気がつけばふるさと離れて34年

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仏像礼賛 & 岡田准一

2017-05-14 11:48:19 | 日記

今年の一時帰国の大きな収穫は宿泊した奈良ホテルのショップで阿修羅像のミニチュアを購入したことです。

旅の始めだったので、その後の高野山、白浜温泉、沖縄とほぼ3週間ほど夫のスーツケースに入れての移動でしたが、

無事ドイツの我が家に到着して鎮座しています。



それにしても以前はこんなに極彩色だったなんて信じられません(ネットから拝借した画像です)。



先日YouTubeで視聴した「奈良のお寺」についての奈良国立博物館の学芸員が解説の中で、このような極彩色にしたのは当時(8世紀)薄暗いお堂の中で蝋燭の灯りでも仏像を拝めることができるようにしたということや、八部衆のお顔が全て童顔なのは興福寺を建立された光明皇后が幼いお子様を亡くされて我が子の願いをこの八部衆に込められているからではないかと述べられていました。

この阿修羅像は現在、公開されている映画「追憶」で主演している俳優の岡田准一さんが勧める「仏像Best3」の第2位です。

第1位は四天王立像です。


第3位は八大童子の制多迦(せいたか)童子像です。

武術の指導員の資格をもっている岡田准一さんはこれらの像のバランスの良さを強調されています。

そういえば「軍師官兵衛」の岡田さんの立ち姿もバランスがとれていて素敵でしたね。

このミニチュア阿修羅像が加わり、我が家の仏像は15体になりました。

他14体は全て、夫がアジア諸国で購入したものです。

仏教徒でもなく、信仰心が厚いとも思えないのに、大小よく揃えたものです。

最小と最大の仏像の写真です。




でも仏様の像に囲まれているのはなかなか悪くなく、集めてくれた夫に感謝です








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原田マハ著 「リーチ先生」

2017-05-10 17:08:23 | 読書

一時帰国時に購入した重い単行本を銀座の郵便局からドイツ宛て船便で発送後に新聞の広告で知った本です。

スーツケースには更に単行本を詰めるスペースがなかったので、電子書籍をダウンロードし、帰りの機内で読みました。



イギリス人の陶芸家、バーナード・リーチのことが綴られています。

物語は1954年(昭和29年)4月に九州の小鹿田焼きの地にイギリスからバーナード・リーチという偉い先生がやってくるというので

村中がその準備に大わらわになっている所から始まります。

その先生のお世話をすることになったのが、沖高市という陶工修業している少年で、リーチ先生と話すうちに、高市の亡くなったお父さん、
沖亀之助は昔、リーチ先生の弟子をしていたことがわかります。

沖亀之助のモデルになったのはリーチが初来日した折に通訳をした人物だといわれていますが、小説の亀之助は原田マハさんが創作された人物のようです。

それでリーチ先生が昔のことを語リ始めることにより、読者はバーナード・リーチと高村光太郎、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎との関わり、「民藝運動」について知ることになるのです。

これまで「民藝」についてほとんど知識がなかったので、興味深く読みました。

それで以前、通訳仲間のひとりから会議通訳の仕事を紹介したお礼にと贈られた本のことを思い出しました。



彼女のご主人が勤める出版社で発行された本で柳宗悦の随筆集を集めた英語の本の独訳本です。

英語のタイトルは"The Unknown Craftsmann. A Japanese Insight into Beauty"(無名の職人、日本の美への洞察)

独語では"Die Schönheit der einfachen Dinge Mingei"(飾らぬ美 民藝)

ほとんど目を通していなかったので、これを機会にしっかり読んでみたいと思います。

「リーチ先生」を読んで心を打たれたのはみんなに愛される先生の人柄です。

単に「優しい」というだけではなく接する人、全てに平等に真摯に対応するのです。

実は独語の本を贈ってくれた通訳仲間はリーチ先生とは違い、お話しするときいつも「目線が上」なので少し苦手です。

ですからお仕事以外でのお付き合いはほとんどありません









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旬の食材 & 弟

2017-05-07 17:45:32 | 日記
銀座で出身地、岩手県大船渡市のお店「まるしち」で下の弟夫婦と夕食を共にしてからもう2週間以上過ぎてしまいました。




海の幸も美味しかったのですが、特に旬の焼き筍やタラの芽の天婦羅が美味しいと思いました。



まだ生の海鞘はなかったけれど塩辛も比較的甘くて故郷の味がしました。


ドイツで旬の味といえば、やはりホワイトアスパラガスです。
我が家は夫の家でそうしていたのだそうで、ハムとゆで卵を付けます。


ところで銀座のお店にはポケモンがウヨウヨしていました。
下の弟は何とポケモンGOをコンプリートしたのだそうです。
以前のバージョンだということで、現在熱はすっかり冷めたそうです。
それにしてもしっかり仕事しているのか心配です。

私はそれまでポケモンは2匹しかゲットできていなかったのですが、
弟の助言で銀座のお店で2匹、銀座のホテルに滞在中に10匹も捕獲できました。
ドイツに戻ってからは、今度は家の中に野生ポケモンが毎日のようにやって来るようになりました。
現在35匹、登録されています。


ポケモンをコンプリートした弟に「凄いネ!」と言ったら、
「兄貴の方が凄いよ。ウルトラマンの怪獣100匹、全部言えるんダゼ」ということでした。

60代と50代のこんな会話に同席していた弟のお嫁さんはちょっと呆れていたようです(^。^)。
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ジュリー & 樹木希林

2017-05-03 10:22:32 | 日記

久しぶりに森の散歩をしたら、近くの乗馬クラブで薫風下、馬2頭がゆっくりお散歩をしていました。



こんな光景に遭遇すると落馬骨折して夫に乗馬を禁じられたのが悔やまれます。

今年の一時帰国は4月だったのでいつも5月末にテレビ観戦していた「日本ダービー」を視聴できなかったのは残念でした。

でも先頃の天皇賞で優勝した北島三郎オーナーのキタサンブラックは今度パリの凱旋門賞に出場予定とか、ディープインパクトの雪辱をはらしてほしいものです。

前置きが長くなってしまいました。本題に入ります。

ここ一年程「Mikageマダムの夕食レシピ2007」をほぼ毎日のように閲覧しています。

御影に住んでいらっしゃる方のそれは素晴らしいお食事に関するブログです。

お食事の部分も素敵ですが、私は時折綴られる食事以外の部分もとても好きです。

「ユーモア感覚」が似ているような気がして、昔、友人と「そう、そう、あれ可笑しかったよね」と話した会話を思い出してしまうのです。

先日の「ジュリーと樹木希林さん」の文章もそうでした。

「未来の日本に伝えたい名曲100選」という番組をご覧になっていて沢田研二さんが登場された時、「ジュリー」と叫ばれたこと、

樹木希林さんは「悠木千帆」という昔のお名前をオークションで売却されたことなどが綴られていました。

お名前については初耳でしたが、きんおばあちゃんが「ジュリー」と叫ぶ「寺内貫太郎一家」の場面はすぐ思い浮かびました。

実は我が家にはDVD Box(第三巻だけですが)があるのです。



きんおばあちゃんが墓場であこがれのジュリーに会い、ボーッとなってサインを貰うのを忘れてしまった第29回ももう一度視聴したくなりました。



こんなことを御影マダムさんのブログにコメントを入れたかったのですが、どうも海外からのコメントは受けつけないような設定にココログ・ブログはなっているようで、以下の文章が出てしまいます。

Forbidden
You don't have permission to acccess/t/comments on this server.

以前もドイツからコメントを入れようとしてできなかったので、一時帰国中に試してみたらOKでした。

また来年の一時帰国までROM(Read Only Member)として「読み逃げ」をすることになりそうです。

御影マダム様、コメントはまた来年入れたいと思いますので宜しくお願いしますね


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一時帰国2017 - 6 (また来年 & ハプニング!)

2017-05-01 07:08:38 | 旅行
ひと月ぶりの我が家です。

チューリップが辛うじてまだ咲いていてくれました。



一時帰国旅行記の最後に今回の思い出のハイライトを綴る予定でしたが、予定を変更して成田空港出国時の「大冷や汗ハプニング」を記します。

毎年一時帰国では5月のゴールデンウィーク明けにルフトハンザのフランクフルトー羽田の直行便を使用するのですが、今年は沖縄に行く予定だったので

沖縄が雨季に入る前と思い、一時帰国の時期をひと月早くしました。

そうすると私の出国時期は丁度、ゴールデンウィーク直前となってしまいました。

そのためかどうかルフトハンザ便がなかなか取れず、とれても非常に高い航空運賃になってしまうので、はじめてフィンランド航空のヘルシンキ経由成田空港というルートになりました。



それで出国時の成田空港での「大冷や汗ハプニング」です。

出国審査を終えてフィンランド航空のゲートまでのサテライトを移動中、何か所かお店に寄りました。

最後のお買い物も済ませ、ゲートに向かおうと思って荷物を運ぶカートを見たら、何と小型のボストンバッグがないではありませんか!



一時帰国の度にここ30年来使用しているバッグはキャリー用のコロがついていないため、空港内ではいつもカートを使用しています。

貴重品などはショルダーバッグにいれるので、このバッグには常備薬とかiPad miniとカメラの充電器、化粧ポーチなどが入っているだけです。

出国審査後のゾーンなのでまぁ、盗難ということはないとは思いましたが、

それにしてもあの重い(4-5Kg)バッグがカートから落ちたのにも気が付かなかったなんて、やはり4週間の旅行で疲れていたのでしょう。

確かに2段になっているカートの下段は上段のようなボックスタイプではなく、ちょっとずり落ちやすい形状でした。

とにかくインフォーメーションに届け出て、まだ搭乗時刻まで時間があったので、自分が辿ったルートを引き返しました。

でも見つからなかったのです!

搭乗時刻が迫ってきたので、とりあえず搭乗ゲートまで行き、航空会社の人にその旨お話ししました。

「バッグが見つからなくてもご搭乗なさいますか?」→「ハイ、後日バッグが見つかったらドイツに届けてもらえるのでしょうか?」
→「イイエ、それは税関の管轄になりますのでそちらにお問い合わせください」

それでゲート付近の公衆電話から以下の税関の番号に問い合わせました。
汗びっしょりの手で握りしめていたので、紙もしわくちゃになってしまいました。


税関職員の答えは後日、また電話してバッグが見つかった場合には、日本国内の友人に委任状を託して、その友人が成田の税関まで引き取りにきて、
バッグはその友人にドイツまで郵送してもらう、というものでした。

税関職員との電話終了後、バッグにユーロの現金を入れたままだったことに気づきました。
デュッセルドルフ空港到着後、電車で自宅近くまで行き、そこに一週間ほど前、一足先に帰独した夫が迎えに来てくれることになっていました。
ユーロの持ち合わせがないとドイツで列車の切符を買うこともできません。
今度は公衆電話から夫に国際電話をかけて事情を話し、空港まで迎えにきてもらうようにしないといけないと、
国際電話用に十分な硬貨があるかどうかお財布の中を捜していたところ
「○○(私の名前)さま、カウンターまでお越しください」というアナウンスがありました。

ゲート近くにある「ミソキッチン」というレストランの店員が届けてくれたという、私のバッグを見たときには安堵と共に、一週間分位の冷や汗でブラウスがぐっしょり濡れていることに気づきました。

搭乗時刻が迫っていたので、「ミソキッチン」までお礼に行く時間がありませんでした。

そのうちお礼状を書かなくてはと思っています。

最後はハラハラさせられた今年の一時帰国でしたが、今回も楽しい思い出で一杯です。

また来年までね!
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