旅行から戻ってもう一か月半以上経過しての旅行記は何とも時が経ち過ぎていますが、どうしても書き留めておきたい事柄がありまして。
ABC諸島に入国するには原則ビザが必要ありませんが、キュラソー島だけは入国する際に入国ビザ申請用紙に記入しなくてはならないこと、事前にネットで申請用紙をダウンロードして記入しておくと、空港での入国審査時間が短縮できることなどを旅行前に調べました。
「キュラソー・ビザ」で検索していたら「杉浦千畝」の名前も一緒に出てきました。
杉浦千畝はナチス・ドイツに迫害されていたユダヤ人に日本への通過ビザを発行し、6000人のユダヤ人の命を救ったといわれています。
けれどもユダヤ人が日本への通過ビザを受領するためには、日本を通過した後、最終目的地となる国の「受け入れビザ」が必要になります。
その「受入国」となったのがカリブ海のオランダ領ABC諸島のキュラソー島だったのです。
キュラソー島へのビザを発給したのは当時、杉浦千畝と同じリトアニアのカウナスにあった各国領事館の中で唯一ユダヤ人に同情的だったオランダ名誉領事のヤン・ツバルテンディクでした。
ヤン・ツバルテンディクは補佐官の助力を得て数日の間に2200枚を超えるキュラソー行の査証を発行したといわれています。
さらにその後の3週間でツバルテンディクは2400枚の査証を書き上げ、ユダヤ人がさらにそれを書き写したため、杉浦千畝が6000枚もの「通過ビザ」を発行することができたのでしょう。
ヤン・ツバルテンディクはカリブ海に浮かぶオランダ植民地キュラソー島なら、税関もないので入国できるということに目をつけキュラソー行査証を発給したということですが、それだけではなくキュラソー島はもともとユダヤ人移住者が多く住んでいたのです。
中世のスペインポルトガルで異端審問されたのはカトリックに改宗したユダヤ教徒とイスラム教徒ですが、この異端審問から逃れたユダヤ人がコロンブスのアメリカ大陸発見後、アメリカや南米、カリブ海諸島に移住したのでしょう。
キュラソー島には350年以上前からユダヤ人が住んでいるということで、島にあるシナゴーグはいわゆる「新世界」では最も古いといわれています。
またキュラソー島の「ユダヤ人社会」は1651年からあると記載する文書も残されています。
また17世紀末には2000人ものユダヤ人がこの島に住んでいたということです。
最後に再び旅行時に撮影したキュラソー島の写真を何枚か掲載します。
でもキュラソーといえば何といっても有名なのはこの「ブルーキュラソー」というオレンジ・リキュールでしょう。
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