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気がつけばふるさと離れて34年

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和食の講演会

2017-06-09 11:04:36 | 日記
先日、ケルンの日本文化会館で催された「和食」の講演会に行ってきました。

お話したのは京都「祇園川上」の亭主、加藤宏幸さんです。

「祇園川上」は4月に放送されたNHKの「ブラタモリ」の「京都祇園編」でお茶屋にお料理を出す「仕出し屋」としても登場しています。

このお店はミシュランの星付きでお茶屋の「一力」へも仕出ししている有名店です。
今年の一時帰国で京都を訪れた折、大学時代の友人に連れられて昼食をいただきました。
普段グルメからはかけ離れた食生活を送っているためもあるのでしょうが(大げさでなく)これまで食した和食の中で一番美味しかったかもしれないです。

講演会はまず文化会館の館長さんの「和食の紹介と特長」のお話から始まりました。


その後、日仏共同ドキュメンタリー「千年の一滴」( こちらでのタイトルはDASHI)を皆で視聴。


このドキュメンタリーを視聴するのは三度目ですが、いつも感動させられます。
北海道羅臼町の浜で昆布を乾かす90歳のおばあさん、鹿児島県枕崎市ガラスのような「本枯節」を作るカツオ節職人、宮崎県椎葉村で「錠目法」というシイタケ栽培の最も古い知恵を受け継ぐ90歳のおばあさん、そして全国から集まる食材をまとめる人として加藤さんが登場します。
また横浜市曹洞宗大本山總持寺の典座は「だし」の源にある禅の教えを話します。
ここの僧は食事の時、各人だしを滴らしたゴハン7粒を鳥の餌に提供します。

加藤さんのお話の 中では伝統的な出汁の製法とともに道具も昔ながらのものを使っているという点などを興味深く聴きました。例えば「水嚢(すいのう)」という馬尾毛で編んだ篩(ふるい)などがあるのもはじめて知りました。

講演後、参加者は出汁を味見させていただいたのですが、本当に美味しかったです。

今朝の地元紙には講演会についての記事が掲載されました。


タイトルは「世界遺産は68度で調理」です。
参加者からの「昆布出汁の取り方」の質問に「68度で40分」との加藤さんのお答えを拝借したようです。

ちなみに美味しい京都のお水に一番近いのはフランス産ミネラルウォータ−のヴォルヴィックだそうです。

片桐一男著 「江戸時代の通訳官」

2017-06-06 18:02:38 | 読書



この本に著述されているのはオランダ語の通訳官です。

江戸時代に人々が最初に聞いた外国語はポルトガル語でポルトガル人は「南蛮人」と呼ばれていたのでポルトガル語は「南蛮語」と呼ばれていました。

南蛮語の通訳官について後日伝えられていないのは、来日した南蛮人はみずから難解な日本語の習得に努め、布教と貿易に従事したので、通訳として特記されるような人物がいなかったことと、ポルトガル人の活動期間が長い鎖国期間の中で比較的短かったからだと思われます。

その後、キリスト教が禁教となりポルトガル人の来日が禁じられ、代わって長崎に来日しオランダ商館での業務が許されたオランダ商人には
日本語の習得が許されませんでした。

そのため江戸幕府が日本人の阿蘭陀通詞(オランダ語の通訳官)の用意をしなくてはなりませんでした。

この本は4部から構成され、

第一部は阿蘭陀通詞団の人々がいかに異国の言葉を習得し、目前に迫る業務に立ち向かったかが記されています。

第二部は長崎の出島のオランダ商館での業務、通詞団の組織などが記されています。

第三部は徳川幕府がオランダのカピタン(船長)に課した江戸参府に立ち会う通詞の江戸勤務(江戸、浦賀、下田、三崎)の業務に触れています。

第四部は代表的通詞23人について綴られています。

第一部と第四部が特に興味深かったです。

代表的通詞の項では

八代将軍徳川吉宗のペルシャ馬輸入の御用に携わった今村源右衛門、

医術を学び、外科医として門下生の指導にあたった楢林鎮山、

米国使節ペリーとの条約交渉で主任通訳官を務めた森山栄之助、

法律を学び裁判所長、大審院長まで務めた本木昌三などが特に印象に残っています。

胸を打たれたエピソードはシーボルトの通訳を務めた馬場為八郎の話です。

国禁の日本地図を国外に持ち出そうとした、いわゆる「シーボルト事件」では通訳の馬場も捕えられ永牢の刑を受けます。

出羽亀田藩にお預けとなった馬場は警護の佐藤左門にオランダ語を教え、鍼医の和田杉雪には蘭方医学を教授します。

結局、馬場はその地で亡くなってしまうのですが、和田杉雪は遺骸を掘り起し、荼毘にしたのち、遺骨を妻とともに馬場の故郷長崎まで届けたのです。

著者があとがきで書いてある通訳に関する言葉は名言だと思います。

「通訳が有能であればあるほど、その存在が意識されなくなる」

時事ひとりごと - 28 (パリ協定離脱)

2017-06-03 18:00:31 | 時事ひとりごと
米国大統領が気候変動枠組条約のパリ協定から離脱することを表明しました。

この条約の国連事務局はボンにあります。

事務局のある建物は以前、ボンがドイツの首都だった頃、議員会館として使用されていました。

ライン河沿いに建っており、職員はライン河を眺めながら仕事ができる素晴らしい職場環境です。


今回、米国がパリ協定から離脱することで、枠組条約の締約国会議(COP)などの準備をする事務局の資金難が心配されています。

今日の新聞には前NY市長のブルームバーグ氏が1500万ドル(約16億円)を事務局に資金援助すると申し出たことが報じられていました。事務局の職員の給与などにあてられるらしいです。

ボンは我が家から車で45分と近距離にあることもあり、締約国会議の前の準備会議の際、お手伝いをしたことがあります。

1997年の第3回締約国会議では京都議定書が採択されました。

今回、米国が離脱を表明したのは2015年12月12日に第21回締約国会議で採択されたパリ協定でこの条約には世界196ヶ国が批准しています。

今日の地元紙には孤立を深める米国大統領の姿が描かれていました。
風刺画家はSAKURAIという名ですが日本人ではないようです。


この新聞の別の記事では「誰もが現米国大統領の後任を望んでいる」とのタイトルが付けられていましたが、後任にはブルームバーグ氏が良いかなぁと思っているところです。