている(写真web転載)。ちひろの人をいとおしくみる思いが絵の中の子どもを通して伝わってくるからだと思う。
 機会があれば、下石神井か安曇野の美術館で絵をみて欲しい。それも難しければ、ちひろの絵を使ったカレンダーがあるので、それを飾るといい。大人は子どもをいとおしむ心を育て続けなければいけない、と思う。

 安曇野ちひろ美術館で展示をズーと見ていて、『キンダーブック』を見つけた。私が子どものころ読んだ?読んでもらった?本だ。いい絵本を読んでもらったようだ。
 ちひろは、1974年、惜しまれつつ55才の生涯を閉じる。ちひろの思いを広く後世に伝えようと、1977年、下石神井の敷地に美術館がオープンした。2002年にちひろ美術館・東京が建て替えられる。建て替え後間もなく訪ねたが、展示替えのため休館でちひろの絵には会えなかった。次の機会の楽しみにしたい。
 20年後の1997年に安曇野ちひろ美術館がオープンする。こちらは開館後間もなく訪ねた。
 設計はいずれも内藤廣氏である。内藤氏の設計は好きだ。三重・海の博物館や高知・牧野富太郎記念館なども訪ねている。安曇野ちひろ美術館は、ちひろの思いと息がぴったりと思えるほど、暖かさを感じる親しみやすい空間がデザインされている。
 ちひろ美術館は高瀬川沿いの広大な斜面に立地している。川沿いから見上げると、北アルプスの山並みが青い空を背景に連なっていて、少し目線を下げると、その山並みに歩調をあわせるように切妻の屋根が連続して展示室が配置されている(写真)。風景にたたずんでいるといった感じである。
 美術館の周りは手入れのされた緑地になっていて、大勢が緑地が主役でもあるかのように楽しんでいる。広々とした緑地で駆けまわる子ども達の生き生きした顔こそがちひろの思いであろう。美術館のちひろの絵の中の子どもの顔と緑地の子どもの顔が重なりあう。環境が子ども育て、人々が環境を慈しむ。このような立地のデザインがいい。

 館内の床は木である。少し音が響くが、石張りなどの床よりも音が柔らかい(写真、2000年撮影)。カーペットよりも色合い、歩き心地がいい。ロビー、通路は明るく、広々とし、そこここにイスが置かれている。ちひろの絵を見終わったときのほのぼのとした充実感の余韻を楽しむ場所になる。
 天井は切妻形で集成材が暖かさを演出している。天井の圧迫感はまったくなく、切妻形の天井の先のガラスを通して目線は空に飛び出す(写真)。いつでも自然を感じられる演出がある。
 ちひろの絵の特性もあろうが、絵をみていても疲れを感じないのは空間デザインによるのではないだろうか。

 カフェもいい。とくに庭園にしつらえられたテラスからは北アルプスも、高瀬川に続く緑地の先の聖高原側の山並みもうかがえる。ここで、ちひろが好きだったババロアを食べるのもいい。ミツバチやトンボが軽やかに飛び回っていく。心がくつろいでいく。
 緑地の先にかつてちひろがアトリエとした小住宅が建っている(写真)。窓が大きくとられ、空をみては絵を描き、緑地をみては絵本を書き、創作に疲れたら庭に出て鳥や虫を眺めたであろう雰囲気がうかがえる。

 十分にくつろいだので、松本駅に戻る。途中、ワサビ園に立ち寄った。安曇野には北アルプスの豊かな雪解け水を利用した山葵園が多い。旧環境庁=現環境省の名水百選にも安曇野わさび田湧水群として選定されていて、2000年に水環境調査の一環で調べに来たことがある。
 なかでも大王わさび農場には年間120万人を超える観光客がワサビ田(写真)を観賞しに訪れている。ワサビ=山葵は日本原産の香辛料であり寿司や刺身には欠かせない。一般に使われている練りワサビはセイヨウワサビを元にしているが、日本産ワサビ=本ワサビの香り、食感、味はその比ではない。
 安曇野は浸透性の高い土壌で、そこに北アルプスの雪解け水がつねに補充されるため、ワサビの適地だそうだ。さっそくワサビを買い求め、帰路に着いた。今晩はこのワサビをすって刺身である。 (2011.2)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする