2018.4 京都を歩く 2日目 ⑩桂離宮/月波楼 真の飛び石 留め石
古書院の北、池際に月波楼が建っている(写真、北側外観)。名前から、天空の月も感傷を誘うが波に揺れる月は格別だから、ここで池に映った月を眺め茶を楽しむために建てた、と思った。
webで念のため月波を調べると、白居易=白楽天(772-846)の春題湖上という漢詩の一説「月点波心一顆珠・・月は波間に映る一粒の真珠」に由来するとの説が紹介されていた。中の間に「月波」の扁額がかかっていた。博識の方に脱帽である。桂離宮のパンフレットにもひと言触れて欲しいね。
さらにwebには、2代智忠親王が池際に月波楼を建てた理由が推測されていた。私も推測した。
古書院の月見台で用意を調え月を待っていると天気が変わり雨になったことがあったので、智忠親王は屋根付きの茶室を建てた?、中秋のころは日が落ちると月見台はけっこう涼しいので室内でも月が鑑賞できるようにした?、月見台は高床で池から少し後退しているから、池際で波間の月を見ようとした?。
正解は分からないが、当時の人はただ月を愛でるために月見台を設け、月波楼を建てるのだから、月を神秘としてとらえる意識がかなり強そうだ。
「竹取物語」、百人一首、葛飾北斎始め多くの浮世絵、あげれば切りがないほど月を取り上げてきた日本人には、月の神秘が脈々と息づいているということであろう。
月波楼は桧皮葺で、東西軸の寄棟屋根に、南北軸の切妻屋根を組み合わせたこぢんまりしたつくりである。こぢんまりでも、室内は竹を垂木にした船底天井のため圧迫感はなく、涼しげな空間にみえる・・室内は土間からのぞいただけなので実感ではないが・・。
東側、池に面した中の間には小幅の濡れ縁が設けられ、頼りなげな手すりが添えてある。たぶん、中の間に座して池ギリギリから天空の月、波間の月を鑑賞すると勢い余って落ちそうな気分になるので、心理的効果のための濡れ縁・手すりを付けたのではないだろうか。
中の間の奥に座ると、中柱も手すりも目障りになるが(写真、土間から撮影、松琴亭が見える)、池ギリギリに座って月を眺めるときは中柱、濡れ縁、手すりはさほど目障りではなさそうだ。
昼は大自然を模した風景を眺め、日が落ちると松琴亭手前の池に月が揺らめいていくのを見ながら、酒を酌み交わし、一句ひねったのであろうか。
庶民から見れば贅沢に見えるが、初代、2代、3代ともに急逝、その後は分からないが最終的には跡継ぎがなく八条宮家は絶えてしまうのだから、宮家の暮らしが幸せとは言いがたいかな。
月波楼の西に低い築山があり、その先に生け垣がつくられていて、生け垣を右に折れると中門・・参観者の出口・・になる。来訪者が書院を訪ねるときは、中門を通り、右斜めの切石敷きを歩き、石段をあがって御輿寄と呼ばれる玄関に入る(写真、真の飛び石と石段、奥が御輿寄になる)。斜めの進入路は意表を突くが、真の飛び石と呼ばれている。
漢字の書体に真行草の三体がある。真とは基本の形で、正式なとき、格式を重んじるときに用い、行は真を少しくずした形で、家族、友人への書信などに用い、草は行をさらにくずした形で、日記や親しい人への私信、あるいは自由気ままを表現をしたいときに用いる。
華道、茶道、庭園、料理など、さまざまな分野で真行草を準用した表現がなされてきた。ただし、真行草は相対的な形の違いであり、美意識、社会慣行、時代感覚によって何を真とし、行、草はどの程度くずすかの判断は異なってくる。
御輿寄に向かう敷石を真すると、外腰掛の前の石畳は切石と自然石を組み合わせた敷石なので行の形になる(写真、web転載、)。
笑意軒前の自然石だけを組み合わせた石畳は草となろう(写真、web転載)。
桂離宮には、砂利敷きの道もあれば、砂利敷きに飛び石を置いた道、土に飛び石を置いた道もある。飛び石も自然な形、四角く加工した形があり、飛び石の配置も規則的な並び、不規則な並びなど多様である。
真行草は相対的な概念だから、四角い飛び石が規則的に並んだ道から自然な形の飛び石が不規則に並んだ道に変われば、築庭者が「ここから少し気楽で気ままになります」というサインと考えていい。
御幸道の砂利道から外腰掛の切石+自然石の石畳に変わったとき、築庭者は「ここで居住まいを正し、これから茶席です」というサインを出したことになる。
つまり、石敷きの真行草は、来訪者が身だしなみ、行儀作法を整えるサインだったのである。
真の飛び石の途中に黒の棕櫚縄を結んだ丸みの自然石が置かれている(前掲写真)。留め石、止め石、関守石などと呼ばれる、「立ち入りご遠慮下さい」のサインである。
竹を横にかけて物理的に立ち入りを制限する方法もよく見られるが、留め石は、主催者がさりげなく「ここまでですよ」と石を置き、来訪者がその意図を察するという、禅問答のような掛け合いで妙味を感じる。
今回の参観の半分ほどはイヤフォンガイドを聞いていた外国人で、砂利道や飛び石から平気で踏み外したり、写真を撮ろうと苔を踏みそうになったり、留め石も気づかず侵入したり、ハラハラする場面が多かった。
築庭者、主催者、招待者の意図を察しようとする細かな気づかいは、日本人固有の文化かも知れない。注意事項をイヤフォンガイドに入れておくとか、外国人用のパンフレットに注意事項を書き込んでおく必要がありそうだ。
中門を出て、橋を渡り、目隠しの松=住吉の松を右に見て、待合い室に戻り、16:40ごろ解散になった。